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2019年の現代アートを回顧する――世界のアートはグローバルからローカルへと旋回した!(4)

6.ローカルな表現は東南アジアを目指す?!ーーアジアで開催されているビエンナーレからーー

東南アジアが燃え上がっている。その火の手を勢いづける謎の風の正体は、メコン川から吹いてくるのか? アートを/が育成するコミュニティ(容器)と、不可視な他者(アートを賦活するエネルギーの源とモティーフの源)の関係は、いかに?

ヨーロッパに風が吹くはずの2019年だったが、後半から年末にかけて、アジアの国際展がにわかに騒がしくなっていた。それは、間違いなく来年に継続されるだろう。真打ちは、2020年の東アジアのビエンナーレ(光州、台北、上海)なのだから。
だが、こと現代アートに関するかぎり、東南アジアがアツい!
なぜ、このように盛り上がっているのか?
その謎を解き明かす旅を、今年の終わりに試みた。目的地は、シンガポール(6_1)、バンコク(6_2)、台中(6_3)である。台中は東南アジアではないが、そこで開催されているビエンナーレが、東南アジアに注目していた。後出のZomiaの話題が、そこに含まれていたのだ。

6_1.シンガポール・ビエンナーレ

会場の一つ、ナショナル・ギャラリー(47、旧最高裁と市庁舎。48、1945年日本の降伏調印が行われた場所としても有名)の展示を見てもらおう。

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と、その前に雨の日曜日の昼、National Galleryに行く手前で、屋根付きの通路にたむろする人間たちの異様な集団(49)と遭遇した。彼らは、シンガポールに来た移民(出稼ぎ労働者)ではないのか? 彼らは休日で都心にピクニックにやってきたのではないか? しかし生憎の雨で、それを避けるために通路に集合していた。彼らは、思い思いに仲間としゃべり、食事を摂っている。彼らは、シンガポールにとって、どれだけ他者なのだろうか? アフリカン・アメリカンが被写体となったメイプルソープの写真集「Black Book」があるが、それを引用したグレン・ライゴンの作品が主張したように、マイノリティはつねに不可視ではないのか。

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ビエンナーレ会場で最大の広さと参加人数のNational Gallery(47)では、発掘された物故アーティストの作品(美術館は歴史を見直す場所でもある)が目立った。
そのなかの一人を紹介する。フィリピン系アメリカ人Carlos Villaである。

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彼のポエティックにして動物的な作風(50)は、物静かだが比類ない力を備える。ビエンナーレのタイトルの効用(正しい方向であれば、どのような歩みでも構わない)によって見出された作品だろう。
絵画では、一見ステレオタイプな形式の風景画(51、タイのPophonsak La-or)だが、アジアの移民が移動先で眺望するだろう故郷との壁の高い山々が、ステレオタイプすれすれの無表情なプロフィールを並べて不気味な光景が前面に現れる。 

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同じようにイメージの対比はステレオタイプだが、Vong Phaophanit(ラオス) and Claire Oboussierの横長の映像作品(52)は、ヨーロッパとインドシナ両方の川の水が合流するとき、移民の移動元と移動先の対比が溶けて一つの流れになる。それをきっかけとして、ディアスポラの家族の秘めたる思いが堰を切ったように溢れ出す。その感情を掻き立てる風は、果たしてaura=breeze(映像のなかに現れる言葉)だったのか?

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アウラから外に出て(out of)、私が熱風(バンコクで感じた)と思われたものは、メコン川に吹き渡るあのブリーズだったのか?

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さて、LASALLE University of the Artsのビエンナーレ会場(53)は、大学の自治(学問の自由)の保証があるので、アカデミックであると同時に、社会的、政治的にラディカルな内容の作品が多かった。
フィリピンの社会状況を仄めかすような不穏だが洗練されたパフォーマンスを披露したGary‐Ross Pastranaのインスタレーション(54)。

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南アフリカの黒人女性アーティストのTracy Roseは、今回は彼女本来のメディアであるヴィデオではなく、差別への怒りを表現する暴力的な雰囲気のドローイングを展示(55)。

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タイのArnont Nongyaoは、市場のエネルギッシュなカオスと喧騒を、複数のモニター(56)をスペースに散りばめることで演出した。

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しかし、この会場でもっともインパクトがあった表現は、政治的にラディカル(過激、根源的)な作品「From Where Labor Blooms」(Mark Sanchez)だろう(冒頭の写真)。現代の暴君の一人が統治するフィリピンの社会(政治、経済)を丸裸にする学術研究プロジェクト。フィリピンの政治・経済構造とそれがもたらす社会状況(労働、搾取、事件、抵抗)をトータルに精密に描き出したドキュメントのインスタレーションである。フィリピン社会を分析する精緻な概念的枠組み=明瞭なダイヤグラム(フィリピンの優れた社会学者Mamitua Saberによる社会構造のスキームを基にした)、アーティスト・コレクティブのForensic Architectureの方法に端を発する徹底したリサーチ、大量の資料(文献、データ、写真および映像ドキュメンタリー)作成と、それらの密接な関係を表す配置。
内容の圧倒的情報量がもたらす説得力で、批判の強度を最大限に引き出す。今ビエンナーレ随一の内容勝負の凄みのある作品だった。それは、アカデミックな調査・分析であると同時に、痛烈な社会批判でもあるのだ。

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