全ては暫定的

 どうも!上杉健太です。
 埼玉県富士見市で総合型地域スポーツクラブの代表をやったり、スポーツ推進審議会委員をやったりしながら生涯スポーツ社会の実現を目指して活動しています。パンフレットを配り終わるまで一切休みなしの日々!(※たぶん3月いっぱいまで)

 さて今日は、『全ては暫定的』というテーマでお話したいと思います。メンタリストDAIGOさんの動画でこのフレーズが紹介されていて、「それそれ!」と思ったので今日のネタにしてしまう次第です。


 少し前の記事で、「総合型地域スポーツクラブはサグラダファミリアだ!」みたいなことを書きました。この時は、総合型地域スポーツクラブは永遠の未完成だ、みたいなことを言いたくてサグラダファミリアに例えたのですが、「未完成」というよりも、「暫定的」という方がしっくり来るなと思ったんですね。

 例えば、僕が現在代表を務めているふじみスポーツクラブでは、バドミントンやバスケットボール、テニスなどの種目で『ジュニアクラス』という活動クラスがあり、小中学生がエンジョイ志向でスポーツを楽しんでいます。ところがこれは、別にエンジョイ志向に固定化しているわけではありません。初期段階の今は、とりあえずそうするしかない。それだけのことなのです。競技志向の人は既にどこかでやっていますし、これから始める人でも競技志向でスタートしたいと思っている人は、競技的な実績を残しているクラブなどを選ぼうとしますから。

 ところが最初はエンジョイ志向でスタートする活動も、段々と様子が変わっていきます。「やっているだけで楽しい」という状態だった人の中から、「もっと上手くなりたい」とか、「勝ちたい」と思うようになる人が必ず出てくるからです。競技志向誕生の瞬間と言ってもいいでしょう。そうなると、クラス全体でエンジョイ志向に留まるのか、競技志向に移行していくのか、それともエンジョイ志向と競技志向に分化するのか、そういった判断をすることになります。これが最初のエンジョイ志向が暫定的だということなんですね。そのままの状態ではずっとはいかないわけです。いずれにしても何らかの変化がある。

 では、エンジョイ志向も健康志向も競技志向も、コンテンツとして完全に揃った状態のクラブではどうでしょう。もうそれ以上に分化することはなく、ニーズは完璧に近い形で満たしているとすれば、それはもう暫定的な状態ではなく、完成形と言ってもよさそうな気がします。それでも僕は、やはりその完成形に見える状態も暫定的だと考えるべきだと思います。いくらクラブの形が変わらなくても、中の人(会員)は変わらるし、クラブのコーチやクラブマネジャーなどは変わるし、地域の環境は変わるからです。もしかしたら新しいクラブが近くに出来て、会員やコーチが移籍するかもしれません。地域の人口が減って、存続できない活動クラスが出てくるかもしれません。そうなれば経済的な理由なども含めてコンテンツの再編成をしたり、人員配置を変えたり、色々な変化をクラブ側からも起こさなくてはならなくなります。完成形と思ったものもたぶん、すぐに形を変えなければならなくなるんです。人が集まって形を作るのがクラブですから、どうしても”ずっと同じ”というのは無理なのだと思います。常に暫定的なんです。


 これは総合型地域スポーツクラブの話だけではなく、この世の全てのことに言えることなのだと僕は思っています。それこそ昔は、「地球は止まっていて、周りの天体が動ている」と考えられていて、それが固定的な考え方でしたが、観測によって「地球も動いている」ということが分かりましたよね。その時代で誰もが疑わなかったような考え方でさえ、暫定的であったことを今の時代を生きる僕たちは既に学んでいるわけです。

 例えば家族も同じです。婚姻関係を結び、夫婦となっても、それはやはり暫定的です。永遠に一緒と言うわけにはいきません。最終的には死別が待っていますし、統計的に言えば3組に1組はお互いの意思または法的な措置によって別れます。子どもが増えたり、誰かが死んで減ったりしても、家族の形は変わりますよね。また、周辺環境や経済状況によっても家族の関係性は常に変わり続けます。今の家族の状態は、極めて暫定的だと言わざるを得ないというのが現実なのでしょう。(※だからこそかけがえのないものなのかもしれません)

 そういう意味では、人間関係の全てが暫定的だと言ってもいいでしょう。それを固定的なもの、不変的なものだと信じてしまうと、変化に対して不寛容になり、余計なストレスや感情を抱えることになるのかもしれません。全てを暫定的だと考えることで、人間関係の悩みの多くが解決されるような気もしてきますね。


 ここまで書いてきて気が付いたのですが、僕がこれまで気に入った言葉とか、使うようになってきた言葉には、今回の「暫定的」と似たようなものがあるなと。
 例えば昔読んだ『99%は仮説』という本。これはまさに、「どんなものも1%くらいは間違っている余白や可能性がある」という意味でした。変わる可能性があるということは、暫定的であるということですよね。
 また、僕は何年か前から「仮結論」という言葉を使うようになっているのですが、これも「今のところの答え」という意味で使っていて、まさに暫定的です。

 結局のところ、色々な行動をして、新しい経験をしたり、知識を得る度に考え方も変われば、”正解”も変わる。そして、時代や環境などの周辺も絶えず変わっていく。だから全ては暫定的にならざるを得ないのだと思います。せっかく辿り着いた答えや、せっかく完成したものが暫定でしかないと分かった時に絶望してしまう人もいるのは事実だと思いますが、そういうものだと割り切ることで変化に柔軟に対応し、幸せに生きていくしかないのでしょう。


 というわけで今日は、『全ては暫定的』というテーマでお話しました。

今回もお読みいただきありがとうございました!
ではまた!


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総合型地域スポーツクラブや筆者の挑戦のリアルな実態を曝け出しています。自ら体を張って行ってきた挑戦のプロセスや結果です! 総合型地域スポーツクラブをはじめ、地域スポーツクラブの運営や指導をしているかた、これからクラブを設立しようとしているかた、特に、スポーツをより多くの人に楽しんでもらいたいと思っているかたにぜひお読みいただきたいです!

総合型地域スポーツクラブのマネジメントをしている著者が、東京から長野県喬木村(人口6000人)へ移住して悪戦苦闘した軌跡や、総合型地域スポ…

総合型地域スポーツのマネジメントを仕事としています。定期購読マガジンでは、総合型地域スポーツのマネジメントに関して突っ込んだ内容を毎日配信しています。ぜひご覧ください!https://note.com/kenta_manager/m/mf43d909efdb5