見出し画像

天然酵母とビートルズ

 営業中たまに「こちらのパンは天然酵母ですか?」とか「イーストを使ってないパンはありますか?」と聞かれることがあります。だいたい40代以降の女性であることが多いです。

 話を聞いていると「天然酵母のパンは美味しくて安心安全」「市販のイーストは不味くて身体に悪い」というようなイメージを抱いている人が少なからず存在すると感じます。僕の知人で飲食関係の40代女性も以前「イーストで作ったパンなんて不味くて食べられないよ。」と言っていました。

 そこまでは無くとも「なんか良く分からないけど天然酵母のパンは良さそう」と多くの人が思っていると思います。たまに雑誌などの取材を受ける時も「路地裏の隠れ家的な天然酵母のパン屋さん」という出し方をしたいという意図を感じる事があります。

 パン屋をやっていて本当に常日頃から感じることは、作り手であるパン職人と消費者であるお客さんの、パンに対する知識と意識の差があまりにも大きい。と言う事です。そしてそれは「天然酵母パン」というものが流行った時に引き合いに出されて各所で言われた「イーストフード=身体に悪い」という、間違ってもないけど正しいとも言えない情報によるものだと思います。

 「イーストフード」はパンを発酵させる「イースト」の餌であり改良剤で、発酵が促進したり冷凍に強くなったりします。そして一部人体に悪影響がある可能性がある製品も存在します。これの厄介なところは「イースト」と「一部のイーストフード」がごっちゃになり、「イースト」まで悪者扱いされてしまった所です。一方で「天然酵母」は言葉の響きの良さから持てはやされます。

 パンを発酵させるにはイーストを入れます。厳密にはパンを発酵させることができる有用菌「サッカロミセス」を遠心分離機で抽出して固めたものが現在市販されている「イースト」です。スーパーでもそれを乾燥させた「ドライイースト」って売ってますよね。純粋にパンを発酵させる機能だけの菌がそれです。人体に悪影響はありません。

 歴史を辿っていくと昔は市販のイーストなんか無かったので、果物などを発酵させたりして小麦粉と混ぜてタネを作り、それをパン生地に入れて発酵させていたそうです。それがいわゆる「天然酵母」です。発酵力は比較的弱く、その他の菌(主に乳酸菌)により焼き上がりの香り、旨味などに影響を与えます。(自動的に発酵時間も長くなり、熟成によるアミノ酸が形成されて旨みに繋がる要素もあります。)

 現在はそのような酵母を培養した「市販の天然酵母」というものがあり、多くのお店でも使われています。つまりこれを入れたら「天然酵母パン」が出来上がるわけです。多少パン作りを経験していれば素人でも簡単に出来ます。

 僕はそういうのも使いますし、レーズンから起こした酵母を小麦粉と混ぜて何年も継ぎ足して培養している「自家製の発酵種」も使用してます。効果は近いのですが、期待されるイメージと僕が表現したいことにズレが生じるので天然酵母という言葉自体を使わないようになりました。「天然酵母だから美味しいですよ」という事も言いません。

 「天然酵母パンですって事にしたいだけなら簡単にできるよ!」って作り手側はあまり発信しません。もちろん求めているもの次第でいくらでも難しくなるのですが。「天然酵母パンは取り扱いが難しく、素人には手も足も出ない。熟練のプロにしか作れないのだ…」とお客さんが思ってくれていた方が作り手が得なのだと思います。

 さてここでビートルズ。なんでここで唐突にビートルズが出てくるかというと、以前スタッフにした例え話が「分かりやすい!」と好評だったからです。ビートルズじゃなくても全然成り立つんですけど、世界的に評価が高いバンドとしてビートルズで例え話を進めます。タイトルにしたのは語呂が良かったから。

 ここでは「天然酵母」を「生ドラム」に置き換えます。そして「イースト」は「打ち込みのドラム」です。

 すごくおいしいパンを食べて、そのパンは天然酵母のパンでした。売っているパン屋さんも「うちのパンは天然酵母だから美味しいよ!」と言っています。僕は「天然酵母のパンって美味しいんだな」「今までイーストのパンを食べていたけど、天然酵母パンこそ本物のパンだな」と思います。

 これをビートルズに当てはめます。

 Let it beに感動して、レコーディングではリンゴ・スターが叩いています。CDショップの店員さんも「ビートルズは生ドラムだから素晴らしいよね!」と言っています。僕は「生ドラムの音楽って素晴らしいんだな」「今までYMOばっかり聴いていたけど、生ドラムで作られた音楽こそ本物の音楽だな」と思います。

 とまぁ、こんな違和感だらけの事がそこら辺で結構起きているんです。

 ビートルズが素晴らしいのは言わずもがな、メンバーも楽曲も全てが素晴らしいからです。決して「ドラムが打ち込みじゃないから」ではありません。素晴らしい音楽に対して「ドラムが生か打ち込みか」というのは要素の一つに過ぎず、表現したい音楽によっては打ち込みの方が良いのです。そりゃもう誰だって分かりますよね。

 美味しいパンも、「天然酵母であるか否か」は要素の一つに過ぎないのです。もちろんそれでしか出せない香りや旨みもありますが、それだけじゃ無い要素の方が格段に多いのです。でもそれを「天然酵母か否か」で判断させようとする文化になってしまっている事を感じる事が多々あります。楽なんですかね。

 これがお客さんとの知識の差、そして消費者が求めている情報に対して誠実に対応出来ていない作り手との意識の差だと感じています。「天然酵母」とはジャンルの一つなのです。

 なので僕は店頭に「天然酵母パン」というのぼりを大きく掲げているパン屋さんはその時点であまり期待しません。美味しいところもありますけど、やっぱちょっとお客さんに対して自分に都合の良い嘘をついちゃってるか、本当に知識無いかどちらかだと思ってしまいます。売り方の一つなんで何とも言えないですが、作り手がこの意識でいる限り僕が感じている一部の消費者との溝は一生埋まらないでしょう。

 音楽と同じで、パンとしての普遍的な正解は無いと思っています。買って食べた人が価値を感じて幸せになってくれればそれが正解です。ものは言いようとも言いますが、「作り手に都合のいい言葉」に頼ってばかりいるならば、それは今後長続きしないのでは無いでしょうか。それは音楽だとしても、商売ならどれも同じかなと思います。

頂いたお金で本を買います。