ベニー・シングスやゴンザレスのこと。アメリカ人が作れなくなったアメリカン・ミュージックをヨーロッパで作る人達がいる(2008年1月)

 ハッピーで、粋な音楽がいい。年齢のせいもあるかもしれないが、近年、とみにそう思うようになった。
 ベニー・シングズ。このもじゃもじゃ頭のオランダ人は、僕の中で今や、そんな音楽の筆頭だ。この2、3年、本当に彼の音楽ばかり聞いている。どのくらい聞いているかというと、かつてハーバートの「アラウンド・ザ・ハウス」を聞いたのと同じくらい・・・なんて書いても自分以外には分からないか。
 が、思えば「アラウンド・ザ・ハウス」(1998)と「ベニー・・・アット・ホーム」(2007)には大きな共通点がある。どちらも「我が家」をテーマにしたアルバム。それが愛聴盤になっている一つの理由かもしれない(実際、キッチンで聞くのに良い)。発表には10年近い開きがあるが、もしも、ベニー・シングズが90年代に登場していたら、彼もハーバートと同じように、クラブ・ミュージック畑で、ポップ寄りの活動をするアーティストだったのではないか。そんなことも思う。実際、2003年にベニーがオランダのドックス・レーベルから発表しているミニ・アルバム「シャンパン・ピープル」は現在よりもずっとヒップホップやクラブ・ジャズに近いテイストを持ったものだった。
 「シャンパン・ピープル」の後、ベニー・シングズは2005年にソナー・コレクティヴ配給の実質的なデビュー・アルバム「アイ・ラヴ・ユー」を発表。僕はこれで彼と初遭遇している。レーベル・カラーとはかけ離れたカッコ悪いジャケットを一目見て、何かある!とレジへ直行。果たして、それはオランダのシンガー・ソングライターの偽ライヴ盤だった。
 オフィシャルにはアムステルダムの実在のクラブでのライヴということになっているが、観客の拍手は明らかに不自然。無名の新人の曲を観客がコーラスするシーンなどもあったりする。各楽器のトラックはループも使われているし、ヘッドフォンで聞いてみると分離/定位はどう考えてもライヴではない。スタジオがわりにクラブでベーシック録音を行なったのだろうが、その後のオーヴァーダブと編集作業は、相当にマニアックな精度で行なわれているはずだ。ライヴ盤の「アイ・ラヴ・ユー」の次は、自宅録音風景をジャケットに飾った「アット・ホーム」になるわけだが、実は2枚のアルバムの作り方には、それほど大きな差がある訳でない。肌合的に前者の方がメロウ、後者の方がファンキーな色が少し強いくらい。ベニーはベニーという感じだ。
 ベニー・シングズを語る時には、たぶん、その音楽性以前に、まずは、このあたりのユーモアのセンスを説明しないと誤解も招くだろう。ミエミエの偽ライヴ盤だったり、安そうな宅録風だったり(実際はこれもミックスはプロ・スタジオで行なわれている)。最悪のファッション・センス。もじゃもじゃ頭(と思えば時にスキンヘッド)で、小太りで、曲は情けないラヴ・ソングばかり。そんなコメディアン資質を持ちながら、メロディーは美しく、コードは変幻自在。ヴォーカルは繊細で、サウンドは精密。それがベニー・シングズだ。
 音楽的影響は主に70年代のアメリカン・ミュージック。最初に僕が思い受かべたのはマイケル・マクドナルドやマイケル・フランクス。いわゆるAORだ。インタヴューを読むと、ポール・マッカトニー、スティーヴィー・ワンダー、バート・バカラックらにも影響を受けているようだが、まあ、そのあたりはソングライターなら当然かもしれない。他に、僕が思い浮かべるのは、そのコメディアン的資質を考えて、ポール・ウィリアムズ。それからソングライティングのスウィートさにおいてはトム・ベル。しかし、ポップスの歴史を勉強し過ぎたアーティストの箱庭感みたいなのはない。すべてに等距離というか、ポップ、ロック、ヒップホップ、ジャズ、ファンク、ボサノヴァなどを幅広く取り込みつつも、どこか超然としてもいる。
 この2月、ウーター・ヘメルとともに来日した時のライヴも観に行った。歌ったのは4曲のみだったが、迷彩柄のジーンズ上下で出てきた彼が歌い始めた瞬間に、空気が変わった。ベニーはウーター・ヘメルのプロデューサーでもあるのだが、ジェイミー・カラムのフォロワー的なヘメルの、若さでつんのめり気味の熱演から一転、ある種、非人間的なムードすら感じさせるパフォーマンスだった。同じバンドの演奏にもかかわらず、すっと空気が澄んで、間の感覚がサウンドに立ち現われ、ベニーのソフトなヴォーカルが場を支配する。ちょっとプリンスを思い浮かべたりもした。最高にカッコ悪く、最高にカッコ良い。つまり、粋なのだ。
 思えば、そんな風に粋なアメリカン・ミュージックを最近はなかなか聞くことができなくなった。ガツンとしていなきゃいけなかったり、生真面目じゃなきゃいけなかったり、アメリカの音楽家はアメリカの音楽家で大変なのだろう。粋に加えて、ハッピーまで求めたら、もう全滅に近いかもしれない。ベニー・シングズの音楽が何で出来ているかと言えば、様々なアメリカン・ミュージックの影響、としか言いようがないのだが、しかし、こんなロックでもR&Bでもない、ただのポップ・ソングはもうアメリカ人には作れなくなってしまった。ハッピーで、ちょっぴりサッド。でも、メランコリーまでは決して堕ちない。
 実人生の大変さから、ちょっと浮遊したところにある、そんな愛らしい歌の数々。音楽性を無視していえば、それはルイ・アームストロングの鼻歌みたいなものだったりもする。アムステルダムのアパートの一室で、小太りの男がトーストにバターを塗りたくりながら、日毎、それを作り続けているのだ。あ、だから、こんなにキッチン向きなのか。

 ところで、そのベニー・シングズのmyspaceで交友関係をチェックする中で、アムステルダムのミュージシャンにまじって、モッキー(MOCKY)がトップ・フレンドに入っているのに気がついた。モッキーといえば、今や、飛ぶ取り落とす勢いのカップル、ファイスト&ゴンザレスとともにカナダからベルリン、さらにパリへと移住して、活動しているミュージシャン(本稿の主旨からは外れるが、この仲間にはピーチェズもいる)。そして、ロンドンのジェイミー・リデルの片腕的な存在でもある。
 ゴンザレスとモッキーとジェイミー・リデル。ベニー・シングズ同様、揃いも揃って風采の上がらない感じの男達だが、この2、3年、僕は彼らが何かと気になっている。アメリカ人が作れなくなった、かつてのアメリカン・ミュージックの「粋」の部分が、彼らの音楽にも宿っているからかもしれない。4月にはモッキーがプロデュースを手掛けたジェイミー・リデルの新作「JIM」がワープから出る。これがまたゴキゲン。一言でいえば、R&B。それもサム・クックやオーティス・レディングを彷彿とさせるような。  
 エイミー・ワインハウスにおけるマーク・ロンソンのプロダクションとも通じ合うかもしれないが、クラブ・ミュージック手法で作る歌ものではなく、あくまでソングライティングに重点を置いた歌ものを、ヒップホップやハウスを通過した手法を交えて作ろうという意志のようなものが、そこには感じられる。別の言い方をすると、60年代のサム・クックやオーティスが持っていたポップ・ソングの部分。そこへの憧憬が最大のポイントにも思えるのが、ジェイミー・リデルの新作だ。
 モッキー自身の最新作は2006年の「NAVY BROWN BLUS」。そこではプリンスを思わすエイティーズ・ファンクやオールド・スクール・ラップ、オールド・カリプソなどなど、様々なテイストを織りこんだポップを聞かせている(ファイストとジェイミー・リデルが1曲づつ、ゲスト・ヴォーカルで参加)。モッキーは2001年にアルバム「イン・メソポタミア」で登場した頃には、ポスト・ハーバート的なハウスやエレクトロニカ志向のアーティストと目されていたのだが、そういう志向は次第に減じているのかもしれない。が、ベニー・シングズなどと同じように、バックグラウンドは幅広く、プロデューサー的資質が強いアーティストだから、次作が急に寡黙なインスト作品になったりしても、何の不思議もなさそうだ。
 そして、そのモッキーをバンド・メンバーに加えて、現在、ヨーロッパをツアー中なのがゴンザレス。本名をジェイソン・ベックという彼は、ファイストのパートナーであり、パリに移住後はジェーン・バーキンのプロデューサーとしても名を挙げた。2004年のソロ・アルバム「ソロ・ピアノ」はその名の通りの作品。クラシックともジャズともつかない、ケベック出身者らしいフレンチ・カナディアン風味も漂うこのピアノ・アルバムを僕は何とはなしに3年以上もベッドルームに置いている。
 だが、もうすぐ登場する新作「ソフト・パワー」(フランスでは4月、日本では7月発売予定)は渾身のポップ・アルバムだ。偽ライヴのようにMCと拍手から始まる冒頭の「Workin Together」で狂喜乱舞。軽快なハンドクラップに乗ったピアノ・ロール。何てことないようだけれど、ポップ・ソングに必要なものをすべて備えた1曲だ。
 以下、アルバムは60年代から80年代のポップ・ソングへのオマージュとも言えるような曲が次々に飛び出してくる。でも、それを偏執狂的なポップ・マニアの作品を読み解くように聞くのは、どこか違うように思える。ベニー・シングズにしてもそうなのだが、トッド・ラングレン好き、ムーンライダーズ好きのマガジン読者も、誰々の影響が・・・とか考える以前に、もっと気楽に楽しもうよと言いたくなるような感じ。何より先に曲そのものが、あるいはゴンザレスという人自身が醸し出すユーモアのセンスだと思うのだ、このアルバムの魅力は。
 と、書いていたら、ついさっき、youtubeでゴンザレスのインタヴューを見つけた。2004年くらい、ベルリンでのインタヴューのようだが、その中でゴンザレスがなぜ、カナダから移住してきたのか?という質問に答えて、こんな風に答えている。
 <きっかけは。君が活動するなら、ベルリンがいいよと誰かが言ったから。それで移ってきたんだ。私が好きな音楽にはユーモアがある。音楽のスタイル以前に、ユーモアのあるのが好きなんだ。ヨーロッパにはユーモアの感覚がある。北米ではメイジャー・コードはハッピー。マイナー・コードはサッドだとされてしまう。私の音楽は違う。サッドだけれどファニーなものが好きなんだ。>
 僕の原稿はもう終わりにしても良くなったようだ。なぜ、ベニー・シングスやゴンザレスのようなアーティストに僕が惹かれるのか、なぜ、彼らがヨーロッパを拠点にしているのか。ゴンザレスの言葉が端的に語ってしまっているだろう。
 かつてのアメリカは、世界中の人々の夢工場になる力を持っていた。ハッピーだけれどサッドな音楽。あるいは、サッドだけれどファニーな音楽。そして、粋でユーモアに溢れた音楽がたくさんあった。だが、今のアメリカ社会からはそんなポップ・ソングは生まれない。音楽の地図はかくも変わる。これだから、ポップ・ミュージックを聞き続けるのは、やっぱり面白い。

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