見出し画像

40歳になって20歳前後の教え子などと話して思うこと。 


ふと教え子と話してる時に言われたことがあります。

【84kenさんは沢山いろんなものを持ってるから良い。
でも自分には何もないので不安です】



それを言われ、そんなことないのになと思いながら20年前の自分はどうやったんかと、考えてみた。

あえて20歳-21歳の1年間の時のみの話をしていこうと思います。


20歳の時、僕は本当に特に何もしてなかったと言っても過言ではないと思うほど特に何もしてなかった。
変な自信はあるが、何にも芯がなく、コレというやりたいこともあったわけでもない。
ただ、お絵描きは好きやったなと。

教え子たちの話を聞いてると、留学したり、1人で旅に出たり、目標のために一夜漬けやなくちゃんと学んだり、好きなことを表現したり、興味あることのコミュニティーをどんどん広げたり、やりたいことで仕事をしたり、好きなことをとことん突き詰めたりしてるなと思います。

なりたい自分のために動いてる子が沢山いるんやなと思うことが沢山ある。

今は、どんな人ともどこでも繋がれる世の中で、何をしてええかわからんと言いながらもめちゃくちゃ自分の時よりも頑張ったり、かなり多い選択肢の中で選択を連続でしてると感じることが多々あります。

一方、当時僕はと言うと毎日酒飲んで、夜遊びして、授業は後ろで寝転んで聞いたり騒いだり、先生に反発して嫌われすぎて単位を落としたこともあった。
1週間の中で、バイトして、たまにスポーツをして、古着屋さんに服を買いに行き、好きな音楽漁って、ライブに行ったり中身のあることはしてなかった。
高校生の延長線上で自由度が少し増したくらいの生活を送っていた。
車では何度も警察にも捕まり、数回免停にもなった。

なんでこんな生活をしてたのかはわからんけど、きっと僕はコメディカルやトレーナーというものに興味が全くなかったから学ぼうという姿勢がなかったんやと今になって思う。

夢中になれないから、真剣になれないから、面白く無いからって、それを反発心や勉強しないといけない現実から目を背けたくてとか、楽しいと思うことだけに向けて誤魔化してただけなんかなと思います。
それはそれで良かった部分もあるけども、今となってはほとんどは今に繋がることではなく、その時の一時的なものでした。
意味のない時間を過ごしたなと思うことも多々あります。
まぁそれも学びかなと思えばそれはそれで良いけども、社会人ではなく大学生というのは自由度が高い代わりに、自分で何もかもコントロールして自制してやらなあかん時期かなと、そして何より大事なのが大学は教えてもらう場所ではなく、自分で学びを探して形にするために行くってことに後で気づきました。笑

そう考えると、比べるもんやないけども僕の教え子達の方がよっぽど優秀やなと思います。笑

まず、モチベーションややることの意味がわからないと思ってた先に原因としてあるのが、僕は大学進学の時に、学校を選んだ理由が【学校と家が近いから】という理由だけやった。

各県から資格を取るためにきてる友達には申し訳ないくらい理由がクソなわけだわ。笑
実際、トレーナーに本気でなりたいとか、治療家として凄くなるんだって考えを持ってる同級生は多々いた。

ただ僕は、『こいつは何言ってんの?』『何がおもろいん?』って思ってるところもあった。
いろんなところからいろんな志を持ってきてる子達は沢山いたなと思う。

なんでそんな志高いやつが多いのかって?

当時はそんなに全国でも学校も整備されてなく、いろんな資格も取れないし、こういった専門的な大学という場が数えるくらいしかなかった。
なのである意味、精鋭が集まってたのかなと思う。

そんな大学生活をしてる中で転機が訪れたのは三年。
スポーツコースと東洋医療コースに分かれるからどちらかを選択するというのがあった。

僕はなんも考えてなかったので、スポーツしてたからスポーツを選択した。
勉強も適当にしてればいけると思って大してなんもしてなかった。

新しいことや知らない世界に触れるのは好きやったからか、知識も何もないのに興味本位だけで現場帯同には沢山行った。
8割サッカー、残りは陸上、バレーボールなどでした。

最初は行く意味とかあんまり考えてなかった。
Jリーグ内定の選手や日本代表の選手もいる環境で経験を積ませてもらったが、ぶっちゃけ何が何かわからなかったし興味もなかった。
人は興味がないと凄い人と言われる人でも誰や?ってなるもんです。笑

そんな中でも少し活動にハマり、活動をするのがおもろく、その中で、今の自分から何か変えたいと思ってひたすら現場に行きました。
知らないことが沢山ある現場で、経験数だけめちゃくちゃ獲得したのは間違いですね。
救急対応への慣れみたいなのはそこから身につきました。
骨折や脱臼も起こっても冷静に対応できるようになってのは現場での数があったからかもしれません。

なので現場ばかりで遊びもせず、土日なんてほぼなくて、ひたすら現場に出てたイメージです。

まぁそれがきっかけで、今ではと言いますか、僕のことを知る人ならわかるけどスポーツや健康に関わる唯一無二の存在になったのか?
ん?
わかりませんけど、確立されたというところです。 

変態的な存在というか、パチモンというか、誰もあまり分かりづらい人なわけです。
正当なまっすぐな形では無いけど、【自分の形】を持ってやらせてもらってます。

でも決して、高校の時から夢があったりしたわけでも無いし、大学に入ったからと言って何かを目指してたわけでも無いというのが現実で、最初から何か持ってたわけでもやってたわけでもないです。

自分で自分を変えることをした。
自分の知ってる世界以外のことを求めたというのがやりだしてからのモチベーションだったのかもしれません。
まっすぐでは無いことで、沢山の壁に当たりました。

その自分が当たってきた壁も他の同年代の人たちが当たってない壁だから、
誰も経験してないなら自分で経験してやってやろうって気になって、全部ぶち当たってきたつもりです。
わからんこともいろんな人にも助けられ、自分なりに打開してきたなと思います。
やってることが不安になることもありました。
でも人が相手で体の事やから責任持たなあかんと思ってその当時は、教科書ばかりで現場のこともわからなかったのでめちゃくちゃ勉強したなと思います。

21-22歳になるころには、その時やりたいことがだんだんとわかってきてそのやりたいことにさらに没頭してたところはあるので、ここでようやく自分のしたいことの原型が見えたんだと思います。

そうやって現場に出続けて、自分の意識や見てきたことで必要と思ったことは『障害予防』でした。

特に何も考えてなかった、夢も目標もなかった20歳の学生に目標ができた時でした。
曖昧でどうやったら良いかわからないけども、肌感でめちゃ大事やと思って進み始めたのでした。

そう言ったことを感じながらも、その段階でもまだまだ行き当たりばったりでした。
学びながら走るってことをひたすらしてた気がします。

でも障害予防ってのは概念なわけで、【接骨院を営む】とか【ジムを営む】とか現実的なことでは無いので、
ええこと言うてるけど先生や先輩から『何いうてるんや』『どうするんや?』『金にならんやん』とか言われたことも覚えてます。笑


それでもその概念を心に抱いたまま
【色んな意味で何をするか決まってないというのは無限の可能性がある】
と勝手に自分で思ってひた走ってたなと思います。笑
自分で決めたことで何かをしたいというアバウトなイメージだけは持っていて、そこに障害予防という概念がしっかりと当てはまったという感じです。
だからこそ、何を言われてもブレずにいけたのかなとも思います。

いろんなことがしたいとなってきたら今度は

【形にハマるのが嫌だ】
【障害予防という概念を自分の考えに基づく中で実現したい】
【自分のしたいことを権力に邪魔されたくない】
【誰もしてないことをしたい】

という尖った価値観のみの概念で突き進んでたと思います。
今になって、就職してれば良かったとは一切思わないのでこの直感は正しかったと自分の中では理解してます。 

大学の3回生にかけて分岐点があったことや出会った人、意識を変えるために環境を変えたというのも大きかったのかなと今となっては思います。

今生きることや、将来とか、就職がとか思う人は、未来の心配なんかしても、今から動かないと何も変わらないし、動いて変わるもんでもない世界線があるかもしらん。
結局なるようにしかならんし、タイミングや運命もある。

不安になるなら動けって言いたいし、好きなことや、やりたいなって思うことに関して、将来的に繋がるかなんて考えなくても、心が動くことに対して今は動くことで何かしら繋がるんじゃないかなっていつも思います。

今この年になっても、大人が与える不安とかってのはほんま悪でしかないなって思ってます。
夢を見させてきたくせに、夢を現実に戻すことを言う。
死ぬまで夢みてて何が悪いねんてめちゃ思うんですよね。
お金がとかいうけど、夢叶えながら金稼いでる人や生きてる人なんて今の時代アホほどおるのに脳内停止してる人も一定数はおるよね。

なんでもええけど、自分の生きる時間なんやから変に惑わされんと自分軸で自分に芯を持って責任持ってたらええと思うんよね。

不安になる未来より、何かをしてワクワクしてる未来を描く日常を過ごしてほしいなって思います。

不安はあるかもやけど、今目の前全力で楽しんでたら不安なんてのはなくなるんですよ!
結局日々の積み重ねやから思考も出来ごともそれの積み重ねでしか人生ないんやからね。

一つ言えることは、今何もやりたいことがなくてもそのうち生まれるかもしれないし、内から湧き出るしたいことってのは自分で引き寄せれるかもしれないし、どのタイミングでやりたいってなるかもわからない。
今何もなくても不安になる必要もなく、今を生きればええんですよ。

自分は自分を信じる。
自分以外最後まで自分を信じてあげることもできんのですからね。
信じてあげることが大事やと思います。

夢がないとかやりたいことがないっていうてても、沢山悩んで迷ったらええと思う。
自分の人生やし生き方やからね。
若いうちはいろんなこと学んでいけば良いと思う。
僕も何もなかったし、今でもそんなんいうたら僕もみんなと同じ感情はずっとある。

だからこそ、自分のやりたいこと選択してワクワクしてたらいつかは好きなことが目の前にあったりするのかもしれないと思ってます

自信なんてどんなけ経験しても無いもんはないです。
踏み出してみないと知らない景色は見えない。
踏み出す前にやめたらまた同じ景色があるだけやったら、踏み出して違う景色を見てみるのもありかなと思います。
それが思いもやらない形できっかけになるかもしれません。
そして、それがやりたいことになるかもしれません。

まぁでもなにかをやると決めたら覚悟を持って取り組むってことが大事です。
飽きない逃げない諦めない。
そんな心意気で生きてた。
生き始めたのが20-21歳の期間でした。
この期間があるから今があると言っても過言ではないです。

ワクワクする時間を選択できるのは誰でもない自分だけですよ!

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?