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トマトと卵の中華炒め(番茄炒蛋)

この時期になるとよく思い出す。俺は学生時代、とある夏のイベントのスタッフをしていたことがある。

海外の大学生と日本の高校生が交流するイベントで、約1週間宿舎で寝泊まりしながら、大学生が高校生向けに自分の研究の講義を展開する。

それ以外にも、世界を舞台に活躍する人や、ベンチャー企業の社長などを呼んで講義を開いてもらったり、日本の伝統文化を海外の学生に体験してもらうワークショップなどもあり、内容が非常に充実したイベントだ。

大学4年の頃、同じ研究室の先輩にこのイベントを紹介されて「1週間タダ飯が食えるから」という安直な理由だけでボランティアスタッフとして参加したが、これがとても楽しかった。

高校生はみんな素直だし、スタッフはみんな気さくで話しやすかった。俺の仕事は雑用全般だったが、とてもやりがいがあった。

俺は自分で言うのもなんだが、かなりフランクで接しやすいタイプなので、高校生からは大人気だった。

その翌年、俺が修士1年のときも開催されることになり、仕事ぶりが認められて今度はボランティアスタッフではなく、実行委員として参加することになった。

そもそもそれが間違いだったのかもしれない。

自分の研究そっちのけで準備した担当のプログラムは抜け穴だらけで、プログラム当日に実行委員長から散々叱られた。

担当した高校生のグループの男子高校生の1人はどこか頭がおかしくて、プログラムの途中で全然顔色が良いのに「具合が悪い」「食中毒になった」と言われて病院に連れて行き、最終的に帰宅させた。その際、彼の父親から「管理体制はどうなっているんだ」と詰め寄られた。

その後同じグループの女の子がその男子高校生に言い寄られていることが判明し、大問題に発展した。

彼は最終的にストーカーのようになり、「閉会式が終わったら会いに行くから待ってろ。」と彼女にメッセージを送ったらしい。

彼女は震えが止まらなくなって泣き出すほど怯え、プログラム終了後はその女の子が無事に駅に移動するまで、俺をはじめとするスタッフで周囲を警戒しながら送り出した。

だが、辛いことばかりではなかった。オープニングで歌舞伎の衣装を着て口上を述べるのは今後の人生では絶対に経験できないことだったし、深夜までスタッフと準備するのは学園祭のようでとても楽しかった。

しかし、一方で俺に対する周りの評価はあまり良くなかったようだ。俺は嘔吐して泣き出すほどに頑張ったため、翌年も実行委員として参加させてもらうよう立候補したのだが、ボランティアスタッフにも引っかからなかった。

当時担当していたグループの高校生達も、ストーカー高校生の一件があったにも関わらず、特に俺に対して恩義は感じていなかったようで、俺抜きで同じグループの高校生と海外の大学生と京都旅行に行った写真をSNSに上げていた。

俺は、自分が仲間はずれにされることが、この世で一番嫌いだ。

大学生スタッフの中にはこのイベントでの出会いがきっかけで結婚した人や、世界に羽ばたく人がたくさん出たが、今の俺には何もない。

もう5年も経つのに、俺だけがあの夏に取り残されている。

まぁいい。考えたって辛いだけだ。いつまでもウジウジ考えていたって誰かが「可哀そうだね」と慰めてくれるわけじゃない。たとえ慰められたとしても、気分が晴れるわけじゃない。いい加減大人にならなきゃいけない。

気分を変えるためにはやっぱり美味いものを作って食べるに限る。トマトと卵があったので、中華炒めにすることにした。

ネギは斜め切り、トマトはくし切りにして、器に移す。卵は3つ割って、中華だしペーストを2cmほど入れて研いでおく。

フライパンにごま油を引いたら、寮の共同キッチンへ持っていく。強火で加熱し、フライパンから煙が出始めたら卵を入れる。

卵が半熟くらいになったら器に戻し、トマトとネギをフライパンで炒める。ここで卵と一緒にしてしまうと、卵が野菜の水分によって固まらなくなるため、別々にしておくのだ。

野菜からある程度水分が飛んでしんなりしてきたら、先程の卵を戻して醤油と酒、塩コショウで味を調えて、皿に盛りつける。

トマトと卵の中華炒めだ。本場では番茄炒蛋(ファンチェチャオダン)と呼ぶらしい。大抵の中華料理屋のメニューに載っている中国の家庭料理だ。

「そういえばあのイベントの打ち上げも中華料理屋だったな。」と思いかけて、思いとどまった、どうも今日の俺は感傷的になりがちだ。古い思い出にとらわれてはいけない。考えを打ち消すようにトマトと卵を口に運ぶ。

炒めたトマトと卵の相性は抜群だ。彩りと味のアクセントに入れたネギも良い仕事をしている。ネギってのは食卓の名脇役だからな。

味付けはシンプルだが、だからこそトマトのうまみを引き立てている。こいつは箸が止まらなくなる逸品だ。

腹がいっぱいになったら、悲しい気持ちはどこかに消え去った。たまには思い出に浸るのもいいが、ただでさえ誰にも会えないので、辛い思い出を振り返るのは、ドツボにハマってふさぎ込んでしまう原因となる。

俺にはまだこの横浜でやらなきゃいけない仕事が山のようにある。過去を振り返ってクヨクヨするよりも、前を見て一歩ずつ進まなきゃいけない。休みが明けたら、前だけを見て、日々を過ごそう。

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