JVCカンボジアからのバトン
7.26 - 8.1の振り返りとして。
JVCカンボジアの撤退を振り返る夜。援助に依存するということ
なんとカンボジアを始めいくつかの活動国からJVCが撤退する、というショッキングなニュースに触れたのはもう大分前の事。JVCは日本でNGOをやっている人なら知らない人はいないのでは、という老舗中の老舗。
そしてカンボジアでも国際NGO第一号としての登録であり、今も元々JVCが設立された職業訓練センターが現在はローカライズされて国が運営する形で残っていたり、と内戦以降のカンボジアの復興に非常に大きく関わった草分け的存在である。
そのJVCの撤退というカンボジアの国際NGO史においても一つの節目に、創設ボランティアであり現在JVCの顧問をお務めの熊岡さんと、副理事長の清水さんとイベントをさせて戴く機会があった。
日系NGOの方々、大使館の方々、JICAの方々に加え、企業の方々もいらっしゃり非常に濃密な時間を過ごさせて戴いた。まず最初はもうすぐ公開予定のJVCのカンボジアでの活動を振り返る映像をみんなで視聴。
本当に貴重な資料や証言を振り返る映像を見た後、光栄なことに僕がモデレーターを務める形で熊岡さんと清水さんにお話しを伺っていった。まさに80年代、僕が生まれた頃からカンボジアに関わって活動をされていた熊岡さん。「開発」という言葉が生まれる前のまさに復興支援を担われていた。
また清水さんがカンボジアに駐在されたのは主に90年代。NGOが社会の開発において大変大きな役割を果たした時期だった。
一方僕がカンボジアに最初に来たのが2002年、そして駐在を始めたのは2009年である。そこからの「現在」は、NGOはもはや大きな存在感はなく、より辺境の問題へ、より政府や企業の監視へとその役割をうつしてきた。
そんな僕からお二人のお話を伺って非常に心に残ったのが下記の言葉たち。レジェンド達の実践知だ。
「援助することへの依存」
何か「助けて」いるようで、実はそこにいる「助けている自分」の像に縛られるんだ、ということ。その言葉の重み。
依存してしまうことへの自覚をもち、手放していくことの大切さを改めて胸に刻んだ。
対等であること
御世話になったJVCの歴代のスタッフの方を見ていても率直に感じるのがこのスピリット。「カンボジア人」とか「貧しい人」といったラベルで人を扱うことを極力さけ、泥臭い人間と人間の付き合いをいつもされている。そしてその根底には「対等」であるという哲学を感じる。
今回の撤退のプロセスをお伺いしていても随所にそのJVCのイズムがあるように私の目に映った。言うは易く行うは難し、40年間貫き通せば石をも穿つ。
グローバルな関係への協調
カンボジアの中でカンボジアの国だけを見ていても今後のNGOの役割は見えなくなる一方だ。NGOが世界の流れと繋がりながらカンボジアによりよい「スペース」を作っていくことが今後の使命の一つではないかというご指摘。
「本当はPCMとかやらないとダメだったんだろうけど、必要とされることを何でもやってきたんだよな」
という言葉も印象的だった。確かに今の時点から振り返れば、プロジェクトの専門性、選択と集中という戦略性、資金調達の改革といったことにいくらでもダメ出しができるかもしれない。
その現場の泥臭さみたいなものを反面教師にして、スマートなNGOをやっていくことだってできるだろう。かつて2002年の僕らがそれを志したように。
でも、今僕らがカンボジアで日本人というだけで受け入れられること、NGOというものが「人が働く場所だ」と認識されていること。それらは本当にまさにJVCの皆さんのような人の泥臭さにすべて支えられてのことだ、ということは絶対に忘れないようにしたい。
JVCカンボジアからのバトン
この一つ一つの人への接し方、丁寧なプロジェクト、カンボジア人からの信頼。もしかしたらもっと沢山ある細かいノウハウ。40年間の中で築き上げた沢山のものが、今後もJVCさんの他の国への活動へとも引きつがれていくのだろう。
ただ、勝手ながら、僕らもカンボジアにいながらそのバトンを少し受け取らせて戴きたいと思えた、そんな夜だった。
40年間、本当にお疲れさまでした。
僕らはもうしばらくカンボジアで頑張ってみます。戴いたバトンを落とさないように。
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