「みんな違ってみんないい」と言っている暇が無い、この世の中

こんにちは。

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2歳の娘です。
彩羽(イロハ)といいます。

見ての通り、目は大きくマツゲは長い、将来が楽しみな女の子です。

そんな娘のことで最近ちょっとネガ、ダークに入りかけていて、そこで気付いたことがあったので、お昼ご飯を食べる前に久々にnoteを書くことにしました。読んでください。

「集団行動が出来ない」「まえ出来てたことが出来ない」


僕は週2~3回、保育園に通っている娘のお迎えをしています。
この生活も1年以上やっており、保育園にいくたびに自分の娘の成長、またほかの子供たちの変化を見るのがちょっとした楽しみでありました。

ただここ最近、正直保育園に行くのが......気持ちが乗らない状態が続いてました。
というのも、
「集団行動が出来ない」「まえ出来てたことが出来ない」
と先生方から言われるからです。

発達障害なのでは?

的なことを、とっても言葉を選んで私は伝えられました。
(直接的な表現は言われていない)

なんとかセンターに行ってみては?と。

最初、私は「そんな2歳なんだし、出来ないことあって当然じゃんか」と思っていて、あまり本気にしてなかったです。

「はい、ありがとうございます。」
と先生には応対してましたが、だんだんと保育園にいく度に先生方の顔が曇ってるように見えて、子供たちも娘のことを避けているように見えてくるようになりました......

未来が暗くなると今が暗くなる

普段、気丈に振舞うようにしてはいましたが、だんだんちょっとダークに入ってきて「あ、やばい」と思うようになりました。

仕事も上手くいっているように思えなくなり、仕事があれだからプライべーもあれなのか、いやプライベートがダメだから仕事がダメなのか?

とにかく手を打たないとマズイぞ......

そこで僕は育児では先輩、仕事には上司の方に夜中20時ぐらいにLINEを入れました。

そうしたら
「いくらでもその年齢なら、あるあるすぎるから......」
と、即レスどころかマジレスが帰ってきて、本当に救われた気持ちになりました。

その時の心情をツイートしたのがこちらです。

不安の根源は大抵の場合「無知」ですね。

分かってはいたけど「違い」とは

ここまでツラツラ書いて、僕は誰かを批判したいわけではありません。

保育園の先生もいろんな子供を見ながらだから大変だし、そりゃ誰か集団行動しない子供がいたら困るだろうなぁ、と。
大人の世界でもそう。

とはいえ「みんな違ってみんないい」とかいうし、人と同じファッションいやだから「違いを作る」し、違いとはいわず「オリジナル」とカッコつけていうことも多々あるし。

違っていていいのか?
違っちゃだめなのか?

よく分からんすけども「違い」という言葉に時に不安になり、そして時には自分に都合の良いように使っている自分を振り返ると、繰り返しにはなりますが誰も批判できないし、むしろ自分どないなん?と反省をしました。

特に育児や教育でいえば、幼児教育や学校教育において違いを伸ばす、受け入れるのには限界があると思います。(新潟大学教育人間科学部学校教育課程英語教育専修を一応僕は卒)


だから、親である僕が、ほかの子と娘の違いで必要以上に不安になるのはナンセンスだなぁと思ったのと、不安というのは無知が根源であり、無知とはしょうがない部分もあれど、知る方法はたくさんあるだろうから、その方法を講じなかった自分はナマケモノだなぁと思ってもみたり.......

そんな感じで、いまは元気です。
娘も良い感じです。

昼食いただきます。


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