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現代アート論(1)―アートに歴史はあるか?と問わなければならない。

ポストモダンは歴史が終了すると宣言した。彼らは歴史を認めていたのだ。ポストモダンの誤謬は、歴史があると考えた点にある。その意味で彼らは、ポストというよりアンチ・モダン派に属する。
アートに歴史はない。出来事があるばかりで、敢えて言えば諸々の出来事の連なりが歴史と呼ばれるのだが、その出来事のどれ一つとして時間的な規定を持たない(この出来事の定義は、小泉義之氏の「ドゥルーズの哲学」からお借りした)。とすれば、ピカソ(出来事、見出しの画像)は時間がなく、デュシャン(出来事、下の画像)にも時間がない。

だが、ピカソとデュシャンの間には時間が流れていると感じられ、歴史の歯車が動いていると確信される。
このように歴史は幻想だが、幻想でない歴史はない。つまり歴史は一つの虚構の物語なのだ。現代アートに、歴史に属する現代はなく、したがって歴史はない。それをひねって言えば、歴史なき歴史がある。それは虚構の物語である。ピカソからデュシャンへ幻想の架け橋(歴史)が構築されるのだ。
ピカソもデュシャンも実在(誕生し死亡した)したがゆえに歴史も存在すると、素朴にも思い込んでしまうのだ。彼らの場合、二人は同時代人だから歴史的に相前後するはずはないと迂闊にも信じる。歴史は、そのようなあやふやなものでできていて、それ以外の歴史は存在しない。いかようにも歴史の道筋を捏ね回すことができるのだ。
歴史は終わらない。歴史があるからではない。初めからなかったからだ。ポストモダンの根源的な誤謬の「歴史は終わった」は、ポストモダンのアートを幻想にする。だが、幻想の歴史ではない。歴史なき幻想つまり歴史の徒花にするのだ。かくしてポストモダンは、自らに終止符を打つのである。

追記 理念のある歴史がある。ならば理念のない歴史があってもよい。前者はモダンまでのアート、後者はポストモダンのアートである。歴史に理念があるかないかを考えないほうがよいのかもしれない。

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