世紀末ウィーンのデカダンス〜滅びの美学〜
皆さんこんにちは、高島健一郎です。
10/21上演のシン・リーディング・コンサート「カフカの手紙〜ウィーンの恋〜」Note連載第4回目。
今回は19世紀末から20世紀初頭にかけてオーストリア・ウィーンで生まれた芸術の魅力、そしてこの時代に生まれドイツリートの頂点とも言われるフーゴー・ヴォルフの歌曲について動画で曲を紹介しながら綴っていきます。
一つ前の記事にも書きましたが、この時代のウィーンは「世紀末ウィーン」と呼ばれ歴史上まれにみる文化の成熟が起こりました。
現在もクラシック音楽界を牽引するウィーン国立歌劇場やウィーン楽友協会もこの時代に建設され、さらにヨハン・シュトラウス2世らによってウィンナ・ワルツなどの軽やかな音楽も生まれました。
シュトラウスのオペレッタやウィンナ・ワルツは今でいうヒットソングのような側面もあり、オーストリアが徐々にヨーロッパ随一の帝国から小国へと衰退していく過程で生まれた市民感情も作品の中に反映されています。
ウィンナ・オペレッタ最大のヒット作である「こうもり」の一節を例に挙げます。
"Glücklich ist, wer vergisst, was nicht mehr zu ändern ist"
「どうしようもないことを忘れられる人は幸せだ」
これはロザリンデという人妻を元彼のアルフレードが口説く場面に歌われるので、音楽は美しいし演技もコミカルなシーンです。
しかしこのフレーズは当時の国の状況を表したある種の皮肉でもあるので、ウィーンの当時の観客はこのシーンを笑いながら見つつ、心の中では衰退していく祖国オーストリアと重ねていたのかもしれません。
この「心の底にあるやりきれない想いや目の前にあるどうしようもない現実を皮肉とユーモアによって昇華する」というのがウィーン流のやり方で、それが現在にも続くウィーン人特有の気質や、街全体に流れるノスタルジック(懐古的)な空気の正体なんじゃないかと僕は思っています。
そういったある種の「滅びの美学」、デカダンス(退廃的)な美意識はこの時代の芸術に共通したものとして、カフカの文学作品にも、クリムトやエゴン・シーレの絵画にも、そしてフーゴー・ヴォルフの歌曲からも感じられます。
フーゴー・ヴォルフの歌曲、Verborgenheit(隠遁)をご紹介します。
この曲はヴォルフの代表的な歌曲のひとつですが、タイトル通りカフカの世界観にも似た「孤独」を音楽で表現しています。
カフカとヴォルフの世界観で共通しているのは、みずからをこの世界の中で孤立した存在であると感じ、また自身も孤独を求めるところです。
現実の世界ではなく、作品の世界の中で他者と繋がろうとしたのでしょうか。
もう一曲、Verborgenheitとは対照的に春の喜びを爆発的に表現したEr ist's(春だ)をお聴きください。
ヴォルフはこういった生き生きとした明るい曲も書いてしますし、カフカも恋人に宛てた手紙ではロマンチックな愛情表現をストレートに綴っていたりします。
さて、今回はヴォルフの歌曲を紹介しながら、世紀末ウィーンの芸術の魅力についてお話しさせていただきました。
次回はちょっと番外編として、僕が最近読んだ本や触れたアート作品について、そしてそれらを通して何を感じ、自身の活動にどんな刺激を受けたかお話ししたいと思っています。
今回も最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
高島健一郎
【公演概要】
シン・リーディング・コンサート 「カフカの手紙 ~ウィーンの恋~」
高島健一郎(脚本・翻訳・歌) / 藤川有樹(ピアノ) / 狩野翔(リーディング・声優)
公演日 2024年10月21日 (月)
開場 / 開演 18:30 / 19:00
会場名 すみだトリフォニーホール小ホール
住所 〒130-0013 東京都墨田区錦糸1丁目2−3
席種 全席指定
料金 前売:¥6,200(税込) 当日:¥6,500(税込)
チケット受付URL
https://eplus.jp/kafka24/