マテオ・ストーンマンの『マイ・ビューティフル・ハヴァナ』

 マテオ・ストーンマンという歌手のことを知ったのは昨年のことで、2003年に彼が発表した「マテオ」というアルバムを随分と遅れて、聞く機会があったからだった。マテオはシルキーな歌声でスペイン語でキューバ風のボレロを歌うのだが、日本盤の解説を読んでみると、ニューハンプシャー出身のアメリカ人だというので、とても驚いた。年齢は三十代半ばぐらいだろうか。ロサンジェルスに移住後、窃盗容疑で逮捕されて服役。その獄中でキューバ音楽の魅力にめざめ、スペイン語で歌うようになったのだという。うるわしいメロディーとは裏腹に、歌っている内容には獄中の生活を反映したものもあるようだ。
 日本人は世界中のありとあらゆる音楽を模倣して演奏する。ポルトガル語でブラジルのボサノヴァを歌う人達はたくさんいるし、スペイン語でキューバのボレロを歌う人がいたとしても、それほど珍しくは感じないだろう。しかし、多民族国家であるアメリカでは、所属するコミュニティーを越えて、そうしたジャンルの踏み越えをする人は極めて少ない。それだけに、マテオ・ストーンマンのボレロには、静かな衝撃を感じるところがあった。
 「マイ・ビューティフル・ハヴァナ」はそのマテオ・ストーンマンの9年ぶりのアルバムで、その間に何度もキューバへと渡り、現地のミュージシャンと録音したものだそうだ。参加ミュージシャンにはブエナ・ヴィスタ・ソシアル・クラブやオルケスタ・アラゴンのメンバーも含まれるということで、全体のトーンは「マテオ」と大きくは変わらないものの、よりキューバの土の香りが強く漂うように感じられる。
 ボレロというのはスロー・テンポの甘美な音楽で、ともすれば古くさくも響くものだ。あるいは、キューバにはフィーリンと呼ばれる、ボレロを現代化したような音楽もあるのだが、これは甘ったるい歌謡性が強過ぎて、僕はあまり好きではない。ところが、アメリカ人であるマテオ・ストーンマンはそのあたりを上手く回避しているようでもある。程良い洗練によって、ボサノヴァを好むようなリスナーにもすっと入り込めるような耳に優しい音楽になっているが、聞きこむにつれて、マテオのキューバ音楽への愛情と人生の不思議に対するロマンチシズムがじわっと染みてくる。
 そういえば、フィーリンは好きではない、と書いてしまったが、実はそれには例外があって、フィーリンの創始者とされる1940年代のセサール・ポルティージョという歌手の弾き語りは、ジョアン・ジルベルトのそれにも通ずる感覚があって、映像でしか見たことがないのだが、強く惹かれるものがあった。あるいは、マテオの音楽はその二人と結びつくものなのかもしれない。と考えると、本作に1曲だけ、そのジョアンのレパートリーだったジョビン/ヴィニシウス作品のカヴァーが収められているのも頷けたりする。

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