総合型地域スポーツクラブで実現したい”子どもが自らを教育する能力を最大化する環境”

 バドミントンやった翌日のテニスラケットとボールが重過ぎる問題。

 どうも!総合型地域スポーツクラブをやっています、上杉健太です。

 今日は、『総合型地域スポーツクラブで実現したい”子どもが自らを教育する能力を最大化する環境”』というテーマでお話したいと思います。教材は、「遊びが学びに欠かせないわけ―自立した学び手を育てる」という書籍です。


 まずはこちらの本で、著者が「子どもが自らを教育するための能力を最大化するための条件」としてあげている7つの条件をご紹介します。

・遊びと探求するための時間と空間
・生徒たちは年齢に関係なく自由に交流できる
・知識があって、思いやりのある大人たちとの接触
・様々な設備・備品へのアクセスと、それらを自由に使えること
・考えを自由に交換できること
・いじめからの解放
・民主的なコミュニティーに浸っている

『遊びが学びに欠かせないわけ―自立した学び手を育てる』(ピーター・グレイ)

 僕はこれにとても共感するんですね。これが、総合型地域スポーツクラブでも実現できるといいなと思うわけです。自由度の高い『家庭』、つまり我が子にはある程度実現できている部分もあると思うのですが、総合型地域スポーツクラブとなるとやりたいようにやれるわけではないというのが現実なので・・・。

 というわけでこれらの7つの条件が、どうやったら総合型地域スポーツクラブで実現できるかを考えていきたいと思います。


遊びと探求するための時間と空間

 著者はこう述べています。

遊びや探求を通した自己教育には、計画されていないたくさんの時間が必要です。

 これを総合型地域スポーツクラブで実現しようとすると、どうしてもクラブハウスが必要になるなと思いました。というのも、公共施設を借りてクラブの活動を行う場合、どうしても内容をある程度決め、時間については極めてきっちり決めて行わなければならないからです。借りる時間は決まっていますからね。”計画されていないたくさんの時間”というのを作るには、他の団体に影響されない自分たちの場を持っていないと現実的には無理でしょう。(※子供が勝手に”空地”みたいなところで遊ぶのはいいとしても、それは総合型地域スポーツクラブとしてはできない)

 やっぱりクラブハウスが必要です。
 前にマネジャーを務めていたクラブはクラブハウス(公営)を拠点に活動をしていましたが、クラブハウスに来る子の一部は、”計画されていない時間”を持つことができていたように思います。思い思いに、卓球をやったり、テレビを見たり、本を読んだり、雑談をしたり、外で鬼ごっこをしたりしていました。(※ごく一部に留まっていたような気はするが)
 こういう時間は、核家族化や共働き世帯の増加によって子ども達が奪われてきた時間だと思います。多くの子が学童に行ったり、習い事へ行ったりしていて、”計画されていない時間”を持てていません。クラブハウスを持たない総合型地域スポーツクラブも、その一端を担ってしまっているのでしょう。
 ”計画されていない時間”を子ども達に作ってあげる為にも、自由に遊べるクラブハウスはやっぱり必須ですね。絶対に目指さないといけない。

 とはいえ、じゃあクラブハウスがないと何もできないのかというと、きっとそんなことはありません。僕がコーチを務めているクラスでは、必ず『自由時間』を設けるようにしています。休憩する子もいるし、外では砂遊びをする子もいるし、自主練習みたいなことをする子もいます。それぞれがやりたいことをできる時間。それはほんの少しだけかもしれませんが、必ず作るようにしています。この程度の”計画されていない時間”は、きっとどの総合型地域スポーツクラブでもすぐに作ることができるでしょう。


生徒たちは年齢に関係なく自由に交流できる

 この書籍は、学校が舞台になっているので『生徒』と表現されていますが、これは『子ども』と置き換えて問題ないかと思います。子ども達が自らを教育する為には、異年齢の自由な交流が条件ということです。

 これは、打ち手としてはシンプルかなと思います。なるべく対象年齢の幅を大きくした活動にするということです。理想的には、全世代を対象とすることがいいのですが、たぶんですがそれでは人が集まらず、せっかくの企画が台無しになるので、ある程度の範囲で対象年齢は絞ることになるでしょう。

 この点、ふじみスポーツクラブ、というよりも総合型地域スポーツクラブは比較的対象年齢を広くとっている印象があります。例えばサッカークラブだと、U-8,.U-10, U-12などのように結構細かく年齢で分けることが推奨されているように思いますが、総合型地域スポーツクラブの場合は、『小学生』のようにくくって一緒に6学年が活動している場合も多いです。少なくとも、ふじみスポーツクラブはそのようにしています。これは、経営上の都合が一番の要因だったりするのですが、明らかなメリットもあります。上級生が自然とお手本になろうとしたり、手加減してあげたり、低学年は勝ち負けをあまり気にせず思い切って挑戦できたりするんです。手加減については賛否あるかもしれませんが、コーチをやったことがある人は分かるでしょう。手加減というものは結構なスキルを要するんです。手加減とは要するに、相手に合わせるということです。これはコーディネーション能力で言うところの、同調能力(リズム能力)を大きく育てます。手加減をしないで済む環境も大事ですが、手加減をすることも確実に成長に繋がるんです。

 ただ、このパートについては気を付けなければならないことがあると思っています。それは、『自由』ということです。これは、子ども達が自由の中でとった選択であることが絶対条件だと思うわけです。異年齢交流みたいなものは、ほとんどの学校で取り入れられています。でもそれらのほとんどは、学校によって強制されたものであって、子ども達が自由の中から選択したものではありません。その条件下では、教育的な効果は極めて低くなると思うし、中にはその後の異年齢交流を避けようとする人も出てくるでしょう。

 つまり総合型地域スポーツクラブで『異年齢交流』の環境を作ろうとする時には、強制するような何かを仕掛けてはいけないということです。コーチから、「高学年は低学年のお手本になるように」とか言ってはいけないし、バディみたいなものを組ませてもいけない。それでは子ども達は、「大人に強制されている」と感じてしまいますから。大袈裟に言えば、クラブは異年齢の子が集まるように募集だけして、あとは子ども達自身の行動に任せるということです。別に自分のことしか考えない高学年がいても、それを認める姿勢こそが大事なのだと思います。(※あくまで子ども自身が自分を教育するということにこだわる)


知識があって、思いやりのある大人たちとの接触

 こここそが、現場のコーチなどの腕の見せ所となるかもしれませんね。子ども自身が自分を教育すると言っても、完全に子ども達を放置してはいけません。彼らは、彼らの少ない知識の中でしか選択ができませんから、その選択肢を増やすような提案は大人からすべきだと僕は思っています。指示ではなく、『提案』です。(※これがめちゃくちゃ大事)

 だから僕たちスタッフは、子ども達が知らないような知識を持っている必要があります。彼らの選択肢を広がる為の知識です。ただその知識を、“武器”として子ども達に振りかざしてしまう大人がいるのも事実で、それはもう完全にアウトです。典型的なのは、「君達はまだ子どもだから分からないだろうけど、いつか分かるから!だから言う通りにしろ!」みたいなやつですね。思いやりがないですよね。いくら知識があっても、子どものことを思いやれない大人とは接触しない方がいい。じゃないと自由を奪われるから。僕たちは、子ども達を思いやらないといけない。もっと言うと、彼らの生涯を思いやるということです。“大人が結果を出したい3年間”とかじゃなく、です。


様々な設備・備品へのアクセスと、それらを自由に使えること

 これは僕が家庭での子ども達と接する時にすごく大事にしている、なるべく子ども達に『禁止』をしない、に似ているような気がします。ついつい大人は、使い方が分かっていない子ども達が様々な設備や道具を使うことを止めたくなるのですが、彼らは最初は色々な失敗をしても、あっという間に(※絶対に大人よりも早く)使い方を習得し、大人も気付かないような使い方を発見したりします。そして、それを使ってどんどん新しいことを学んでいくんです。特にインターネットの自己教育の可能性は凄いですよ。情報が溢れていますから、どんどん勝手に学べます。多くの大人は、情報が溢れているからこそ制限したくなるのでしょうが、完全に逆です。情報が溢れているからこそ、そこにアクセスさせた方がいいんです。

 そういう意味では、わが子から聞く学校というのは、制限だらけです(笑) どこまでが本当に制限されているのかは怪しんでいますが、息子曰く、先生用だか高学年用の図書室に入ることは1年生は許されておらず、冬でも体育着は半ズボンしか許されておらず、残すつもりの給食を友達に譲ることも許されていないようなんです。(※未開封の牛乳さえも) 繰り返しますが、”息子曰く”なので結構怪しいです。正直、さすがにそんなことないだろと思うことが本当に多すぎるので(笑) でも、彼がそういう風に思い込んでしまうくらいに、学校というところは今でも子ども達に色々なものを強制させ(※まぁ他人に対して行う教育とはそういうものだけども)、時に大人の怒りによって子どもの行動を制限させているようです。息子がしょっちゅう言っているのは、「そんなことをしたら絶対に先生に怒られるよ~」なんですね。だから息子は、学校ではなるべく”余計なこと”は言わないようにしてるんだそう・・・。(※余計なことばかりして怒られまくっていた僕の子ども時代とは真逆だ(笑))

 ちょっと脱線しましたが、僕としては子どもに制限をかけずに自由に色々なものを使わせることのメリットを実感しているので、できるだけ総合型地域スポーツクラブでもそうありたいなと思っています。
 例えば、僕が考えたメニューでは使わないけど、できる限り色々な道具を持って行って自由時間には自由に使って遊べるようにしています。あるいは、たまに手で扱うボールを蹴ることを「けしからん!」と考える大人もいますが、僕はそこも自由にしています。別にテニスボールを蹴っても構わない。何なら僕が、「コーチは足しか使わない」とか言って子ども達とテニスの試合をして遊んだりもします(笑) 禁止するのは、本当に危ない行為だったり、他の利用者に迷惑をかけるような行為だけです。できる限り、禁止を禁止しています。そうすることで本当に子ども達は勝手に成長するから。

 もしもクラブハウスを持つようになったら、その施設もできるかぎり自由に使えることが大事です。これは本当にもどかしいのですが、せっかくいい施設があってもその利用を制限しすぎる(※多くの禁止事項を作る)と、本当に宝の持ち腐れ状態になるんです。そして多くのルールは、古臭い価値観を持ったおじいちゃんとかおばあちゃんの、「あんなことを許していいのかね」みたいな小言だったり、運営スタッフの「余計な仕事を増やしたくない」というサボタージュから生まれていたりします。仕事したくないなら施設は作らない方がいいです(笑) クラブハウスを持つなら、とことん”効果”にコミットするべきでしょう。その時に、自由に使えるというこだわりは絶対に大事にした方がいいと僕は思います。


考えを自由に交換できること

 ここでも『自由』が出てきましたね。ここの自由は、思考と発言の自由ということかなと思います。子ども達が大人に気を使うことなく自由に発想することができ、それを自由に発言することができる。そして大人や他の子どもも同じように自分の考えを伝えてくれる。それが考えの交換ですね。そこで自分の意見が相手の意見と同じになることもあれば、違うままのこともあるでしょう。でも、それをそのまま認めるというのが自由な交換なのだと思います。だからこそ、いつでも自由に発想し、自由に発言し続けられる。

 「そんなことを言ってはいけません!!」と大人から言われちゃうと、もうその子供はその後、「あ、もしかしたらこれを言うとまた怒られるかな?」と、過去に怒られた経験を転用してしまい、必要以上に思考・発言をやめるようになってしまうんです。「どうせ言っても怒られるだけだ」とか、「やるだけ無駄」みたいなネガティブな方向にいき、最終的には、「大人に言われたことだけをやってればいいや」みたいな機械人間みたいな感じになっちゃうんですね。そうならないようにするためには、自由に発想し、発言し、それをお互いができるようになっていることが重要なのだと思います。

 つまりコーチには、子ども達の意見を否定しないという姿勢が求められます。コーチの経験的にはおかしいと思える意見でも、「そういうのもあるかもね」と認めたり、最低でも、「君はそう考えるんだね」と認める。そういう姿勢が大事で、コーチの意見も同等のものとしてしっかり伝えるといいのだと思います。それが考えの交換がある現場なのだと思います。


いじめからの解放

 6つ目が『いじめからの解放』ということです。総合型地域スポーツクラブをやってきて、あまりイジメみたいなものが生まれたことはないかなとは思っていますが、もちろん、イジメが生まれるような環境では、子どもは自分を教育しようとはしないでしょう。これは、いじめる側もいじめられる側も。
 いじめる側は、いじめる対象者にばかり気がいってしまって、たぶん自分の成長には一才関心が向かないと思うし、いじめられる側も、いじめる側に成長を邪魔されてしまう。自己教育というものが実現される環境では絶対にないですよね。

 だからイジメはない方がいい。では、どうしたらイジメが生まれないでいられるか、ですよね。正直答えは分かりませんが、これまでの5つの条件をクリアしていけば、イジメなんて生まれないじゃないかなという気はしています。やっぱりイジメって、何らかの圧迫とか緊張とかの吐口的に起こったり、無理矢理に(相対的に)自分のヒエラルキーを上げようとする意思から発生するような気がするから、子ども達が自由を感じられる環境では、イジメはほぼ起きないような気がするんですよね。あと、現実的には固定化された人間関係にこそイジメは起きやすいと思うので、常に新しい人が入ったりするクラブだと、イジメは起きにくいし、週1回くらいの活動でも人間関係は固定化されないからイジメは起きにくいのかなとも思っています。

 注意が必要なのは、競技志向の活動ですね。競技志向の場合、どうしても競技力によるヒエラルキーというのが生まれやすくなると思います。強い人が偉い、みたいな錯覚ですね。まだ未熟な子どもが変に権力みたいなものを持ってしまうと、もしかしたら競技力が低い人を虐げてしまうみたいなイジメが発生しやすくなるかもしれません。なので、競技力が高い子をそれを理由にキャプテンにするとか、特別扱いするみたいなことは避けるべきでしょう。(※競技力が高い子がいじめっ子になるというわけではないけど)


民主的なコミュニティーに浸っている

 さて、ようやく最後の条件です。これが少し意味不明というか、ちょっと分かりにくいですよね。民主的なコミュニティというのは要するに、自分も含めたみんなで意思決定をしているコミュニティということのようです。逆によろしくないコミュニティとしては、自分ではない誰かの意思決定によってすべてが決定してしまうようなコミュニティと言っていいかと思います。

 これは総合型地域スポーツクラブは気を付けた方がいいですよね。例えばコーチが絶対的な権力者みたいになってしまって、あるいはそういう雰囲気はなくても、子ども達の意見を一切受け入れないみたいな姿勢でいる場合、子ども達はそこが民主的なコミュニティとは思えず、自ら考えたり発現したりすることをやめてしまい、成長を止めてしまうかもしれません。最終的な意思決定はコーチが行うとしても、そのプロセスに子ども達が参加でき、そして意見が反映されていると思えることが重要だということだと思います。そしてできれば、子ども達だけで考え、実行している感じも出るとさらにいいのだと思います。この辺は塩梅が非常に難しいですが、理想としてはちゃんと持っておいた方がよさそうです。


 というわけで今回は、『総合型地域スポーツクラブで実現したい”子どもが自らを教育する能力を最大化する環境”』というテーマでお話しました。7つの条件が出てきましたが、かなり共通項がありましたよね。キーワードは明らかに『自由』だったと思います。いかに子ども達が自由を感じて遊べるか。そこに自己教育の成果は大きく左右されるのだと思いました。『自由』の作り方には色々あるのでしょうが、根底に絶対に必要なスタンスは、「子ども達を尊重する」「大人と子どもは対等」というようなことだと思います。ただ、持っているリソースや知識量は大人と子どもでは明らかに違いますから、その違いはちゃんと認識し、与えるものは与えることが大事。そういうことかなと思います。(※それでマウント取っちゃダメだけど)

今回もお読みいただきありがとうございました!
ではまた!

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総合型地域スポーツクラブや筆者の挑戦のリアルな実態を曝け出しています。自ら体を張って行ってきた挑戦のプロセスや結果です! 総合型地域スポーツクラブをはじめ、地域スポーツクラブの運営や指導をしているかた、これからクラブを設立しようとしているかた、特に、スポーツをより多くの人に楽しんでもらいたいと思っているかたにぜひお読みいただきたいです!

総合型地域スポーツクラブのマネジメントをしている著者が、東京から長野県喬木村(人口6000人)へ移住して悪戦苦闘した軌跡や、総合型地域スポ…

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