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2000~2010年代の銭湯(その3)

この投稿記事は、前回記事の「2020~2010年代の銭湯(その2)」からの続きになります。

~8: 昭和サウナの空間イメージ

旧来の(少なくともバブル崩壊以前までの)サウナ施設に対する私の中の空間イメージは「ガウンを着たオジサン 、タバコの煙、蛍光灯の光、アルコール」というのが正直なところです。つまり男性サラリーマン、ビジネスマンをメインターゲットとしていると思われる、良い意味でも悪い意味でも昭和イメージの施設タイプです。当時のサウナ空間の指向性を否定する気はありませんし、高度成長期を支えた時代背景ですからそれも当然だと思います。むしろ当初からオリジナルコンテンツと想定される、ロシアのバーニャやフィンランドサウナにみられる空間とは異なる方向性、空間イメージを志向していたことを興味深く思います。そこには日本独特のカスタマイズ文化が宿っていますし、今のサウナムーブメントでイメージされているサウナのあり方ともまた違う価値観があり、そのギャップに面白さも感じます。

さてそんなサウナムーブメントは銭湯業界の流れにどのよな影響を与えたのでしょうか?「公衆浴場史」によると『昭和44年に埼玉県には銭湯が380軒あって、そのうちの50軒にはサウナを併設した』との記録があります。戦後、東京の銭湯数が減り始めたのがちょうど昭和44年。数の上では最盛期ですが、その後の時代の変化=「家庭風呂の普及が当たり前になる」を予見し、日常の入浴行為にサウナ施設を付加価値として当時すでに導入が進んでいたことがわかります。全体としては、サウナの導入だけでは銭湯数の減少を食い止めることはできませんでしたが、その導入の動きが意外に早かったことがわかります。

~9: 銭湯のサウナ

ではあらためて銭湯にとってのサウナ空間とはいったいどのようなものなのでしょうか?施設の性格上(料金体系的なことにも関わるのですが)入浴料金が価格統制されている銭湯の料金は「入浴料金」についてのものであり、サウナに関しての料金は含まれていません。つまり銭湯におけるサウナ空間はあくまで「従」または「オプション」という設定になります。たまにサウナ無料の銭湯がありますが、大抵の銭湯はサウナが別料金となっており、またサウナの料金だけは店によって異なるのはそう言った事情によるものです。

銭湯では改修時にサウナが付帯される場合、たいてい男女の浴室間に設置されるか、古い木造銭湯では脱衣室の一角に設定されることが多いです。銭湯においては限られたスペースをいかに有効に使うのか?ということが常にテーマとなります。この命題のため設計段階から、いかに諸機能をバランス良く配置するか?が非常に重要となります。サウナの機能空間を大まかに「サウナ室/水風呂/休憩(整い)場」と考えると休憩場が十分に取れないケースも多いです。簡単に言えばサウナ専門の施設に比べたらやっぱりコンパクトなスペースに設定されます。露天風呂があったりする場合は、休憩場がそのスペースとして設定されることになるでしょう。

もちろん新築銭湯の場合は比較的スペースバランスの自由度が高くなり、あらかじめ動線=水風呂との関係やスペースバランスなどを考慮して配置しますが、それでもやはり十分に広いサウナエリアがある銭湯はそれほどありません。十分なスペースがないことも多いのですが、それでもやっぱり身近に気軽に、そして安価にサウナ&水風呂を楽しめるスペースがあることは利用者としては嬉しいことですし、ギュッと凝縮された濃密な機能空間それこそが銭湯サウナの魅力と言えるでしょう。

もう一つ銭湯におけるサウナの特徴は「ミスト(蒸気)サウナ」が多いこと。まだ古い銭湯が比較的多く残っていた2000年〜2010年頃までは、この蒸気サウナを多く見かけました。蒸気サウナが多く導入された理由は、おそらくコスト面の理由によるものではないかと想像します。ドライサウナは内装費用、設備費用とも蒸気サウナに比べてイニシャルコストが高くなりますし、それだけでなくランニングコストの面でも高くなってしまいます。ドライサウナでは座面や床などに敷くタオル交換が必要だったり清掃の面でもミストサウナに比べると手がかかります。銭湯のミストサウナは基本タイル張りなので洗い流すだけで良いのに対し、ドライサウナはそうもいきません。木を用いておりますので数年で内装を張り替える必要もあります。要するにミストサウナは手がかからない。運営側からすれば「楽」なのです。

なんとかコストを抑えて銭湯空間への付加価値付が目論まれたミストサウナですが(一部のファン層がいるものの)近年その数はめっきり少なくなってきてしまいました。しかし近年のサウナーや銭湯マニアの人たちは、このようなある意味「廃れゆく」銭湯の蒸気サウナにすらその個性とサウナ体験の喜びを見出されているハードコアな方もおられ、やはり温浴習慣を多様に楽しむことができる日本人の感性の豊かさを再認識します。ただ残念ながら今となっては銭湯のミストサウナは温浴業界で「レアアイテム」になりつつあると言えるかもしれません。

ゆっこ盛岡 1 / 1 (1)


話は変わりますが、フィンランドのサウナも日本の銭湯と似たような状況にあり、都市部における公衆サウナの数が激減しています。しかし一方でレストランやバー、あるいは普通のホテルなどにもサウナ室がついていたりすることが珍しくありません。家庭用サウナの普及などにより公衆サウナの数は減っていますが、商業施設に付帯する(半?)公衆サウナの形にかわって存在していたりします。そもそもフィンランドのサウナは基本水風呂がありません。代わりに外気浴スペースや、シャワー、海、湖があったありするのですが、都市部の商業施設に付帯する類のサウナは「サウナ室/水風呂/休憩(整い)場」が十分に広いというわけではありません。それでもサウナの統一形式など無いですし「日常の中で温浴体験をいかに楽しめるのか?」を大切なのかなと感じます。コンパクトな空間でも提供する側の工夫と利用者の気遣い次第で温浴体験はどうにでも楽しめるし、そういう意味で、フィンランドの商業施設に付帯する公衆サウナは意外と日本の銭湯サウナの感じに近いフィーリングを感じました。


~10: 銭湯が選択肢として認識される

サウナ文化の広まりは温浴施設ユーザーの拡大と交差を産み、温浴文化全体が新たな目線で捉えられるようになってきたように感じます。あくまでも皮膚感覚の話となりますが、銭湯がサウナを通じて他業態施設と同列の視点で選択肢になった感があり、これは今までになかった流れだと感じています。

もちろん日本人は言うまでもなく風呂好き。温泉旅行はブームというより普通に一つの文化。温泉旅行という定番レジャーを主軸に温浴施設の主流トレンドは、サウナ〜健康ランド〜スーパー銭湯〜サウナと多様化しつつ流れてきました。高度成長期以降現在まで、それら施設全体の総数は実はそれほど変わりがありません。銭湯の総数だけは確実に減り続けて来ましたが、温浴マーケット全体が縮小しているわけではないのです。(少なくともコロナ以前までは)

銭湯とは、多様な選択肢がある日本の公衆入浴文化の中で、最も日常に近い施設」と私は捉えています。それぞれの温浴カテゴリーがそれぞれの役割を担っていて、TPOによって使い分けられています。端的に言えば銭湯は「最も日常的な非日常的空間」という位置づけになると思いますが、私はこれまで「多様な温浴文化の楽しみの選択肢の一つ」として銭湯が認識されることが、銭湯活性化の重要な要素だと考えて来ました。

サウナムーブメントは、銭湯が温浴文化の「選択肢として認識される」流れを後押ししたという意味で、銭湯にとってもとても意義あるムーブメントだと感じています。もちろん全ての銭湯がサウナ付きというわけではないですが、ムーブメントの盛り上がりによって全体が恩恵を受けないわけはありません。例えば「冷温交互浴」の広がりはもちろんサウナムーブメントと無縁ではありません。

そもそも日本の入浴文化の起源は岩風呂/蒸し風呂です。つまりサウナ的な、蒸気浴空間が日本の入浴空間の起源であるとも言えます。いわんやそのような原始入浴空間は世界各国で見られたものでもあります(*4)。また日本の近代風俗史的観点から見ると、銭湯とサウナは「再発見された昭和的温浴文化」という意味で兄弟関係のような業界とも言えます。
いずれにしろ、新たなユーザーの獲得やクロスオーバーは銭湯にとって大きな刺激となったと言えるでしょう。

→(*4)日本の入浴習慣の原点については「風呂とエクスタシー」吉田集而著(平凡社選書)に詳しく書かれています。


「その4」へ。さらに続きます。



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