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『スポーツ万能』の罠

 総合型地域スポーツクラブ マネジャーの上杉健太(@kenta_u2)です。昨日は非常に面白いことがありました。面白がっちゃいけないのかもしれないのですが、正直言って、笑ってしまいました。
 指導を受け持っているテニス幼児クラスに昨年度から来ていた年長さんがいて、その子はかなり無口であまり会話を交わすことがありませんでした。その子が先週からいきなり凄い喋るようになって、楽しそうにしてたんですね。それは今週も同じでした。テンション高く体育館に入って来て、楽しそうにやっていました。そして練習終わり、その子のお母さんがやって来て、「うちの子、今月でやめようと思います」と言いました。私が退職するのは12月末。そして昨日は11月30日。なので、言い間違えかなと思って、「12月いっぱいですか?」と聞くと、「いえ、今月です」と言うので、「え?今日でやめるということですか?」と再度確認すると、「はい」と言うではありませんか!お母さんが言うには、「上杉コーチがやめるので、12月まで気持ちが持たないみたいで」ということなのですが、それなら12月までやろうよと思いますよね。なぜ私より早くやめる!?って笑ってしまいました。でも、それを聞いて先週からの彼のことを思うと、何だか物凄く腑に落ちたんですね。今まで我慢してやっていたテニスから解放されるから急に楽しくなったのかなって。ちなみにその子はフットサルとランニングもやっていて、フットサルを週2コースに増やすということです。うん、それはいいですよね。合わないスポーツは続けなくてもいいと思います!

 さて、今日は『スポーツ万能の罠』という少し怖いテーマでお話したいと思います。結論を先に言うと、「『スポーツ万能』は、社会としては目指さない方がいい」ということです。これは、個人やクラブが「うちの子をスポーツ万能にしたい!」ということとは切り離して聞いていただけるとありがたいです。決してスポーツ万能な人を否定したり、そこを目指す人を否定するものではありませんので!

スポーツ万能とは

 たぶん多くの人が、『スポーツ万能』と『スポーツ万能じゃない』を目の前に並べられて、「どっちになりたいですか?」と聞かれたら。『スポーツ万能』を選びますよね。能力の問題ですから、できないよりはできる方がいいです。それでスポーツを”やる”か”やらない”かは別問題ですけどね。
 そしてスポーツ指導者の中にも、「スポーツ万能にしたい」と思って指導をされているかたはたくさんいらっしゃると思います。これも当たり前ですよね。指導して能力を下げることを目的にするわけがありませんから、当然能力を高めることを目指します。その先には『スポーツ万能』がありますよね。スポーツ庁(文部科学省)なども、体力テストなどを実施して日本人の運動能力を毎年チェックしています。目指しているわけではないと思いますが、国レベルでも『スポーツ万能』は理想として描かれているのかもしれません。

 さてこの『スポーツ万能』。これって一体、どういう状態のことを言うのでしょうか。よく言いますよね。「あの子はスポーツ万能ね」って。私も何度か言われたことがあると思います。イメージとしては、『どんなスポーツも他人よりもできる』という感じではないでしょうか。多くの場合は、体育とか運動会とかを見て、「あの子は走るのが速いだけじゃなくて、投げたり蹴ったりするのも上手だな」みたいなところから、スポーツ万能というイメージが作られていく気がします。その点、私は水泳が他人よりも圧倒的に苦手だったので、本当の”万能”ではありませんでした(笑) 

 ここで大切なのは、『スポーツ万能かどうか』を測るのは、どうしても『他人との比較になる』ということです。「いや、私は他人との比較ではなく、その子の動きだけをみて判断できる」という指導者のかたもいると思いますし、私はそこは否定しません。言語化が難しい領域ですが、”良い動き”というのは存在すると思います。なので、いち指導者が「スポーツ万能を育てる」という目標を持って活動することは、まったく否定しないし、尊敬しています。私も指導者として、一人一人の子どもについては『スポーツ万能』にしたいと思っています。でも先に言っておくと、私はそれよりも、『スポーツが苦手な人』を”認める”という方が大切だと思っています

もしも全員がスポーツ万能になったら

 では、私たちの想いが達成されて、みんなが『スポーツ万能』になったとしたら、一体何が起きるでしょうか?反復横とび30回、50m走10秒、立ち幅跳び130cm、ソフトボール投げが13mだった子どもたちが、反復横とび50回、50m走8秒、立ち幅とび192cm、ソフトボール投げ40mを当たり前にクリアできるようになった世界では、次に何が起きるのでしょうか?私はそこで待ち受けているのは、『スポーツ万能の基準が高くなる』だと思っています。「え?50mを8秒で走るって?いやいや、そんなのが凄いと言われた時代はとっくに終わったよ」って。
 スポーツの要素には、『競争』がありますから、どうしても他人との比較というのは生まれます。いや、たぶんスポーツに限った話ではないです。私たち人間は、社会というものの中で生きている以上、おそらく他人との比較なしに人を評価することはできないのではないでしょうか。

 さて、このようにもし、『スポーツ万能』という評価が『相対的なもの』(他人との比較で決めるもの)だとしたら、常に人口の一定割合の人が『スポーツ万能』と評価され続けることになります。感覚的には、『スポーツ万能』と言われるような人がいるのは、学校の1クラスに1人か2人くらいでしょうか。30人の内の2人だとすると、人口の6~7%くらいですね。それくらいしか『スポーツ万能』にはなれないんです。くれぐれも誤解してないで欲しいのですが、これは他人から「スポーツ万能」と評価される人のことで、自分で「私はスポーツ万能!」と思えることとは別です。ですが、社会として『スポーツ万能』を増やしにいこうとすると、いずれこの壁にぶち当たるんだと思います。どうしても客観的な評価基準が欲しくなっちゃいますからね。それに、繰り返しますが、『競争』はスポーツの持つ魅力の一つですから。そもそも相対性を楽しむものでもあるんです。

 「それでもスポーツ万能は目指した方がいい」
 私もそう思います。スポーツ万能は目指したいです。自分の体を脳の指令通りに動かせるって楽しいですからね。でも、今のままだと6%しかスポーツ万能な人は存在できません。(『総合型地域スポーツクラブ研究所』調べ)
 仮にスポーツ万能という評価をされた人の幸福度が他の人よりも高いとして、幸福度の高い社会を目指すうえでスポーツが貢献できる数字としては、6%は低すぎます。スポーツはもっと多くの人を幸せにできますよね。だから、『スポーツ万能』は、社会として目指すものではない。たった6%の人の幸せを社会が目指しちゃダメ。何度も言いますが、個別には目指したらいいし、私も部分的には目指します。さらに繰り返しますが、それよりも大事なのは、『スポーツが苦手な人の存在を認めること』です。
 そこで私が総合型地域スポーツクラブで進めたい考え方は、『区切る』です。

区切って競争しよう

 みんな同じ舞台で競争するから6%なんて数字が出てきちゃうんですね。学校のクラスで言えば、無作為の30人で競争するからスポーツで幸せになれない人が出てきてしまう。隣のクラスも巻き込んで、総数を増やした上で、区切って分ければいいんです。身長や体重、スポーツ歴、運動能力など、何らかの基準を作ってグループに分ける。そしてその中で競争するんです。当然、どのグループの中でも勝ったり負けたりが生まれて、そういう意味では6%くらいの人が”万能感”を得られるというのは変わらないかもしれませんが、たくさんの『いい勝負』が生まれるようになり、全体的な幸福感は向上すると思います。これ、スポーツやっている人なら分かると思いますが、嫌なのって負けることというよりも、ボコボコにされて負けることだったりしませんか?最悪、三振はしてもいいけど、三球三振だけはしたくない。最悪、ゲームは落としてもいいけど、ラブゲームでは落としたくない。負けても、敗北感がない負けってありません?たぶんそれって、”ちゃんと勝負できた試合”で、そういうのをちゃんと生み出しにいくべきだと思うんですね、スポーツは。
 また、こういった能力で区切れば、『区域内での順位変動が頻繁に起こる』ということが生まれます。スポーツの要素の一つに、『偶然性』というものがあります。何度も勝負をすれば、実力とは関係なく勝敗がひっくり返ることなんていくらでもあるんですね。『区切り』により、「どうせ私なんて勝てない」という決めつけによるスポーツ嫌いを減らし、「ちょっと頑張れば勝てるかも」という実現可能な小目標を持ちやすくなります。
 たかぎスポーツクラブではジュニアの初心者大会などをやりますが、入賞者は他の大会と変わらず、嬉しそうなんですよ。達成感や幸福感に満ち溢れているんです。「こんな大会で優勝しても仕方ない」なんて思っていない。区切るって大事だなと思います。


 大人になると、正直言って万能なんて目指しませんよね。サラリーマンは、「100点を目指して時間をかけるより、70%で一回見せに来い!」と言われ、ビジネスマンは、「勝てる舞台に上がれ。負けると分かっている戦いはするな」と言われます。
 スポーツでも同じだと思いますし、子どもについても同じだと思います。個別には万能は目指してもいいですが、社会としては、『区切る』ことで『楽しめる競争』を生み出せる環境づくりを進めるべきだなと思います。それはつまり、スポーツが苦手な子を減らすのではなく、スポーツが苦手な子を『認める』ということです。総合型地域スポーツクラブができることは多いと思っています。例えばジュニアにおいてエンジョイクラスと競技クラスの2つを用意するとかですね。区切るんです。

 というわけで今回は、『スポーツ万能の罠』というテーマでお話させていただきました。伝わりにくいかったらごめんなさい!
今回もお読みいただきありがとうございました!
ではまた!

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総合型地域スポーツクラブや筆者の挑戦のリアルな実態を曝け出しています。自ら体を張って行ってきた挑戦のプロセスや結果です! 総合型地域スポーツクラブをはじめ、地域スポーツクラブの運営や指導をしているかた、これからクラブを設立しようとしているかた、特に、スポーツをより多くの人に楽しんでもらいたいと思っているかたにぜひお読みいただきたいです!

総合型地域スポーツクラブのマネジメントをしている著者が、東京から長野県喬木村(人口6000人)へ移住して悪戦苦闘した軌跡や、総合型地域スポ…

総合型地域スポーツのマネジメントを仕事としています。定期購読マガジンでは、総合型地域スポーツのマネジメントに関して突っ込んだ内容を毎日配信しています。ぜひご覧ください!https://note.com/kenta_manager/m/mf43d909efdb5