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映画『ボブ・マーリー:One Love』と「Redemption Song」の謎

ボブ・マーリーの伝記映画『One Love』を観てきた。
最初のうちはボブがイケメン過ぎて、カリスマ性や神秘性がが薄いなあと思いながら観ていたのだが、そこを含めて、リタ・マーリー・プロデュースの映画なのだと納得して映画館を出ることになった。エピソードの選び方も、ディテールの描き込みも、妻の視線を含んでいるからこその説得力が。
ボブも弱さを抱えた一人の男だった。主演のキングズリー・ベン=アデルがそこを上手く演じている。

回想シーンも切なくて良かった。幼さの残るボブとリタの恋。短髪のボブをリタがラスタの教えに導く。コクソンのオーディション・シーンも最高だった。トレンチタウンのユース・ミュージックがきらきら輝いていた時代の空気が感じられる。
ボブは少年っぽいが、長身のピーター・トッシュはもうラスタ・カラーの帽子をかぶり、ヤバそうな雰囲気を出している。実際、こんな感じだったんだろう。

メインとなるのは1976年から1978年にかけてのボブ・マーリーをめぐる事件で、政治と暴力に揺さぶられたボブとその周辺が、かなり史実に忠実に描かれている。だが、この映画で僕が一番気になったのは、その中での「Redemption Song」という曲の位置付けだった。そこだけは、これまで知られてきた物語と、映画の内容は大きく異っていたからだ。

映画『One Love』中の「Redemption Song」の演奏シーンはYouTuneで見ることができる。ボブがジャマイカの自宅に戻り、庭で一人この曲を歌っていると、子供たちが出てきて、リタも出てくる。そして、リタが「この曲はいつ書いたの?」と訊くのだ。すると、ボブは「All My Life(ずっと前)」と答える。

だが、そんな話はこれまで聞いたことなかった。

「Redemption Song」はボブ・マーリーの生前最後のアルバム『Uprising』(1980年発表)の最後に収録されている。ボブがこの曲を書いたのは1979年頃、闘病中に書いたとされてきた。オリジナル・ヴァージョンはギター一本の弾き語り。レゲエというよりはフォークである。こういうコード進行、こういうメロディーの曲が書けるのは、レゲエの枠にとどまらぬボブ・マーリーの個性だったと言っていい。

だが、映画『One Love』はアルバム『Exodus』期のボブ・マーリーを描いた映画で、先の自宅の庭のシーンも1978年なのだ。
しかも、映画中で「Redemption Song」が歌われるのはそれが初めてではない。回想シーンの中に、短髪の少年だったボブが自宅のキッチンでそれを歌うシーンもある。ということは、ボブは60年代にすでにその曲を書いていたことになる。

映画で最初に流れる曲も「Redmption Song」である。これはアンジェリック・キジョーによる歌詞のないハミングだ。60年代のキッチンでは、ボブは母親といる時にそれを歌う。1978年の自宅の庭では、リタや子供の前でそれを歌う。そして、リタが「いつ書いた曲?」と訊くのだ。
3回も登場するこの「Redemption Song」に関する脚本は、かなり練られたものだと考えていい。

「Redemption Song」の歌詞はアフリカから連れ去られ、奴隷船に乗せられた私の物語から始まる。アンジェリック・キジョーはこの曲を以前からレパートリーにしていた。キジョーは西アフリカのベナン出身。ベナンには奴隷貿易の最大の港があった。キジョーが歌う「Redemption Song」はそんな歴史とともに、母なるアフリカの包容力を想起させる。

映画はそのメロディーだけを取り出して、冒頭にさりげなく置いた。そして、映画中ではボブは母と、あるいは自分の子供を抱いたリタと過ごす時間に、その曲を歌うのだ。「Redemption Song」はレコードでは晩年に発表した、ボブ・マーリーの最後の名曲だった。だが、映画の中ではそれは長い時間軸の中で流れ続ける曲になっている。

「Redemption Song」はまさしく、長い時間軸の物語を綴る曲でもある。ラスタの人間観は "I and I" だから、先祖の物語も今の私の世代の物語も一人称で歌われ、ひとつに繋がる。「Redemption Song」はそういう構造の歌なのだ。
少年時代のボブがこんなメッセージ・ソングを書いたとは思い難いが、メロディーだけを取り出せば、レゲエの時代が来る前に書いた曲だったとしても不思議ない。むしろ頷ける。ボブにはある種フォーキーといってもいいメロディー・センスが初期の頃から備わっていた。それが彼の天性だった。

リタ・マーリー・プロデュースの『One Love』は、彼女のボブとの思い出をちりばめた映画と言ってもいい。リタはボブから「Redemption Song」はずっと昔に書いた曲を元にしていると聞かされていて、それをこの映画の中で明かしたのかもしれない。
リタと出会った頃から、ボブはアコースティック・ギター一本で、メロディックな曲を作って歌う類まれなセンスを持っていた。そういう回想とも重ね合わせて。
思えば、映画中にはハードなメッセージ・ソングに傾斜していくボブに、リタがメロウなラヴ・ソングを歌うことを忘れちゃダメ、それもあなたの才能なのだからと諭すシーンもある。

ともあれ、映画『One Love』の中で、これまで知られてきた史実と最も異なるのは、この「Redemption Song」をめぐる物語である。リタ・マーリーがそれを意識的に、映画に織り込んだのも間違いない。だが、なぜかそこはあまり話題になっていないようだ。
事実か、映画用の設定か。誰かインタヴューの機会があったら、リタ・マーリーに問うて欲しい。


追記

一晩置いたら、また思うところがいろいろ出てきた。「Redemption Song」という曲について。これが60年代書かれた曲であっても不思議ない理由は、『One Love』という映画の中にも埋め込まれている。ウェイリング・ウェイラーズのコクソンのスタジオでのオーディション・シーンだ。

レゲエの曲というのはコードが少ない。たいていは2コードの繰り返しだったりする。ボブ・マーリーも1コード、2コードの曲が少なくないが、その一方でレゲエ的ではないコード進行をする曲もある。ティンパンアレイ的なポップソングライティングの才能があったと言ってもいい。「One Love」などもそう。

「One Love」はボブ・マーリーがウェイリング・ウェイラーズと名乗るコーラス・グループをやっていた時代に書いた曲だ。オリジナル・ヴァージョンは1965年のウェイリング・ウェイラーズのアルバムに入っている。

映画『One Love』の中で、ウェイリング・ウェイラーズがコクソン・ドッドのスタジオでオーディションを受ける時に、最初に歌った曲もこのアルバムの中に聴くことができる。それはウェイリング・ウェイラーズの初期メンバーだったジュニア・ブレスウェイトが書いた「It Hurts to Be Alone」という曲だ。ブレスウェイトは最年少のメンバーだったが、1964年に脱退・渡米してしまう。だから、ジャケットにはその姿はないが、アルバムには2曲、彼がリード・ヴォーカルを取る曲が残されている。

コクソンの前で「It Hurts to Be Alone」を演奏したウェイリング・ウェイラーズは、アメリカの音楽の真似してちゃダメだ、修行してまたおいで、的なことを言われて、あしらわれる。確かにこの曲はもろにインプレッションズ風だ。

しかし、実際にはウェイリング・ウェイラーズはコクソンで「It Hurts to Be Alone」を録音し、「Shimmer Down」や「One Love」よりも先にヒットさせている。
この頃のジャマイカで、こんなシカゴやフィラデルフィアの新しいソウル・ミュージックの感覚を取り入れた音楽をやっていたグループは珍しかった。
IV → IIIm7 → IIm7という、その種の音楽に特徴的なコード進行を使ってるなんてね。ウェイリング・ウェイラーズは新しい感覚を持った子供たちだったのだ。

コード進行を取り出してみると、「Redemption Song」も「It Hurts to Be Alone」と同じく、IV → IIIm7 → IIm7というコード進行を使っている。冒頭部分は「It Hurts So Be Alone」とほぼ同じコード進行と言っていい。
となると、60年代半ばにボブがジュニア・ブレスウェイトの「It Hurts to Be Alone」のコード進行に刺激を受けて、「Redemption Song」の原型となる曲を書いていても、まったく不思議には思えなくなる。むしろ、I → VIm → IV → IIIm7 → IIm7 みたいな進行の曲を1979年に書いたという方が唐突な感じがする。だから、リタはいつ書いたの?と訊いた。

もともとはそのメロディーは、若きボブがリタに捧げたラヴ・ソングだったのかもしれない。だが、それがボブが人生の最後に独りで歌う曲になった。「一緒に歌って」と独りで歌う曲に。

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