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【小説】クラマネの日常 第7話「会長の威厳」

 僕はひょんなことをきっかけに、小さな村にある総合型地域スポーツクラブのマネジャーをすることになった。
 竹内隼人。それが僕の名前だ。郷田さんという役場職員のかたに強引に誘われて、この仕事をすることになった。仕事には慣れてきたと思う。でもクラブには変わった人がたくさんいて、僕はいつも戸惑ってばかりいる。

 うちのクラブの会長は、安西会長といって、大きな体に大きなお腹を携えたおじいちゃんだ。髪は白髪で、性格は至って穏やか。一部の人からは仏の安西と言われているとか。おじいちゃんといっても、確か年齢はまだ60歳くらいだったと思う。元々は千賀村スポーツ協会の会長をしていたのだけど、そこを退任したタイミングと総合型地域スポーツクラブの立ち上げのタイミングが重なって、こちらの会長に就任したと聞いている。
 安西会長が何かの意見やアイデアに反対しているのを、僕は見たことがない。それが、その見た目の通りの大きな心で全てを受け止めているようにも見えるし、ただ単に関心がないようにも見えるし、実は内心では腹黒いことを考えているようにも見えるから、僕はどこか不気味さみたいなものを感じることがある。というのも、一度安西会長の家にお邪魔したことがあるのだが、それがもう一般人のものとは思えなかったのだ。

 僕が会長の家に行くことになったのは、なんてことはない、ただ印鑑を押してもらうという用事だった。クラブが申請をしている補助金を受け取るにあたり、必要書類に代表者が押印をする欄があり、僕にはそれをいただく必要があった。補助金を得ることは、うちのようなクラブのマネジャーにとってはとても大切な仕事として位置づけられている。
「もしもし、クラブマネジャーの竹内です。安西会長ですか?」僕が電話をすると、「はい、安西です。どうしましたか?」と安西会長はいつもの穏やかな口調で電話に出た。
「実は、例年申請している補助金の書類提出の関係で、会長の印鑑をいただきたいのですが」と僕が用件を切り出すと、安西会長は「ほっほっほ。それはご苦労さまです。いいですよ。ただちょっと、家にいなければならない用事があるので、来ていただけますか?」と言った。
「もちろんです。では今から伺います」
「はい。待ってますよ」
 僕は電話を切るとすぐに書類の準備をして、クラブの所有する車に乗り込む。エンジンをかけようとするが、一度ではかからない。冬は特にかかりにくい。購入時点でかなりの年季が入っていた中古の軽バンだった。僕はもう一度キーを捻る。が、かからない。今度はアクセルを踏みながらやってみる。キュルキュルキュルキュルキュルという音に続いて、ブオーン!という大きな音が響いてエンジンがかかった。僕はシートベルトを締めてサイドブレーキを下ろし、ギアをドライブに入れる。ゆっくりとアクセルを踏み、クラブハウスの駐車場を出る。
 会長の家は何となくは知っていた。会長をよく知る運営委員のかたに詳しい場所を聞くと、その辺に行けば分かる、とだけ言われた。僕はそれを信じ、詳しくは調べなかった。ところがいざ向かっていると、不安になってきた。人の家なんて分かるものなのか?普通は表札を覗き込んではじめて誰の家かが分かるものだろうと思う。安西会長の家は看板でも出ているのだろうか。まさか。
 安西会長の家は、すぐに分かった。さすがに看板は出ていなかったが、「行けば分かる」と言った委員の意味はすぐに分かった。異様に大きい家だったからだ。しかも周りには他に家がなく、迷いようがなかった。念のために表札を確認すると、確かに『安西』とあったから、僕は間違いないと思って、大きな門をくぐり抜けて敷地内へ車を乗り入れた。
 中に入ると、すぐ脇に駐車スペースと思われる砂利が敷かれた場所があったから、そこに車をとめた。そこには既に何台かの車がとまっていて、ファミリーカーもあれば、明らかに高級そうに見える黒光りした車もあり、これ全部会長の家に車なのかと僕は驚かずにはいられなかった。その中の一台に、『安西商会』とだけペイントされた白い軽バンがあった。他の車と比べて明らかに年季が入っていて、ある意味で目立っていた。安西商会?これが会長の仕事なのだろうか?商会って何だろうと、僕は思った。とりあえず何かの商売をするのだろうと想像するが、何を売っているかまでは考えないようにした。それが、周りに家がない理由と関係があるのか、ないのか、それも僕は考えないようにした。
 僕は車を降りて、50mほど先に見える大きな邸宅へ向けて歩き出した。邸宅へ向かう道には石畳が敷かれていて、その脇は砂利が敷き詰められている。左手には日本庭園が広がっていて、きれいに整えられた木が並び、小さな橋がかかった池までもがあった。ここは観光地かどこかなのだろうかと錯覚しそうになる。どこかで「カコン」という音が一定の時間で鳴っていたから、たぶん鹿威しもあるのだと思う。この時点で僕は、安西会長に対する得体のしれない畏怖を感じていた。
 日本庭園を横目に歩いていると、邸宅にたどり着いた。大きく頑丈そうな玄関のドアに、瓦屋根、庭に面した部分には長い縁側があり、どれもが完璧に手入れがされていて光り輝いているように見えた。お屋敷。お屋敷と邸宅の違いは分からないけど、とりあえずこれは「家」と呼ぶには立派すぎると、僕は思った。僕はほんの少し芽生えてしまった緊張と唾をゴクリと飲み込み、玄関の脇にあったインターホンを押した。家の中でピンポーンという音が響いているのが分かる。こういう家でもインターホンは「ピンポン」なのだと思って、僕は少し可笑しくなる。やがて玄関のドアの向こうから、「はい、はい、はい」という安西会長の声が聞こえてきて、ガチャリとドアが開いた。そこには、ヨレヨレのスウェット姿の安西会長がいた。大きな門、観光地化と錯覚するほどの日本庭園、立派すぎるお屋敷には、最も不似合いな格好をした安西会長は、大きなお腹が隠しきれておらず、中の白いインナーシャツが見えていて、僕はすっかり緊張感をなくしてしまった。
「あ、会長。お宅まで来てしまってすみません。印鑑もらいに来ました」僕は家のことや服装には一切触れないことにして、本題を切り出した。
「よく来ましたね。こんなところでは何ですから、中へどうぞ」安西会長はそう言うと、玄関から続く廊下を一人で歩き始めてしまった。僕は慌てて靴を脱いで、向きを変えて隅っこに置きなおし、安西会長の後を追う。廊下の脇にはいくつものドアやふすまがあり、何より廊下はどこまでも続いているように思えるほど長かった。廊下が綺麗すぎてツルツルしていて、僕は歩くというよりも滑るようにして進んでいた。そういえばスリッパみたいなものが玄関にあったけど、あれば使った方がいいものだったかなと思ったのはその時だったが、はぐれると迷子になりそうだったので引き返すのはやめておいた。
 やがて安西会長はとあるふすまの前で立ち止まり、そこを開けて中に入った。僕も後に続く。
 部屋の中に入ると、そこは客間のようだった。畳が敷かれた、いわゆる和室で、数えたわけではないけどざっと32畳くらいはあったのではないだろうか。その真ん中には大きく黒光りした木製の座卓があり、長辺にあたる部分には、余裕を持った間隔で座布団が3つずつ置かれていた。左手には掛け軸と刀、兜や鎧が置かれていて、改めて会長は一体何者なのかと思った。
 会長はゆっくり座卓をまわり込んで奥へ座ると、僕にも「どうぞ」と座布団をすすめてくれた。僕は会長の正面に座ると、さっそく持ってきた書類を出す。
「会長、印をいただきたいのはこれです」そう言って、僕は書類を卓上に置く。
「はい、はい、はい」と言って、安西会長はズボンのポケットから印鑑を出してさっそく押そうとする。
「あ、会長。説明しなくていいですか!?」僕は一応書類の説明をするつもりでいたから、思わず会長を静止してしまう。
「ほっほっほ。そうですね。じゃあ、お願いします」会長はそう言うと、一度印鑑を置いた。
「これは、僕と中山さんのクラブマネジャーとしての日報です。クラブマネジャーの賃金に出される補助金の報告に使う書類です」
「ほっほっほ。そうですか。これはたくさんありますねぇ」安西会長は目の前に置かれた紙の束を見ながら言う。
「そうなんです。二人の1か月分です。会長にはこれに毎月、押印をお願いしたいんです」
「ほっほっほ」会長は笑った。本当に笑っているのかと、僕は不安になる。
 会長はゆっくり一枚一枚に印鑑を押していき、たまに日報の内容に「これは大変でしたねぇ」とか「ご苦労様です」と言ったねぎらいを言葉をかけてくれた。やはり仏の安西会長だと、僕は思った。その一言に、僕はすっかり嬉しくなってしまったからだ。途中で会長は、「お茶も出せずにすみませんね」と言った。僕は、「そんな。お構いなく」と答えたが、それは本心だった。特にお茶が飲みたいとは思わなかった。それでも会長は、「妻がいなくてね」と言った。その意味が僕には、「今は妻が出掛けていて」なのか「結婚していなくて」なのか「妻に先立たれて」なのか分からず、僕の頭は混乱した。でも駐車場にあったファミリーカーを見る限り、独身とは思えない。それとも家族ではないファミリーがいるということなのだろうか・・・。僕は会長がトン、トンと印鑑を押す音を聞きながら、余計なことばかりが頭をめぐっていた。そんな状態だったものだから、全てに印が押されるのに30分ほどかかっていたと思うのだが、僕には一瞬のことに思えた。
「ありがとうございました、会長。また来月も準備ができたらお持ちしますので」僕がそう言うと、安西会長は手首をプラプラさせながら、「ほっほっほ。お待ちしてますよ」と言った。会長は本当に笑っているのだろうかと、やはり僕は思った。

 それから会長と僕は、毎月この作業を続けている。僕は段々と屋敷に畏怖を感じることはなくなり、会長のスウェット姿にも慣れていった。ただ、今でも時折、会長の笑い声には愉快さではない何かが混じっているような気がして、そういう時は今でも下手に口を開かないように気を付けている。もしかしたら僕は今、本物の威厳というものに触れているのかもしれない。怖いけど怖くない。優しいけど優しくない。立派な屋敷と腹が隠れないスウェット。「ディスイズ威厳」と、僕は口に出して言ってみる。

総合型地域スポーツのマネジメントを仕事としています。定期購読マガジンでは、総合型地域スポーツのマネジメントに関して突っ込んだ内容を毎日配信しています。ぜひご覧ください!https://note.com/kenta_manager/m/mf43d909efdb5