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カツ丼

今月は労働基準法抵触ギリギリまで残業した。

かなりくたびれたが、それはそれで達成感はあった。今までの人生の中でこんなに働いたことはなかったからだ。

ここ1ヶ月くらいで俺は意外にタフだということがわかった。

日中は現場の仕事をして、残業時間で自分の仕事をするという、かなりハードな仕事内容にも関わらず、毎日体調一つ崩さずにきちんと出勤できたというのは、それだけで価値があるように思える。

10時間残業した翌日も、眠気は酷かったものの、きちんと出勤して定時まで働くことができた。

むしろ体調を崩して休みたいと思った程だ。

もちろん、世間には俺以上に辛い仕事をしている人もたくさんいると思うが、今回俺に限って言えば、今までの基準からして、やっぱり今月はたくさん仕事をしたと思う。

なんだか自分の許容範囲が広がった気がして少し自信がついた。俺はまだまだ大丈夫みたいだ。

そんなわけで、勤怠締日の金曜日。いつもより早く目が覚めた俺は、久しぶりの三連休に胸を弾ませながら、意気揚々と出社した。


そんな俺を待っていたのは、さらに厳しい現実だった…。

詳しくは業務内容に関わるため差し控えるが、他部署のミスで旗日に出社しなければいけなくなったのだ。

正直オペレータに仕事を丸投げして、自分ひとりだけ逃げおおせることもできたと思うが、今のオペレータからの俺への信頼は、ようやく少し持ち直したくらいで、何かあればまた失墜するという状況だ。

そのため、ここで休出をお願いすれば、また「あーやっぱりそういう奴か。」と思われかねない。

口では
「あーそうですか。しょうがないですね。わかりました。休出します。」
と言っておきながら、心の中では
「なんでお前がやらないんだ。せっかくの連休なのに。」
と思ってしまうのが人間の性だ。

それだけのことで信頼関係が崩れてしまう可能性もある。

そのため、俺は今後の自分への投資と考えることにして、「私がやります。」と返事をした。俺は休出の申し出のメールを打ちながら、自分の引きの悪さを呪った。

何とか自分を奮い立たせてはみたものの、せっかくの休みが潰れるのは悲しい。

それにミスをした他の部署の人に対しての怒りも抑えられない。なんで俺が他の人のミスのとばっちりを食らわなければいけないのだ!

少し大人の考え方を持つ読者なら「それが会社ってものさ。割り切って仕事しないと。」という人もいるかもしれない。その考えも理解できる。

しかし労基法に触れるギリギリまで残業した勤怠締日に、「来週の旗日に出勤しろ。」と言われて冷静でいられるわけがない。一ヶ月精一杯働いたのに、この仕打ちはなんだ!

感情を殺して仕事をするくらいなら俺はまだまだガキでいい!

ともあれ、明日は休みだ。ようやく体を休めることができる。俺は帰宅後すぐベッドに倒れこんで、そのまま眠ってしまった。


そして迎えた翌日の土曜日。朝一番で現場から電話があった。

今朝の時点で流動すべき製品が前の工程で止まっていて、仕掛がゼロとなり現場が止まるとのこと。

こ れ も ま た 他 の 部 署 の 担 当 者 の 指 示 漏 れ が 原 因 だ っ た 。

とりあえず自分の現場のオペレータには付随作業を言い渡し、他部署の担当者に電話をかけて急遽対応してもらうように指示をお願いした。電話を切ったあと、俺は再びベッドに倒れこんで呻いた。

俺のミスでトラブルが起きるのは、自業自得だからしょうがないと割り切れる。

だが、なぜこんなにも他の人のミスに振り回されなければいけないのだろうか。

一体俺が何をしたというのだろう。なぜこんなにも俺は報われないのだろう。

外は雲一つない秋晴れなのに、俺はすっかり気持ちが沈んで何もする気が起きなくなった。そのまま眠りに落ちた。

昼頃、目が覚めた俺はまだ憂鬱だった。

たっぷりと寝たはずなのに、目の下のクマが一層濃くなっている気がする。

このままではいけない。気持ちを切り替えるためには美味いものを作って食うに限る。

俺は近所のスーパーに行き、惣菜コーナーにあったロースカツと入口近くにあった2玉で100円の玉ねぎを引っ掴んでかごに放り込んだ。

帰宅後、麦飯を仕込んで、玉ねぎ半玉を千切りにし、ロースカツも食べやすい大きさに切った。

麦飯の炊きあがりまで残り10分を切ったら、器に卵を2つ割って、フライパンに玉ねぎの千切りを入れて、水・めんつゆ・酒を同量、砂糖を大匙1くらい入れてロースカツと卵と一緒に寮の共同キッチンに運ぶ。

フライパンを加熱し、玉ねぎをしんなりするくらいまで煮たら、ロースカツを並べて衣にタレが浸みるまで煮る。卵はさっくりと混ぜて、フライパンに流し込み、半熟になるまで加熱したあと、1分程蒸らす。

炊きあがった麦飯にカツ煮を載せたらカツ丼の完成だ。

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カツの端っこを箸で引っ掴んで口に運ぶと旨味が口いっぱいに広がった。トンカツの端っこってなんでこんなに美味いんだろうな。

味付けも抜群だ。これなら普通の定食屋で出てきても文句はない。

あっという間に平らげてしじみスープで流し込んだら、少し気分が落ち着いた。

本当に心身を病んでいる人間は、ご飯も喉を通らなくなるくらい落ち込むらしいが、俺はむしろ食欲が旺盛になる。

多分食べることでストレスを発散しようとしているのだろう。

それはそれで危険な兆候だが、ちゃんとご飯が食べれるということは体がまだ活力を求めているという証拠だ。俺の体はまだ生きようとしているのだ。

ひとまず土日はゆっくり休んで、旗日は1日仕事を頑張ろう。


俺の好きな小説「太陽の塔」に以下の一説がある。

幸福が有限の資源だとすれば、君の不幸は余剰を一つ生み出した。その分は勿論、俺が頂く。

自分が今とんでもなく不幸であるとしても、その余剰分、世界のどこかでその分の幸せを受け取っている人がいるとするならば、俺の不幸にも意味がある。

そして今これだけ不幸なんだから、その分の幸せがいつか俺にも巡ってくるはずだ。

その幸せを享受するまでは、俺は死ぬわけにはいかない。

だから死ぬ気で頑張るんだ。

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