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現代アート論(2)―現代アートのマーケットのメインストリームは、どうなっているのか?

歴史がないはずの現代アートの世界で、昨今のマーケットとくに現代アートを扱うギャラリーが集結するグローバルなアートフェア、なかでももっとも代表的なArt Baselのバーゼルと香港を一瞥すれば瞭然だが、折衷主義的作品が満開である。
ここで言う折衷とは、モダンとポストモダンの様式的なパスティッシュということだ。そのようになったのは、やはりポストモダンによる歴史の終焉宣言と無関係ではないだろう。というより、歴史が終焉したポストモダン以降、皮肉にも歴史的な行き詰まりが常態化した現代アートのマーケットで、新商品を開発し提供することが困難になり、プロト・ポストモダンの第一、第二世代のセレブアーティスト、ダミアン・ハースト(見出し画像)、ジェフ・クーンズ(文中の画像)、奈良美智、村上隆らの作品と、大手から若手ギャラリーまで、彼らが期待する未来を託した少数の新人エリートの間の裂け目に、マーケットへの供給の埋め草として折衷主義が案出され大量生産されたのである。そこでは、歴史の終焉後に表現のリソーシスの枯渇を隠蔽し誤魔化す戦略として、既成の素材の使い回しが当然のごとく行われている。

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とはいえ、新商品が開拓されない以上、言い換えればパラダイムシフトが起こらない感動欠乏症の世界にあっては、折衷主義は苦肉の策とはいえマーケッティングのベストな選択だろう。
以上、長々と説明してきたが、ポストモダンが仕組んだアートの終焉を煽る歴史的閉塞状況では、これが最適解であり、なおかつ名前や価格で顧客を引きつけ売りつける荒っぽい商売ではないやり方では、このオプションしかない。
というわけで、今や世界のアートフェアでは一強のArt Baselの会場の中心に飾られるのが、このモダンとポストモダンの折衷主義の作品群となった。
モダンとポストモダンの良い所どりの表現であり、両方の「大きな物語」の崇高さを兼ね備えた大様式でありながら、その受け狙いのさもしい策略ゆえに、本来の重厚さに欠ける軽薄な表現である。

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