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猟犬、覚醒

 罠猟師の朝は罠の見回りから始まる。ある朝、五つ仕掛けた罠は全部空振りに終わった。毎日獲れるわけでは無いのは分かっていても落胆するものだ。気晴らしに犬を連れて山へ行く。ライは山が大好きだ。沢の音を聴き、山の瑞々しい空気を肺いっぱいに吸い込むと、身体を震わせて、リードを解放してくれよと、目をキラキラさせてわたしにせがむ。

 その日もいつものように解放してライを自由にさせた。次はどこに罠を仕掛けようか思案していると、ガラガラガラ!と沢を挟んだ斜面の中腹を、ライが一気降りてきた。なんとメスジカを追って!シカはたまらず沢を転げ落ちていく。急すぎる斜面のため歩くことも走ることも出来なかったのだ。

 ライは、誰から教わったわけでもなく、自分の倍以上の体格もあるシカの前に仁王立ちになり、シカの足止めをする。猟犬の血がそうさせたのだ。わたしはその光景に見惚れた。感動を覚えながらも、少し離れたザックへ走ってナイフをとりに行き、ライの元へ戻った。しかし、もうそこにはシカの姿は無かった。悔しい。ナイフは常に身につけていなければならなかった。どうしてザックの中に、、、。後悔の念が押し寄せる。

 ライがチラチラわたしの目を見る。何かを伝えたがってるようだ。諦めきれず、ライと一緒に沢沿いを歩くと、シカが座っていた。どうやら右後ろ脚を負傷して歩けないようだ。手負いとはいえ、大きなシカなので不用意に近付けない。後ろ足で蹴られたらひとたまりもない。ライとふたりでシカを挟み撃ちにしてドスン!と突き飛ばした。シカは横向きに倒れ、すかさず馬乗りならぬ、鹿乗りをして、動きを止めた。ライは心配そうに見守っている。足でシカの首を踏みつけて、ナイフで喉元を切り裂く。それで終わりだった。首から血がドロドロ垂れ流れる。冬の中にあって、真夏の夕陽のような色に沢が染まった。最期まで脚の動きは止まず、走って、歩いて、止まって、また走ってという一連の動きを繰り返していた。その姿を最後まで見つめることが、わたしなりのシカへの弔いだ。魂というものが本当にあるならば、それが野生に還っていく最期の瞬間だった。最期まで本能のまま身体を動かすその生命力に驚いた。おまえが憎くて殺したんじゃないぞ。肉を獲りたかったのだ。おまえの命は決して無駄にはしない。  

 今回の猟はライのお手柄だ。おまえはえらい。本当にえらい。よくやった。何度も何度も声をかけて、なでて誉めた。まさか、銃や罠を使わずに、犬とナイフでシカが獲れるなんて。ご褒美に、たくさん鹿肉を食べさせて猟の味を覚えさせよう。この日、ライは猟犬となった。


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