1-3 デザインとエンジニアリング、そしてデザイン思考(1章:デザインとは?)

前のノートではデザインとアートを比較することにより、デザインという行為が「常に受け手であるユーザーを想像しながら新しいものを創造する行為である」ということを明らかにしました。
ここではもう一つの創造的行為である「エンジニアリング」と「デザイン」を比較することにより、さらにデザインについて深く考えていきたいと思います。

前回のアートとの比較しかり、今回のエンジニアリングについても、他の領域と比較することにより、デザインとの境界線をはっきりさせ、デザイン固有の領土を主張しようという意図は全くありません。ただ「他の領域と比較することでデザインという行為を少しでも深く理解できれば」という意図からですので、ご理解のほどよろしくお願いします。

それにアートの比較の時に出てきた「ミス・ブランチ」が好例ですが、実際にアートとデザインを線引きするのは不可能ですし、今回のエンジニアリングも突き詰めていくと境界は全くもって線なんかではなく、暖流と寒流が交わる潮目みたいに曖昧ですし、さらにアートとエンジニアリングだってハッキリ線引きするのは不可能だろうと思っています。

矢を射ってから的を描く

デザインについて説明する時に、最近、気に入ってよく使う写真があります。あまりに気に入りすぎて、大学院の入試問題にまで使ったぐらいです。
それではまずはこちらをご覧下さい。

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東京大学のi・schoolで行われたワークショップの中で、台湾の成功大学創意產業設計研究所のYang Chia-Han先生が見せてくれたイラストです。中国の戦士が矢を射った後に的を描いているイラストです。一見するとズルをしているようにも見えます。Yang先生はこのイラストを見せながら「これがデザインです」と説明されました。その瞬間、私の頭の中のモヤモヤが一気に晴れ、スッキリしたのを今でもはっきり覚えています。恐らくデザインに携わっている人でしたら、このイラストを見ただけで、これから私が言おうとしている事のおよそは想像がつくぐらいとても示唆に富んだイラストです。

このイラストはクリエイション(この場合、想像と創造の両方を含んでいます)のプロセスを比喩的に表現したもので、的は課題、矢はアイデアを表しています。
そして通常の的を射る競技だと、的が先にあり、その中心を目がけて矢を射るのが普通です。課題が先に決まっており、その課題に対してアイデアを創造し、そして的の中心に近い位置に矢が刺さった時、良いアイデアが生まれたとなります。つまり、アイデア出す前に「アイデアを評価するものさし」はすでに決まっているということです。そしてこの通常の競技こそが、まさにエンジニアリングにおけるクリエイションです。

例えば新しいCPUの開発を考えます。新しいCPUを開発するためには新しいアイデアが必要です。ですが通常、そのアイデアを評価するものさしは既に用意されています。FLOPS(1秒間に浮動小数点演算が何回できるか示す値)、消費電力、発熱、サイズなんかも、ものさしにあたると思いますし、もちろんコストもものさしの一つになります。そして、ものさしが用意されているので、いくつか提案されたアイデアの中でどのアイデアが良いかを決めるのにはさほど悩むことはありません。

もちろん実際は実現可能性が問題となり、開発コストと時間を正確に見積もることはできないため、簡単に決めることは難しいですし、性能とコストがトレードオフの関係にあり、落とし所を決めるのが難しいということもよくあります。ただ、どのものさしを優先させるか、またはそれぞれの優先度合いを決めることができれば、自動的にどれが良いアイデアか判断できるというのがエンジニアリングにおけるクリエイションの特徴です。

これに対してデザインにおけるクリエイションはYang先生がおっしゃる通り、事前に的は用意されていません。ただ、このイラストの通り、矢を射ってから的を描けるのであれば、どんな位置に矢を射ってもいいわけですから、こんな楽なことはありません。ところが残念なことに、実際のデザインプロセスはもう少し骨が折れます。

まずアイデアが求められるシーン、場所に対して、ぼんやり頭の中で的を想像し、あの辺だったらどんな矢が射れるか創造します。そしていい感じの矢が射れそうになければ、また別の位置にぼんやり的を想像して、またどんな感じの矢が射れるか創造します。
あっ、なんかいい感じの矢が射れそう、面白いかも!と思ったら、この的に対して、ちょっと本気で矢を射ってみようと考え、色々アイデアを創造します。そして、このようなプロセスを何度も繰り返し、最終的に矢と的、ともにしっくりくる位置に納める事が出来ればグッドデザインとなります。
説明があまりにもぼんやりし過ぎててイメージしづらいので、具体例をあげて説明してみたいと思います。
試しに、働き方改革で注目されているリモートワークを対象にデザイン的クリエイションをやってみましょう。

リモートワークといえばやっぱりテレビ会議システムだよね。なんか通信速度が上がって高画質になっても、やっぱり魂が入らないっていうか、なんなんだろう。リアルに近づけばいいってことじゃないんだよなぁー。
逆に見えなくすることで、より密なコミュニケーションができちゃったりするかもね。うーん、中東の女性が着るニブカみたいに目だけ出して会話したらどうかなぁ。全然意味ないかぁ。
じゃ会話に参加している全員の顔からパーツを切り出して、1つの顔にコラージュしたらどう?これなら全員の顔をチェックしなくても一発で今の会議の雰囲気が掴めるし。そうすると「顔全体は笑ってるんだけど、なんか目は笑ってないなぁ、あの笑ってない目って部長じゃない?」みたいこともあるかもしれないし。今よりみんな画面に集中して、会議に対するコミットメントが高まるんじゃないかなぁ。でもこんなのあったら、ハゲの課長の頭が映るたびに笑っちゃって集中できないだろうなぁ。とはいえ面白そうだからとりあえずプロトタイプでも作ってみるかぁー。

ここで出てきたアイデアが、グッドアイデアかどうかはちょっと目をつぶって頂き、矢を射ってから的を描くという、デザイン的クリエイションを少しはイメージして頂けたでしょうか。実際は「矢を射ってから的を描く」という単純なプロセスではなく、現実世界に対して「矢と的を同時に射ったり動かしたりしながら何度も想像と創造を繰り返し、矢と的の納まりが良い位置を探索する」というのがデザイン的クリエイションです。そして最終的な評価についても、既存の「いかにリアルなコミュニケーションに近づけるか」というものさしではなく、これまでのテレワークでは考慮されなかった「場の雰囲気の一覧性」や「場の一体感」のような新しいものさしをアイデアと同時に提案している点がデザイン的クリエイションの特徴となります。そして、ものさし自身も新しく提案されるので「提案されたものさしが価値あるものなのか?」についても議論が必要となります。

エンジニアリング的クリエイションとデザイン的クリエイション

ここで簡単な図を使ってさらに説明していきます。

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左側がエンジニアリング的クリエイションです。既にあるものさしに対してアイデアを創造します。そして、そのものさしに対して「より長いアイデア」が良いアイデアとなります。この場合だとAよりもBの方が良いアイデアとなります。
それに対して、右側がデザイン的クリエイションです。それぞれアイデアとものさしを同時に提示しているのがお分かりいただけるかと思います。長さに注目すると緑のCよりも赤のDの方が長いような気もしますが、そもそも測る「ものさし」が異なるので比べても意味がありません。どっちが良いアイデアかは、採用するものさしによって決まります。

例えば「どちらが長生きしたか?」は単に寿命を比べれば分かりますが、「どちらの人生がより充実した人生だったか?」は、それぞれの価値観や時代によって異なるので一概に言うのは難しいかと思いますが、この話はその関係性と似ています。

日本デザイン振興会で長きにわたりグッドデザイン賞をやり繰りされてきた青木史郎さんから教えてもらった言葉に「価値を高めるのではなくて、新しい価値観を創るのがデザイナーの仕事である。」というのがあります。もちろん言い過ぎな部分もありますが、デザイン的クリエイションを端的にとても上手く表現されていて流石です。

デザイン思考のジレンマ

1ー2の余談のところで、「デザインシンキングなんて糞食らえ」という記事について少し触れましたが、実際そのような気持ちになるのは、デザイン村の住人として痛いほど理解できるのですが、少し落ち着いて、そしてもっと自信を持とうよと思ってしまいます。

「デザイン思考」は「プロダクトアウトじゃなくて、ユーザーセンタードで試行錯誤を通じて新しいアイデアをどんどん創造しよう!」ということですから、これ自体とっても良いことですし、間違ったところなんて全くありません。これまでアイデアを創造することに躊躇していた人々が、デザイン思考の名の下、ユーザーセンタードで新しいアイデアの創造に励むわけですから、どんどん進めていくべきです。

ただ「現在行われているデザイン思考のアプローチであらゆるアイデアが創造できるか?」というと、ちょっとこのままだと難しいかなぁと感じます。
デザイン思考の骨子は「ユーザーセンタード」なので、本来はエンジニアリング的クリエイションもデザイン的クリエイション両方含む大きな概念です。ただ現在行われているデザイン思考のアプローチだと、使いやすい、便利、安いなど、設定のしやすい「多くの人にとって確実にグッドなものさし」に対してアイデアを創造する「エンジニアリング的クリエイション」はアプローチしやすいのですが、カッコいい、誇りに思える、リッチに感じるなど「決して万人にとってグッドでもなく、また人によって感じ方が異なるものさし」と「それに対するアイデア」を同時に創造する「デザイン的クリエイション」を行うには、そのためのトレーニングが別途必要だと思います。

すこし違う方向からその理由を説明してみたいと思います。
我々は「美容師の方がやっていること」と「デザイナーがやってること」は、最終的なアウトプットこそ違えど本質的には全く同じだと思っています。お客さんのニーズを想像し、お客さん毎に異なるものさしに対して「それに合うヘアスタイルを創造する」というのは、まさにデザイン的クリエイションだと言えます。ヘアデザイナーという言葉があるぐらいですから、当たり前です。

それではデザイン思考を勉強したら美容師さんみたいに髪の毛をカットできるようになるかというと、もちろんそんなことはありませんし、誰もそんなことは思わないはずです。まずアイデアを表現・実現するためのスキルがないのですから、もちろんできません。

ここまで聞くと「それって単にツールの話でしょ?でも、いま僕らがデザインしようとしているのはサービスとかシステムとかビジネスモデルなんだよね。その場合って、アイデアを表現するための道具は言葉や関係図、ロールプレイとかで十分なんだから、別にアイデアを表現するための特別なスキルなんてなくても、十分アプローチできるよね?」って声が聞こえてきそうなのですが、この話の重要な点はツールの部分ではありません。この点を理解していないと「デザインシンキングなんて糞食らえ」となってしまいます。

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