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3-1 デザインにおけるクリエイション、透明な橋の見つけ方(3章:デザインのやり方)

前回の記事では、デザインにおけるクリエイションについて説明しました。エンジニアリングやデザイン思考と比較することにより、デザイン(狭義)におけるクリエイションは、ターゲットとアイデアを同時に想像・創造しながら、より良い納まりを探索するところが他のクリエイションと異なる点であると説明しました。今回はもう少し詳しく、それではどうやってその良い納まりを探索しているのかについて説明していきたいと思います。
もちろんこの記事を読んだからって、次の日からデザイン的クリエイションがビシバシできるようになるわけではありません。プロ野球選手のバッティングの解説で、いかに後ろの肘の使い方が重要かという解説を聞いたところで、ホームランを打てるようになるわけではありません。ただフォーム矯正には少しは役に立つかもしれませんが。はい、それでは出かけるとしましょう。

「そろそろ川原を歩きましょうか?」

研究室でプロジェクトを進めていく中で、アイデア出しが必要な段階になると私は学生に「そろそろ川原を歩きましょうか?」と声をかけます。大学の近くに川なんてないので、実際にメンバーで川原を歩くわけではありません。
どういうことかと言うと、プロジェクトがスタートして、最初のうちはアイデアの方向性をざっくり探るため、既存のサービスを調べたり、技術シーズを調査したり、デスクリサーチで関連する記事を集めたりします。これらの調査はある程度、論理的に進めることができますし、やった分だけ前進している感があります。一歩一歩足を進めた分だけ前に進むような、山の中を歩いているイメージです。
山の中をどんどん進んでいくと、ある時川にぶつかります。この先進むためにはこの川を越えないといけないのですが、泳いで渡れるような川ではありません。つまりこのタイミングがアイデアが必要となるタイミングです。
そして、この時これまでと同様に論理的な思考で強引に進もうとすると、どこかに橋はないか探すことになり、結局、みんなが渡る大きな橋を渡ってしまいます。つまり、全く新しくなく誰でも考え付く無難なアイデアにたどり着いてしまいます。

この時、私が言うのが、「見える橋を探したらダメだから。この川には、見える橋とは別に透明な橋が架かっていて、透明だからいくら眺めても見えないんだけど。そして、透明な橋を見つける唯一の方法は、勇気を出して川に飛び込むしかないから。まぁほとんどの場合、川に落ちてベチャベチャに濡れるんだけど。でもたまに空中で立てることがあって、それが透明な橋なんだ。」そして、私は「そろそろ川原を歩きましょうか?」と声をかけるのです。つまり、アイデアを生み出すためにブレストしましょうということなのですが、この河原をブラブラ歩くという感覚がとても重要なのです。

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ブラブラ川原を歩く時の心構え

川原を歩く時は、見える橋を探そうとしてはダメですし、最短距離で向こう岸に渡ろうなんてもってのほかです。ただひたすらみんなでダラダラ話します。ダラダラ話すので、オリジナルのテーマからどんどん離れていくこともよくあります。テレワークの話をしていたはずが、気が付くとARを使った未来の出会い系アプリの話しになったりします。遠くに来すぎたなぁと思ったら、踵を返してまた来た方向に向かってブラブラ戻ります。

みんなでダラダラ話すと言いましたが、単に雑談を楽しんでいてもアイデアは生まれません。川に飛び込まずに透明な橋を見つけることは不可能です。ブラブラ歩きながら、常に川を横目で見つつ、隙あらばどんどん飛び込んでいきます。アイデアを声に出してメンバーに説明することもありますが、声に出さなくても頭の中でどんどんアイデアを創造します。もちろん、そのほとんどは失敗です。でもそんなの気にしていては透明な橋は見つかりません。
アイデアはブレストしているメンバーの真ん中にフワっと舞い降りてくるわけではありません。サッカーと同じで、ゴールに至るまでに他のメンバーのアシストがあることもありますが、どんなゴールであっても、たとえオウンゴールであっても最後にボールを触った人は存在します。つまり、アイデアはメンバーの真ん中に生まれるわけではなく、誰か個人の頭の中に生まれます。

「あきらめずに飛び込み続けるんだ。」と言葉で言うのは簡単ですが、実際、あきらめずに飛び込み続けるのは決して容易ではありません。これまで透明な橋を見つけた経験がない学生なんかの場合は、最初は試しに数回飛び込んでみるのですが、もちろん見つかるはずもなく、「本当に透明な橋なんてあるのかなぁ?やっぱり向こう岸に渡るためにはあの見えてる橋しかないんじゃない?」と疑うようになり、それ以降飛び込むのをやめてしまいます。また他のメンバーが飛び込んで、その度ずぶ濡れになって戻ってくるのを見て、「あぁやっぱり透明な橋なんて幻なんだ。」「ひょっとするとあるかも知れないけど、この川には存在しないんだ。」と思ってしまいます。そんな空気がメンバー間に蔓延し、誰も川に飛び込まなくなり、口数も少なくなり、そもそもこのブラブラ散歩自体なんの意味があるんだろう、こんなの単なる雑談じゃないの、早く終わらないかなぁ。となってしまいます。
透明な橋の存在を疑うということは、既存のソリューション以外のアイデアの存在を否定することですから、メンバー全員がそう思ってしまったら、絶対に新しいアイデアなんて生まれません。

<余談1>学生がブレストしている部屋をちらっと覗くことがあるのですが、覗いた瞬間に「あぁこのブレストからは何も出ないかなぁ。」と感じることがあります。参加メンバー全員が、「このブレストから新しいアイデアなんて生まれるわけ無いよなぁ。」と疑心暗鬼になっているブレストからは絶対に新しいアイデアは生まれないのですから。

これに対してシリアルイノベーターと呼ばれるイノベイティブなアイデアをシリアルに生み出し続ける人がいます。なぜこの人たちは透明な橋をビシバシ見つけることができるのでしょうか?ひょっとすると特別な能力があって、透明な橋が見えるんじゃないかと思ってしまうかもしれませんが、恐らくですが、この人たちも普通の人と同じで透明な橋はやっぱり見えてないんだと思います。唯一違う点は、彼らはこれまで実際に透明な橋を見つけてきた経験と実績があるので、どんな川にぶつかっても、心の底から「きっとこの川にもどこかに透明な橋は絶対ある。」と本気で信じることができるのです。だからどんなにずぶ濡れになってもあきらめることなく何度も川に飛び込むことができ、最終的には見つけることができるのです。そして、この成功体験が透明な橋に対する確信をさらに高め、次またより確実に透明な橋を見つけることができるという好循環を生むんだと思います。
この「透明な橋を見つけられるんだ!」という自信こそが、IDEOの創業者トム・ケリー、デビッド・ケリーが言うクリエティブ・コンフェデンス(創造的自信)なんじゃないかと思います。

<余談2>トム・ケリー、デビッド・ケリーは、著書「CREATIVE CONFIDENCE」の中において、クリエティブ・コンフィデンスについて下記のように述べています。

At its core, creative confidence is about believing in your ability to create change in the world around you.
基本的に、創造力に対する自信とは、「自分には周囲の世界を変える力がある」という信念を指している。
 [Tom Kelley, David Kelley, CREATIVE CONFIDENCE, William Collins, 2013]

創造的活動全般について述べており、透明な橋に限定して述べているわけでは全くありません。ただ私が一方的にシンパシーを感じて勝手に解釈しただけですのでご理解ください。

透明な橋が抱えるもう一つの困難

透明な橋を見つける困難さはこれまで述べた通りなのですが、透明な橋はもう一つの困難を抱えています。それは透明な橋はコンテクスト依存なので、コンテクストを共有できていない人から見ると、いくら自分は立っていると思っていても、「全然立ててないんだけど。腰まで川に浸かっているだけど。」ということがあります。
ただ透明な橋が向こう岸まで渡れる橋なのかどうかの判断はとても重要なのですが、結論から言うと、正確に判断するのは不可能だと思いますし、いくら議論を深めても全員の同意を得ることすら難しいんじゃないかと思います。もし全員の同意が得られるのであれば、恐らくそれは既存の見える橋を目をつぶって渡ろうとしているだけなんだと思います。

日本を代表するイノベーターである濱口秀司さんのイノベーションに関する説明の中に「イノベイティブなアイデアかどうか判断する3つの条件」というのがあります。私もよく授業で使わせて頂いております。正確には、この3つを満たしたら必ずイノベーションが起こせるという条件ではなく、少なくなくともイノベイティブなアイデアはこの3つを満たしているという必要条件です。

①見たこと・聞いたことがない。(something new)
②実行可能である。(doable)
③議論をうむ。(controversial)
[濱口秀司,SIFT:イノベーションの作法,ダイヤモンド社,2019]

「③議論をうむ。」ところをさらに続けて抜粋させていただきます。

最後の③「議論を生む」(controversial)も不可欠である。私がポケットから誰も見たことのないアイテムを取り出した時、すべての人が「すぐにでも商品化しよう」と賛成したら、それは常識の範疇を出ていない証左である。逆に、すべての人が反対するものもまたイノベーティブではない。アイデアがいかに革新的かつ実現可能でも、そもそもマーケットが存在しないからだ。賛否の割合は「五〇対五〇」のイーブンでも、「二対九八」で圧倒的に反対派が多くても、「八〇対二〇」で賛成派が多くても、いずれでもかまわない。だが、明確に反対派がいなければならない。

つまり、この条件に従うなら、誰もが渡れると思えるような橋は透明な橋ではなく、透明な橋である限りは全員の同意を得ることはそもそも論理的に不可能であるという結論に辿り着きます。

あと透明な橋は論理的に簡単に否定できるという点も気をつけないといけない重要な点です。
その一例として、少し古くて恐縮ですが、イギリス最大のスーパーマーケットチェーン「TESCO」がソウルの地下鉄で行ったヴァーチャルストアの例を紹介したいと思います。

※公式動画は削除されているようですが、"TESCO Homeplus"&"Seoul subway"&"virtual store"などのキーワードで検索すると動画が見つかると思いますので、そちらをご覧ください。

この動画を見ると「あっ楽しそう!やってみたい!」となる人も多いと思いますが、このアイデアが提案された時の企画会議を想像して見てください。恐らく満場一致で「そのアイデア面白いからすぐにやってみよう!」とはならなかったと思います。
例えばこんな声が聞こえてきます。「新商品が出てきたらシートごと全部張り替えないといけないんだよね。」、「もし牛乳買おうと思う人がいて、でも牛乳の写真がホームの一番端にしかなかったら、そこまで歩いていかないといけないんだよね。」、「陳列できる商品数が限られるから、壁にオンラインショッピングサイトのQRコードを貼る方が便利じゃないの?」、「オンラインショップだったら検索もできるし、商品もいくらでも並べられるし、棚替えも自由だし、プロモーションも自由にできるんだよ。」この辺で止めておきますが、まだまだ考えられると思います。

そして、これらのダメ出しが的を得ていないかと言うと、全くそんなことはなく、全くの正論です。逆に反論するのが難しいぐらいの正論です。それに対し、「壁一面に商品棚の写真を貼る」というアイデアを論理的に擁護しようすると、これがなかなか大変です。「写真だったらプッシュで訴求できるじゃないですか。マンゴージュースなんて買うつもりなくても、目の前に写真で見せられたら、思わず買いたくなりません?」、「なんか未来的な感じしません?」「よく分からないんだけど、やりたくなりません?」もちろん、私がわざと下手に擁護しようとしているので、自作自演と言われればそれまでなのですが、でも反論する方が、擁護するより数倍容易なのは間違いないと思います。

<余談3>テスコのヴァーチャルストアですが、2012年にソウルでリリースされ、Homeplusの会員拡大には貢献したのは確かなようですが、その後、イギリスでデジタルサイネージに形を変えたり、色々試行錯誤はされたみたいですが、他の国でどんどん採用されたという話は聞かないので、キャンペーン的には成功だったようですが、恒常的なビジネスとしては難しいようです。なので本当の透明な橋であったかどうかは未だ微妙です。

透明な橋を叩いて点検する

このように透明な橋は、否定は簡単にできるのに、その存在を信じてもらうのはとても難しいという生まれながらに哀しい性を持っています。だから「ほらここに透明な橋があるでしょ。なんで分かんないの?ほらここ、ここ。」といくら真剣な目で訴えても信じてもらえません。
しかし、そんな疑い深い人でも手を取って一緒に透明な橋の上に立てば「あっ本当だ。透明な橋って本当にあるんだ。」と信じて貰えるはずです。実際に先ほど動画を見た人の多くは直感的に「あっ面白そう!やってみたーい。」と思ったはずなのですから。
具体的なデザインプロセスで考えると、実際の環境でテストできれば一番伝わりやすいのですが、そもそもそのテストに至るまでに説得が必要な場合も多いので、例えばTESCOのヴァーチャルストアの場合だと、駅の写真に商品棚を合成した写真を見せるとか、会議室の壁に実寸大の商品棚の写真を貼って、実際にQRコードをスキャンして貰って体験してもらうとか、他にもプロトタイピングの方法は色々考えられると思いますが、そのようなプロタイプを用いることではじめて論理を超えた次元で「ひょっとしたらありかも。」と同意を得ることができるのです。

プロトタイプは他の人の同意を得るのに有効なのはもちろんですが、それ以上にアイデアを出した自分自身のためにも重要です。本人は透明な橋の上に立っていると信じているかもしれませんが、透明な橋は見えないので、実は数歩先で終わっているかもしれませんし、少し体重をかけた瞬間に壊れてしまうかもしれません。プロトタイプで自ら試すことは、透明な橋を触って本当に渡れるかどうか確認するのと同じです。橋を隅々まで慎重に確認することで、向こう岸まで渡れる橋かどうか見極めることができるのです。もちろん100%確実とはいきませんが。

クリエイティブ・コンフィデンスの話を聞くと、自分のアイデアに信念を持って、周りの意見に流されず突き進むんだと勘違いしてしまいそうですが、それは少し違うように思います。蘆澤さんの「1-2 デザインの基本構造」に基づいて説明すると、クリエイション(創造)のプロセスは「俺はどんな橋でも見つけられるんだ!」って自信と確信を持ってビシバシ川に飛び込むことが重要で、ここは自意識過剰で良いのですが、それに対してイマジネーション(想像)のプロセスはそんな自信は1mmも必要ありません。評価する時はできるだけ客観的に、臆病なぐらい疑って疑って透明な橋を隅々まで確認する必要があります。

シリアルイノベーターと呼ばれる人はイノベイティブなアイデアを生み出し続けるわけですから、さぞかし自分のアイデアに自信を持っているんじゃないかと思ってしまいますが、彼らも自分のアイデアを見極める時は、実は自信なんて1mmも無いんだと思います。本当にこれでいいんだろうか?本当に喜んでやってくれるんだろうか?全然面白く感じてくれないんじゃないだろうか?普通の人以上にビクビクしてて、自信なんて全くないんじゃないかと思います。逆にだからこそ、彼らはいつでも確実に透明な橋を見つけられるんだと思います。「創造は自信を持って。評価は臆病すぎるぐらい臆病に。」がスローガンです。

矢と的の話への接続

恐らく「1-3 デザインとエンジニアリング、そしてデザイン思考」をお読み頂いた人の中には、「あれ、なんか1-3で出てきた矢と的の話と辻褄が合わないような気がするんだけど。」とお思いの方もいらっしゃると思いますので、ここで少し説明を加えたいと思います。
「今回の話だと川が課題だから川が的だよね、そして橋がアイデアだから橋が矢ということだよね。1-3で矢と的の良い納まりを見つけるのがデザインにおけるクリエイションの特徴だって話だったんだけど、でも同じ川を渡るってことなら、同じ的に対してアイデアを創造している事になって、納まりの話じゃなくなってないですか?」恐らくはこのような疑問を持たれたのではないかと思います。

どこかで手段と目的の話も書こうと思っていますが、手段と目的は入れ子構造になっています。マトリョーシカ構造です。ある目的はさらに大きな目的の手段であり、ある手段はさらに小さい手段の目的であるという構造です。なのでエンジニアリングにおけるクリエイションであっても、デザインにおけるそれであっても、「人の生活を豊にするアイデアを考える」や「売上に貢献するアイデアを考える」ぐらい上位の目的までいくと同じ的として設定できます。そのような上位の目的が、今回の例えだと川にあたります。そして、その上位の目的を達成するためのアプローチが複数存在し、それが川に架かる橋にあたります。そして、その橋には、誰にとってもグッドなアプローチである通常の見える橋と、コンテクスト依存で時と場合、人によってグッドが異なるアプローチである透明な橋の二種類が存在します。

ここで的と矢の例えを厳密に当てはめると、川が「大きい的」で、その手段つまり「大きい矢」として橋があり、その橋をさらにズームインすると、橋を架ける場所と構造体としての橋の二つで構成されおり、橋を架ける場所が「大きい矢」をブレイクダウンした「小さい的」で、構造体として橋が「小さい矢」に当たります。ですので通常の見える橋は架ける場所が固定されているため、構造体としての橋だけ考えれば良く、それに対して、透明な橋は場所が決まっておらず、どこに、どのような橋を架けるかを、つまり良い橋の納まりを考える必要があり、ここで矢と的の良い納まりを探索する点とリンクします。
ただここまで厳密に当てはめようとすると、例えとしてのダイナミックさが失われてしまうので、ここでは橋を架ける場所と構造体としての橋を両方を合わせてアプローチぐらいとして捉えてもらえれば良いと思います。

<余談4>例えというのは、複雑な事象を、ある特定の要素に着目することにより、分かりやすくシンプルに説明することです。ですから例えが上手くないとどうしても無理が生じます。3次元空間をXY2次元で表すと、奥行きが異なる2点が近くに配置されるみたいなことが生じます。
前回の例えは、絶対的な位置関係は目をつぶって、矢と的、手段と目的、アイデアとものさしという、相対的な関係に注目して説明しました。今回はより現実の開発プロセスの観点から、相対的な関係の厳密さは目をつぶって、絶対的な位置関係に重きをおいて説明しました。ここまで説明しておきながら、やはり手段と目的について、もうXZ平面的な説明が必要だと感じていますので、別のノートで書きたいと思います。

透明な橋を見つけるためにはどうすればいいの?

シリアルイノベーターの説明の中で少し説明しましたが、透明な橋を見つけるために一番重要なことは、諦めず川に飛び込み続ける勇気と根気であり、そのためには「透明な橋は絶対にあるんだ」と信じる気持ちが重要だと言いました。しかし、ただ盲目的に自分を信じるんだと言ってもやっぱり信じられません。信じるためには成功体験が必要です。しかし、成功するためには信じることが必要なので、結局はニワトリが先か卵が先か問題になってしまいます。ではどうすれば良いのでしょうか?

一つは、最初の透明な橋を見つけるまで、歯を食いしばって、がむしゃらに飛び込み続けるという方法です。その時の課題はできればリアルなプロジェクトがいいです。真剣度が全く違ってきます。リアルな課題じゃないと、「これは練習だから、まぁ最悪いいアイデアが出なくても仕方ないかぁ。」と一瞬でも心の緩みが生まれると、透明な橋を見つけることはできません。それにリアルな課題じゃないと、どうしても本当に自分は向こう岸に渡れたのかどうかいつまで経っても疑念が残ってしまいます。本当の成功体験を得るにはリアルなプロジェクトでチャレンジするのがいいと思います。ただリアルな課題だと、アイデアがいくら良くても、つまらない大人の事情によりボツになることもあるのですが...

あとコンペにチャレンジするのもありだと思います。締め切りがありますし、気持ち的にもただエアでやるより気合が入ります。ただコンペで入賞できる数は多くないので、透明な橋であってもコンペうけしなければ落選してしまいます。あとコンペはアイデアと同じぐらいそのアイデアの見せ方、プレゼンテーションの上手さも重要になってきますので、その技術も身につけないといけなく、遠回りと言えば遠回りです。ただプレゼンテーション能力は、透明な橋を他の人に信じてもらう能力と直接つながりますので、アイデアを実現するためには身につけておくに越したことはありません。

改めて考えると、デザインスクールの授業が、結局これをやっているんだと思います。課題は与えられるんだけど特に正解はなく、正解がないのになぜか毎回アイデアを発表しないといけなく、発表したら発表したで冷や水を浴びせられるという、「自分は前世よっぽど悪いことをしたんだろうなぁ。」としか思えない所業です。ただこれに耐え、諦めずに続けていると、たまに透明な橋に立てる時が訪れます。そして、一度でも透明な橋に立てた学生は、次どんな課題を出しても大体は透明な橋を見つけてきます。なぜなら透明な橋の感触を知っているからです。まず感触を知っているので、自分が川に落ちているのか、橋の上に立てているのか判断できます。一番は、透明な橋の感触を知っているので、その存在を心から信じることができ、何度も何度も川に飛び込めるからです。
逆に透明な橋に一度も立てたことのない学生が、首まで川に浸かっているのに「足の下に何か硬いものを感じます。これはきっと透明な橋だと思います。」と提案してくることがあるのですが、仕方ないといえば仕方なく、この状況から脱するためには、実際に透明な橋の上に立つ経験をするしかないのです。

挑む課題は、リアルであっても、コンペであっても、授業の課題であっても、もし良いアイデアが出なければ、お気に入りのラーメン屋に一生行かないぐらいの覚悟で挑めば、必ず透明な橋は見つかります。これはもう信じるしかありません。信じれば救われるという科学研究だったら反証可能性が無いという理由でリジェクトとされてしまう典型的なパターンですが、もうここは信じるしかありません。

もう一つは透明な橋の見つけ方を心得ている経験者に一緒に透明な橋探しに付き合ってもらい、徐々に自信をつけていくという方法です。社内にデザイン部門や企画部門があれば、そのメンバーに入ってもらい一緒に川原をブラブラ歩いて、彼らの川への飛び込みっぷりを実際に体験するのも良いと思います。ただ難しいと思うのは、デザイナーが見えているアイデアの解像度とトレーニングを受けて無い人が見ている解像度が異なる点です。
先ほどのTESCOの例だと、「地下鉄のホームドアのガラスのところに、商品棚の実物写真を貼ったらどうかなぁ?」と言われた時に、恐らくそれを発言した人は、頭の中にはっきりリアルに最終状態がイメージできているんだと思います。商品棚が印刷された透明フィルムがバックライトで照らされ商品が少し透けてクリアに輝いている様子、そんなバーチャル商品棚がホームの端から端までビシッと真っ直ぐに貼られ、カラフルな商品で賑わっているホームの様子が頭に浮かんでいるんだと思います。それがただ字面だけを追って、「地下鉄のホームドアのガラスの部分」+「実寸の商品棚の画像」と左脳的に理解すると「えっ何が面白の?だったらオンラインサイトのQR貼った方が良いんじゃない?」となってしまいます。つまりシミュレーションの解像度が同じレベルでないと、「ほらあそこに透明な橋あるよね。」と言われても、「えっ全然分かんない。えっどこどこ。」となってしまうという問題が生じてしまいます。

シミュレーションの解像度を高めるには

では、シミュレーションの解像度を高めるためにはどうすれば良いかですが、そのためには二つの解像度を高める必要があります。そうです。創造力と想像力の解像度です。アイデアの解像度とユーザーの解像度と言い換えても良いと思います。

まずはアイデアの解像度から説明したいと思います。アイデアの解像度とは、アイデアが実際にユーザーに享受される状態を、いかにリアルに想像できるかについての解像度です。たとえユーザーを解像度高くイメージできたとしても、そのユーザーに提示するアイデアの解像度が低いと、正確なシミュレーションを行うことは不可能です。ではどうすればいいの?ですが、結論から言うと、これもやっぱり1-3で述べた通り、残念ですが愚直にコツコツ、シンプルな課題から取り組んでいくしか無いかなと思います。

例えば、あるプロダクトの色を検討してて、黄色がいいかなぁと思った時、デザイナーは、頭の中で漠然と黄色をイメージしてるのではなく、具体的な黄色をイメージしているはずです。例えば、ケルヒャーぐらい明るいレモンイエローがいいかなぁとか、キャタピラーの少し重厚感があるイエローがいいかなぁという具合にです。デザイナーは黄色一つとっても、ケルヒャーの黄色とキャタピラーの黄色では人に与える印象が異なり、その選び方によって魅力的なプロダクトになったり、反対に全く魅力がなくなることを知っています。そして、この差を理解するためには、結局は実際に同じデザイン対象に異なる黄色を塗ってみて、「あぁやっぱり思った通りレモンイエローだな。」と感じたり「あれっ結構オレンジ気味の黄色も合うかぁ。」という試行錯誤を経験するしかないんだと思います。

デザイナーの仕事は常にこのような小さなトライで成り立っています。 CMYKのYの値を100から98にしてみたり、フォントの種類を上から順にポチポチ切り替えて色んなフォントを試したり、ロゴの位置を左に0.02mm動かしてみたり、縦書きの長音の縦比をさらに2%小さくしてみたり、角アールを0.1mm小さくしてみたり、マテリアル設定でバンプマップのイメージを5%大きくしてみたり、具体的にデザインをおこす段階になると、このようなマイクロトライアルを朝から晩まで一日中、くる日もくる日も対象によっては1週間、いや3ヶ月以上繰り返すこともあると思います。そして、このようなマイクロトライアルを日々繰り返すことによって、デザインがどんどん完成に近づくのと同時に、アイデアの解像度もどんどん高められるのです。

逆にデザイナーでもマイクロトライアルをやったことのない対象については、アイデアの解像度は低いままで一般の人となんら変わりありません。例えば、新しい生地をデザインする時を考えてみます。テキスタイルデザイナーと呼ばれる方のお仕事です。私は生地をデザインしたことが無いのであくまで憶測ですが、テキスタイルデザイナーの人も、生地に対してマイクロトライアルを日々繰り返しているはずです。「もう少し横糸の張りを弱くしたらモコモコして面白いんじゃないかなぁ。」とか、「これだったら綾織にした方がラフ感がでていいかも。」とか。あくまで予想ですが、このようなマイクロトライアルを日々繰り返すことにより、生地に関して他の人よりも高い解像度を手に入れることができるんだと思います。なので、生地に関するマイクロトライアルの経験がない私に、「もう少し太い糸を使った方がいいと思うんだけど。」と言われても、生地に対する解像度が低い私は、太い糸を使うことで何がどう変わるのか想像できないため「何がいいんだろう?」と首を傾げることになります。
ただこんな私だって、生地に関するマイクロトライアルを積み重ねれば、一流のテキスタイルデザイナーにはなれないかもしれませんが、生地に関する解像度を確実に上げられるのは間違いありません。何度も繰り返しになりますが、アイデアの解像度、創造の解像度を上げるためには、どんなデザイン領域においても地道なマイクロトライアルを繰り返すしか無いんだと思います。

<余談5>イヌイットの人は雪に対し、その状態に応じて諸説ありますが4から6の語を使い分けていると言われています。(派生語幹まで含めると16から20語とも言われています。)つまり、イヌイットは我々と異なる解像度で雪を見ていると言うことであり、それと同じように、デザイナーは一言に「重厚感」と言っても異なる解像度で捉えているんだと思います。
さらにイヌイットは自分たちで新しい雪の状態をクリエイションすることはありませんが、デザイナーはまだ世にない新しい「重厚感」を求めてクリエイションし、またそれを異なる「重厚感」として識別するということを常に繰り返し行っています。イヌイットの解像度で雪を捉えられるようになるのには、実際にその状態を体験し、大袈裟に言えばその状態に紐づけられた独立したシナプスが脳内に生成される必要があるので、アイデアの解像度を上げるのも一朝一夕には難しく、仕方ないですが、泥臭くひたすらアウトプットを繰り返していくしかないのかなぁと思っています。

次にユーザーの解像度について説明します。いくらアイデアが解像度高くイメージできたとしても、最終的に受け入れられるかどうか判断するのはユーザーですので、ユーザーを解像度高くイメージできないとせっかくのいいアイデアも「こんなの今の若者に受けるわけないかぁ。」と諦めてしまったり、逆に全く見込みのないアイデアに対して「きたーこれは絶対いける。」と誤った判断をしてしまいます。そのような勘違いを起こさないために、デザイナーは常日頃からアンテナを張って、ユーザーの解像度を上げるための努力をしています。最近の若者はどのようなことに時間を使っているんだろうと思って色々なアンケート調査の結果を調べたり、アクティブシニアっていうけど実際に何にアクティブなんだろうと思ってインタビューしたり、なんで梨泰院クラスが流行っているんだろうと思って週末を潰してNetflixにハマってみたり、ローソンのPBのパッケージデザインのリニューアルがいまいちと聞いたら、家の近くにローソンが無いので電車で隣の駅まで見に行ったりします。このように常にアンテナを張って、売れている、流行っているなどプラスの価値観だけでなく、イケてない、受け入れられてないなどマイナスの価値観も含めて、世の中の様々な人の価値観、ものさしを実際に体験し理解するために努力することにより、ユーザーの解像度を高めることが可能となります。このユーザーを想像する能力は別にデザイナーに限られた特別な能力ではなく、マーケター、宣伝、プロモーション、商品企画などユーザー、マーケットに関わるあらゆる領域の人が有していますし、普通の人もある程度の解像度の想像力は有しています。

創造力と想像力の相互作用

アイデアの解像度とユーザーの解像度それぞれについて説明してきましたが、この二つの能力はとても深く結びついており、アイデアの解像度を高めることで、ユーザーに対する解像度もより高まるという相互作用がデザイナーの中で起きているんじゃないかと考えています。そして、この相互作用こそが、デザイナーが解像度高くシミュレーションを行えるポイントなのではと考えています。

アイデアの解像度のところで、デザイナーは日々数えきれないぐらいのマイクロトライアルを繰り返していると言いました。CMYKのY値を+2増やしたり、Designのeの文字を左に0.02mm動かしたり、より良いデザインを求めて、日々このようなマイクロトライアルを繰り返しているのですが、その時、「あぁーまだ弱いなぁ」とか「まだ左だなぁ」と判断している評価者はというと、「1-2 デザインの基本構造」の説明の通り、デザイナー自身ではなくデザイナー中に想像されたユーザーです。と言うことは、デザイナーのマイクロトライアルは、単なる地道な個人的な創作活動というだけではなく、ユーザーの好みを探るための地道な捜索活動でもあるのです。Y値を+2増やしたり−3減らしたりして異なる黄色を作り、その度、自分の中のユーザーに見せてその反応を確認しているのです。別に喩えると、最初はぼんやりとしか見えていなかった透明人間に、いくつものカラーボールをぶつけることにより、透明人間の体が徐々に着色され、透明人間の一挙手一投足、最終的には表情までもが見えるようになるのです。

もちろんマーケターの人も、市場調査で色々用意したサンプルを、実際のユーザーにテストしてもらい、その反応からユーザーの選好を把握しますが、実際に用意できるサンプルの数は限られますし、テストする数も限られます。200種類の微妙に違う黄色に塗られた製品を見せて、どの黄色が良いかを選んで貰うのは非現実的です。それに対してデザイナーは、あくまで想像の範囲ではありますが、200種類の異なる黄色を試すことが可能であり、その頭の中のユーザーテストによりユーザーの選好についてより高い解像度で把握することができるのです。
そして、この弛まぬ日々のマイクロトライアルを通じて、アイデアの解像度を高めると同時に、無自覚的にユーザーの解像度をも高めているのです。

視覚情報系ユーザー像の汎用性

これまで、まるでデザインの秘技であるかのように創造と想像の相互作用について説明してきましたが、これはデザインだけの特別な話では全然ありません。例えば漫才師がネタの練習をする時に、ボケるタイミングを0.2秒遅らせてみたり、ツッコミの言葉尻を「なんでやねん!」から「なんでですのん!」に変えてみたり、デザイナー同様、数えきれないマイクロトライアルを日々行っているはずですし、そのようなマイクロトライアルを自分の中のお客さんで試すことにより、ネタの完成度が高まると同時に、笑いに対するお客さんの解像度も高めているはずだからです。

このように捉えると、漫才師とデザイナーでは創造する対象こそ異なりますが、どちらも全く同じ創造と想像の高解像度のシミュレーションにより新しいものを創作する活動であることには変わりありません。それに一口にデザイナーと言っても、グラフィックデザイナー、プロダクトデザイナー、インタフェースデザイナーなど、デザインする対象ごとに様々なデザイナーが存在するわけですから、漫才師をMANZAZAIデザイナーとして、デザイナーの一種として位置付けても全然おかしくないと思いますし、さらに料理人を料理に対してマイクロトライアルを日々行う料理デザイナーとして位置付けることも同様です。その方が分類学上、理に適った分類だと思います。

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