もしも思考で総合型地域スポーツクラブを見てみると。

 どうも!上杉健太です。
 埼玉県富士見市で総合型地域スポーツクラブの代表をやったり、スポーツ推進審議会委員をやったりしながら、生涯スポーツ社会の実現を目指して活動しています。昼夜の気温差が凄いですね(;^_^A

 さて今日は、『もしも思考』というテーマでお話したいと思います。あらゆる新商品・新サービスは、「もしも・・・」という思考で生まれるといいます。「もしも外で電話ができたら」「もしも携帯電話がもっと小さかったら」「もしも携帯電話にパソコンの機能がついていたら」といったもしも思考によって、スマートホンが生まれたかもしれないということですね。
 これは、0→1のアイデアなんてものはほとんどなくて、何か既存の商品なりサービスなりがベースにあって、それをアップデートしたり捉え直したりすることで新しいアイデアとなるという意味でもあると思います。

 では総合型地域スポーツクラブはどんなもしも思考によって生まれたものなのでしょう。僕なりに考えていきたいと思います。


もしも学校でスポーツをするのが当たり前じゃなかったら

 僕はスポーツの機会を失ったなと思った経験が大きく言うと2回あって、それが今の仕事をするようになった大きなきっかけになったと思っています。
 1回目は中学生の時。所属していた野球部が部員不足になって休部になり、やがて顧問が転勤して不在となったことで廃部となりました。そして僕は、スポーツをする場を失い、色々なことのやる気を失い、成績も落ちました(笑)
 2回目は大学受験に失敗して浪人した時です。高校生でも大学生でもなくなった僕は、部活動というものを失い、それはイコール、スポーツを失うことでした。当時の僕にとってスポーツは、学校でやるものだったからです。

 もしもこの時、学校でスポーツをするというのが当たり前という文化・価値観がなく、地域やその他のコミュニティでやるのが当たり前の文化や環境があったら、きっとスポーツを失うことはなかっただろうと思うんですね。

 だから僕は、学校中心のスポーツから地域スポーツへの転換を図りたいと思って、総合型地域スポーツクラブを仕事にしたわけです。そう、これは僕自身の苦い過去の経験から来る「もしも」。もしも学校でスポーツをするのが当たり前じゃなかったら、学校で上手くいっていない人も、学校へ行っていない人も、学校に所属できない人も、みんながスポーツをする機会や場を持てるはずだ。そうだ!それを総合型地域スポーツクラブがやればいいんだ!だから総合型地域スポーツクラブは、学校とか会社とか年齢による区切りに関係なく続けていける環境を作りに行く。

 そういうことです。

もしも全てのスポーツ種目がお互いをリスペクトし合っていたら

 僕のスポーツのトラウマは実はもう一つあります。それが野球vsサッカーのトラウマです。
 僕は小学生の時に野球をやっていました。小学3年生からチームに所属したのですが、ちょうどその時、確かJリーグが開幕するタイミングで、サッカーブームみたいなものも来ていたんですね。それで、運動が得意な子はほとんどが野球をやっていたのですが、それがちょっとずつサッカーにも流れるような社会の動きがあったと記憶しています。僕もサッカーは体育の授業や遊びでやっていて好きだったから、チームに所属したい気持ちを持っていました。ところが同じ野球チームに所属していた同級生が、サッカーチームにも所属していたことで、野球チームの監督やコーチからちょっと酷い扱いを受けることがあり、僕はサッカーチームに入りたいことすら口に出すことができませんでした。これがトラウマです。当時の僕からしたら、野球もサッカーも面白いスポーツだったのに、大人はそうは考えませんでした。「サッカーをやると馬鹿になる」という野球コーチだっていました。

 もしもあの時、野球のコーチがサッカーのことをリスペクトしていたら、きっと僕はサッカーもやっていたでしょう。もちろん野球もやっていたでしょう。やりたいことを我慢することなく、大人の都合に振り回されることなく、スポーツを楽しむことができたはず。僕はそういう社会を作りたいんです。もしも全てのスポーツ種目がお互いをリスペクトし合っていたら、みんなもっと自由にスポーツを選択できて、きっと人々はもっと幸せになれるはずだ。そうだ!それを総合型地域スポーツクラブがやればいいんだ!だから総合型地域スポーツクラブは、お互いがリスペクトし合う多種目・多志向の活動を行う。

 そういうことです。

もしもスポーツを仕事にできたなら

 僕が大学でスポーツビジネスを学んだものの、新卒で入社したのはスポーツの会社ではありませんでした。スポーツ業界は報酬が低かったりして、大手志向だった僕には魅力的に映らなかったんです。今思えば、何ともくだらない価値観を持っていたものだと思いましたが、学歴社会のど真ん中を生きて来てしまっていた僕にとっては、それが当然でした。

 そんな僕も新卒で入社した会社に7年間勤めると、スポーツ界への転職を決意しました。その時には色々な経験をして、「人生の最大幸福を得るには、仕事でも幸せを得るしかない」という考えに至り、「だったらスポーツを仕事にするしかない」と、総合型地域スポーツクラブの世界に飛び込んだわけです。この時の僕のもしも思考は、「もしもスポーツを仕事にできたなら、これまでのビジネススキルや経験をフル動員してもっと高いパフォーマンスが発揮できるだろうし、総合型地域スポーツクラブであればもっと直接的に社会貢献ができて、きっと自分の幸福度にも繋がるだろう」といったものでした。

 何となく社会には、プロスポーツ選手になれなければスポーツの道は諦める、みたいな風潮があると思います。もちろん、プロスポーツ選手は魅力的なスポーツの仕事です。でも、それ以外にもスポーツの仕事はある。それで食っていけるようになれば、そこを目指したい若者はきっとたくさん出てくると思うんですね。プロを諦めてもいくらでもスポーツを仕事にできる。そういう社会を僕は作りたい。だから総合型地域スポーツクラブを仕事として僕はやるし、後継者が現れるくらいにまでもっていきたい。

 そういうことです。


 ということで今日は、『もしも思考』というテーマでお話しました。目の前の現実を仮想で否定してみるのがもしも思考。それを実行するのが変革者や事業家。社会を作る人たち。僕もそうでありたい。

今回もお読みいただきありがとうございました!
ではまた!


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総合型地域スポーツクラブや筆者の挑戦のリアルな実態を曝け出しています。自ら体を張って行ってきた挑戦のプロセスや結果です! 総合型地域スポーツクラブをはじめ、地域スポーツクラブの運営や指導をしているかた、これからクラブを設立しようとしているかた、特に、スポーツをより多くの人に楽しんでもらいたいと思っているかたにぜひお読みいただきたいです!

総合型地域スポーツクラブのマネジメントをしている著者が、東京から長野県喬木村(人口6000人)へ移住して悪戦苦闘した軌跡や、総合型地域スポ…

総合型地域スポーツのマネジメントを仕事としています。定期購読マガジンでは、総合型地域スポーツのマネジメントに関して突っ込んだ内容を毎日配信しています。ぜひご覧ください!https://note.com/kenta_manager/m/mf43d909efdb5