ニルヴァーナ『イン・ユーテロ』20周年

 海外のミュージシャンのインタヴューを読んでいると、トラブルをそこまで赤裸々に語ってしまうのか!と思うことが少なくない。日本人ならば、公言するのを憚るような内部的なトラブルも、彼らは躊躇なく語る。バンド内の揉めごともアルバム制作が抱えた問題も。そして、時にそれは、リスナーを当惑させるものにもなる。

 ニルヴァーナの『イン・ユーテロ』は、まさに、そんな当惑を伴ったアルバムだった。1993年9月に発表された三枚目のオリジナル・アルバムで、巨大なヒット作となった1991年の『ネヴァー・マインド』のフォローアップでありながら、まったく違う方向性のプロダクションに進んだ作品でもある。僕の場合は、『ネヴァー・マインド』に熱狂する友人達を醒めた目で見ていたのが、その『イン・ユーテロ』を聞いて、急激にニルヴァーナというバンドに興味を惹かれた。1993年11月にはリリースに合わせた全米ツアーを観た。その年のアルバム・ベストテンにも『イン・ユーテロ』を選んだ。しかし、翌年4月5日、シンガーのカート・コバーンがシアトルの自宅で拳銃自殺し、バンドの歴史に突然の終止符が打たれたのは、よく知られている通りだ。

 カートの自殺はもちろんショッキングだったが、『イン・ユーテロ』をめぐる当惑というのは、それ以前にメディアから伝えられていた情報によって生み出されたものだった。『ネヴァー・マインド』の成功によって発言権を得たバンドは、次作のプロデューサーに彼らが影響を受けたアンダーグラウンド・シーンのキーパースンであるスティーヴ・アルビニを指名した(彼らが最も意識したのは、1988年にアルビニが制作したピクシーズのアルバム『サーファー・ローザ』だったとされる)。しかし、バンドがアルビニとともに完成させた音源をゲフィン・レコードのA&Rであるゲーリー・ガーシュは受け入れ難いものだとした。

 レーベルからの要請を受けて、シングル候補曲の「ハート・シェイプド・ボックス」と「オール・アポロジーズ」は、REMなどを手掛けてきたスコット・リットによる再ミックスが施された。アルバムの他の曲もボブ・ラディックによる最終マスタリングで、低音域を明瞭にし、ヴォーカルの歌詞が聞き取れるような形に修正された。そして、カート・コバーンはこうしたレーベルとのトラブルをインタヴューでも隠すことなく喋った。発売される音源は、バンドがスティーヴ・アルビニともに作り上げたものとは異なっている、と。リスナーはそう知りながら、『イン・ユーテロ』を聞かねばならなかったのだ。

 おかげで、『イン・ユーテロ』を聞く度に、僕の中では消えないモヤモヤが育つことになった。このサウンドは妥協の産物なのか? それとも、これが関係者の努力が積み重ねられた最良のバランスなのか? その解を得るには20年がかかってしまった。

 2013年、『イン・ユーテロ』の20周年記念盤がリリースされた。それはベーシストのクリス・ノヴォセリックから依頼を受けたスティーヴ・アルビニが全面協力した内容で、未発表のデモなどを含む43曲入りというヴォリュームだった。

 オリジナルの『イン・ユーテロ』は全12曲だったが、20周年記念盤はまずCD1に、その2013年版リマスターを収録。リマスタリンングを手掛けたのは、アビー・ロード・マスタリングのスティーヴ・ルークだ。さらに、「ハート・シェイプド・ボックス」と「オール・アポロジーズ」に関しては、アルビニのオリジナル・ミックスも収録。そして、CD2にはスティーヴ・アルビニによる2013年ミックスの12曲が収録された。これらを聞き比べることによって、1993年に『イン・ユーテロ』というアルバムをめぐって何が起ったのか、それを自分の耳で確かめる機会が訪れたのだ。

 まず、スティーヴ・ルークによってリマスターされた12曲を聞いてみると、それは1993年盤のCDよりも、ぐっと地味なサウンドになっている。レベルは低めだし、エッジも後退。とりわけ、中高域の叩き付けるような派手さが抑えられている。逆から言えば、ボブ・ラディックによるオリジナル・マスタリングは、『ネヴァー・マインド』との差を埋めるべく、そこを強調したEQがなされていたのだろう。

 最も興味を惹かれたのは、1993年に却下された「ハート・シェイプド・ボックス」と「オール・アポロジーズ」のアルビニ・オリジナル・ミックスがどんなものだったかだが、意外なことに、それらはスコット・リットのミックスと大きくは違わなかった。ということは、スコット・リットは僅かな修正しかしなかった、ということでもある。「ハート・シェイプド・ボックス」のスコット・リット・ミックスにはハーモニー・ヴォーカルが付け加えられているが、それを除くと、くぐもったヴォーカルを少し前に出し、ベースラインをはっきり聞き取れるようにした程度の変更だったのだ。

 アルビニによる2013年ミックスによる12曲はというと、これもオリジナル・ミックスと大きく違う訳ではない。空気感と広がりを増したサウンドの中でヴォーカルが少しだけリッチになったように響く。1993年盤のCD、2013年盤のCD1(リマスター収録)、2013年盤のCD2(2013年ミックス収録)を何度か聞き比べてみて、僕が得たのは何よりも安堵感だった。今の時点でどれを選ぶか、と問われれば、2013年盤のCD1(スティーヴ・ルーク・リマスターの12曲)が最もしっくり来るが、どのCDにもエンジニア達の誠実な仕事が感じられる。そして、それらを聞き比べることによって、『イン・ユーテロ』のスタジオ・セッションがどんなものだったかを立体的に思い描けるようになったのは、大きな喜びだった。

 1993年に『イン・ユーテロ』の制作を引き受けた時、スティーヴ・アルビニはまだ彼のエレクトリカル・オーディオ・スタジオを建設する前だった。かつ、彼はバンドにレーベル関係者が誰もやって来ない場所でのレコーディングを提案した。結果、選択されたのがミネソタ州のキャノン・フォールズにあるパキダーム・スタジオだった。アルビニは1992年の暮れにも、P・J・ハーヴェイのアルバム『リッド・オブ・ミー』のレコーディングに、そのスタジオを使用したばかりだった。

 スタジオはニューヨークのエレクトリック・レディ・スタジオ〜レコード・プラントを経由したニーヴの8068コンソールを備えていた。アルビニはスタジオにサイモン・リッチー・ブルーグラス・アンサンブルという名前でスケジュールの予約を入れていた。このため、パキダームのスタッフは当日、空港に彼らを迎えに行くまで、クライアントがニルヴァーナであるということを知らなかったという。

 1993年の2月12日から26日にかけて、『イン・ユーテロ』はレコーディングされた。初日にニルヴァーナのメンバー達とアルビニは初めて顔を合わせた。セカンド・エンジニアはボブ・ウェストン。アルビニ率いるシェラックのベーシストでもあるエンジニア/プロデューサーだ。途中で、カート・コバーンの妻であるコートニー・ラヴがやってきた以外には、雪に閉ざされた森の中のスタジオを訪れる人間は誰もいなかった。

 ブラック・フラッグ、レイプマン、シェラックというパンク〜ハードコア系のバンドで活動してきたがゆえに、スティーヴ・アルビニはラウドでノイジーなロック・サウンドを専門とするプロデューサーと考えられがちだ。とりわけ、1993年の時点ではそうだったろう。しかし、レコーディング・エンジニアとしての彼は、むしろ、ジャズやフォークの世界のエンジニアに近い。2000年代以後のアルビニは、女性シンガー・ソングライターのニナ・ナスタシアやカントリー・シンガーのロビー・フォルクスなども手掛けているが、それらを聞くと、アルビニが基本的にはアコースティック派のエンジニアであるのがよく分かる。

 ハードコア系のロック・ミュージシャンであるアルビニは、ラウドなドラム・セットやギター・アンプのサウンドを愛しているが、しかし、あくまでアコースティックな手法でそれを収録するのだ。そのためにマイキングには徹底的にこだわる。アルビニのドラム録音のためのセットアップ図を見たことがあるが、ハードコアなロックだから、少ない本数のマイクでざっくり録っているのかと思いきや、十数本のマイクを使っていた。マイクの配置も選択もありきたりなものではなく、独自に築き上げてきたドラム録りのテクニックを感じさせるものだった。

 『イン・ユーテロ』でもアルビニはいつも通りの彼の仕事をした。録音は実質的には4日目から始まり、一週間で終了。ミックスは五日間で終了した。完全なるアナログ録音で、演奏のオーヴァーダブは最小限。ミックスでのエフェクトも最小限。そういう意味でも、それは90年代のロックのレコーディングの主流とはかけ離れたものだった。アルビニの録音哲学にはアラン・ローマックスの影響があるというが、まさしく、フォーク・ミュージックを採集するかのように、あるがままの姿をそのままテープに収める。ニルヴァーナという世界最大の人気ロック・バンドに対して、そういうアプローチを取ったのが、『イン・ユーテロ』だったのだ。ルーム・アンビエンス用のマイクを重視したと思われるアルビニの2013年ミックスでは、その方向性がより研ぎすまされているようにも感じられる。

 スコット・リットによるミックスが、アルビニのミックスの僅かな修正にとどまっていたのも、リットがアルビニの録音、とりわけドラム・トラックに敬意を払ったからに違いない。ゲフィン・レコードは実は、アルバムを全面的に『ネヴァー・マインド』のエンジニアであるアンディ・ウォレスにミックスさせるという提案も持っていたという。思えば、『イン・ユーテロ』のオリジナル盤のサンクス・クレジットの最後にはアンディ・ウォレスの名がある(しかし、前作のプロデューサーのブッチ・ヴィグの名はない)。ウォレスへの打診、あるいは実際に彼に作業させたことがあったのかもしれない。

 『ネヴァー・マインド』は自分達では聞く気がしないアルバムだと公言していたバンドにとって、それは承服し得ない提案だったはずだが、面白いことに、『イン・ユーテロ』の20周年記念盤を繰り返し聞いてから、僕は『ネヴァー・マインド』でのブッチ・ヴィグとアンディ・ウォレスの仕事もよく理解できるようになった。『ネヴァー・マインド』が制作されたLAのサウンド・シティは80年代にはLAメタルの拠点となったスタジオだ。『ネヴァー・マインド』はそのハードネスを踏襲していたし、一方では大ヒットした「スメル・ライク・ティーンズ・スピリット」に顕著なように、ヒップホップ的なループ感覚のあるドラム・サウンドも持っていた。さらに、バンドはパンク・ロックのスピリットを持ち、ソングライターのカート・コバーンはビートルズ的なメロディー・センスも備えていた。

 ブッチ・ヴィグとアンディ・ウォレスのプロダクションはこれらの要素をバランス良く融合して、アルバムを90年代初頭の音楽界にジャストフィットするものに仕上げていた。テクニック的に言えば、ヴォーカルやギターのダブリングやモジュレーション・エフェクトの多用、サンプルを使ったドラム・サウンドの入れ替えなどが、『ネヴァー・マインド』のサウンドを特徴付けている。アンディ・ウォレスが『イン・ユーテロ』をリミックスしていたら、そうしたテクニックを駆使して、完璧なコマーシャル・ロック・レコードへと作り替えていたに違いない。しかし、そうしたエンジニア主導のプロダクションの中では、ニルヴァーナというバンドは素材に過ぎず、それゆえ、彼ら自身は『ネヴァー・マインド』を聞く度に、疎外感を感じずにはいられなかったのだろう。

 2年後、同じバンドをスティーヴ・アルビニは、ウッディ・ガスリーのレコードでも作るかのように録音した。20周年記念のDVD付きボックスセットのブックレットには、バンドからのオファーを受けたスティーヴ・アルビニが、彼らに送った4枚のファクスが収録されている。その最後には、ギャランティーについて、こんなアルビニの要望が述べられている。

 レコード会社は私が1%か1.5%の印税を要求すると思っているだろう。300万枚のセールスを挙げたら、それは40万ドルほどになる。しかし、そんな法外な金額は受け取れない。私へのギャランティーはバンド自身が額を決めて、バンド自身が支払うように。私はPlumberのように支払いを受けたい。

 Plumberという単語が分からなかったので、辞書で引いてみると、「配管工」だった。スティーヴ・アルビニの徹底したリアリストぶりが窺える言葉だ。その言葉を噛み締めながら聞く20周年記念盤の「オール・アポロジーズ」や「レイプ・ミー」や「ダム」は、リアルなアメリカン・フォーク・ミュージックとして胸に迫ってくる。アルビニはヴォーカル録音でも離れた場所にルーム・マイクを置いているようで、その響きがカート・コバーンというソングライターの強さと弱さ、そして、スタジオの中でもひとり孤独だった姿を浮かび上がらせているようにも感じられる。

(2015年8月)

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