失敗と成功の捉え方

 結局息子は遅刻しながらも運動会に行き、結局は結構楽しみ、チームが優勝できなかったことを一丁前に夜まで悔しがっていました。あれだけ行き渋っていたのにね。(※ますます謎)

 どうも!総合型地域スポーツクラブをやっています、上杉健太です。

 今日は、『失敗と成功の捉え方』というテーマでお話したいと思います。ふと、僕の現在地は失敗の状態にあるのか、成功の状態にあるのか、よく分からんぞと思ったので、それぞれを仮説として失敗・成功と位置付けて考えてみたら面白そうだなと思って書いています。変な感じで終わる予感しかしない回なので、そのつもりでお読みください(笑)


 まずは僕の挑戦をざっとおさらいすると、

・30歳の時に(株)ベネッセコーポレーションを退職し、地域おこし協力隊として長野県喬木村へ移住。総合型地域スポーツクラブに従事し始める。
・3年間の任期後も、クラブの専従マネジャー(兼理事)として従事。
・さらにその約4年後、クラブを退職して埼玉県富士見市へ移住。ゼロから総合型地域スポーツクラブを立ち上げ、現在2年目。
・喬木村のクラブとはアドバイザー契約を結び、現在もお付き合いさせていただいている。

という感じです。

 僕はこの挑戦を始めた時に、いきなり喬木村で成功できるとは限らないと思っていました。ていうか、基本的には失敗するのだろうと思っていました。そこでずっと食っていくには、かなり厳しい戦いになるだろうと。しかし、とても強い行政の支援体制があった喬木村では、望めばずっと食っていくこともたぶん可能だったと思います。そういう意味では、クラブマネジャーという職業を食っていけるものにするという一つの目的の為には、喬木村で僕がずっとクラブマネジャーとして食っていくことが、一つの成功の形だったと思います。

 しかし僕はそうはしなかった。ということは、この観点からすると富士見市に移住して独立した僕の現在地は、”失敗”の状態にあると考えることができます。

 もしもこれを失敗とするなら、そこから何かを学び、次の挑戦に活かさなければなりません。僕はどうしたらこの”失敗”を避けられ、ずっと喬木村でクラブマネジャーとして食っていくことができたのでしょう。


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総合型地域スポーツクラブや筆者の挑戦のリアルな実態を曝け出しています。自ら体を張って行ってきた挑戦のプロセスや結果です! 総合型地域スポーツクラブをはじめ、地域スポーツクラブの運営や指導をしているかた、これからクラブを設立しようとしているかた、特に、スポーツをより多くの人に楽しんでもらいたいと思っているかたにぜひお読みいただきたいです!

総合型地域スポーツクラブのマネジメントをしている著者が、東京から長野県喬木村(人口6000人)へ移住して悪戦苦闘した軌跡や、総合型地域スポ…

総合型地域スポーツのマネジメントを仕事としています。定期購読マガジンでは、総合型地域スポーツのマネジメントに関して突っ込んだ内容を毎日配信しています。ぜひご覧ください!https://note.com/kenta_manager/m/mf43d909efdb5