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【小説】クラマネの日常 第14話「チャンスってどこかに転がってるんですよね?」

 僕はひょんなことをきっかけに、千賀村という小さな村にある総合型地域スポーツクラブのマネジャーをすることになった。
 竹内隼人。それが僕の名前だ。郷田さんという役場職員のかたに強引に誘われて、この仕事をすることになった。仕事には慣れてきたと思う。でも、このクラブで働いているとまだまだ新しい発見があったりもする。

 僕は千賀村で生まれ育った。千賀村の保育園に通い、千賀村の小学校で学び、千賀村の中学校で思春期を過ごした。千賀村に高校はないから、高校は隣の街の農業高校に自転車で通った。隣の家がパン屋さんだったのだが、いつの間にか閉店してしまったように、僕が高校へ行き、村で過ごす時間が減ると、僕は段々と村の様子が分からなくなっていった。というよりも、千賀村がどうであるかなんて、全く気にしなかったと言っていいと思う。そしてそれは、県外の短大を受験し、合格したことで決定的になった。僕は初めて家を出て、県を出て、一人暮らしを始めた。保育士になるという夢があった僕は、それなりに真面目な学生生活を送っていたと思う。それでも、それなりに同年代の男女と遊んだりしている青春時代に、千賀村のことを想う時間なんて、年に2、3回帰省した時くらいのものだった。

 やがて就職の為に千賀村に帰ってきた僕は、見事に保育士の採用試験に落ち、そこを役場の郷田さんに拾われ、総合型地域スポーツクラブのマネジャーになった。地域のスポーツクラブだから、地域密着というのが売りの一つなのだけど、その頃の僕には千賀村のことはよく分かっていなかった。というのも実は、クラブにはもう一人中山さんというマネジャーがいるのだけど、彼は県外から移住してきてマネジャーになった1か月後にはテニスコートにチャンスを見出して教室を始めていたというのに、僕にはそういうことはできていなかった。中山さんに声をかけてもらって、一緒にテニスの指導をしているのが精いっぱいの僕にできることだ。
 僕だって何もしないでいいと思っているわけではない。中山さんのように、僕も新しい何かをしなければいけないとは思っている。でも何をしたらいいのか分からないのだ。「そういえば」と思う。そういえば中山さんは、移住してきて1週間くらいは、事務所にほとんど顔を出していなかった。そしてある日から事務所にいる時間が増えたと思ったら、テニス教室の企画を語りだしたのだ。きっと最初の1週間は、千賀村を見て歩いていたに違いないと僕はみていた。一度中山さんに聞いてみたが、「そんなことしませんよ。面倒くさい」と誤魔化されたが、きっとあれは嘘だ。

 というわけで僕は、事務所に中山さんがいて、僕が事務所を空けていても平気な時間を見計らって、千賀村を散策してみることにした。中山さんが、「出かけるんですか?」と聞いてきたが、「ちょっと」と言って誤魔化した。
 事務所の裏口を出る。駐車場が目の前に広がる。僕は一瞬、自分の車へ足を踏み出そうとしたが、思いとどまる。車で動いて、何かを発見できるのだろうか。車は目的地へ移動する為の手段としてはいいが、途中の何かを見つける為には適していないようにも思われた。僕はしばらく考えて、歩くことに決める。空を見上げると、雲一つない晴天だった。高い所ではトンビが数羽旋回していて、時折鳴き声が聞こえてくる。僕は駐車場を渡って、県道へと出る。「さて、どこへ行こうか」とぼんやりと考える。ここから近いスポーツ施設といえば、村で一番大きな村営体育館がある。うちのクラブではフットサル教室が使っている。今更新しい発見があるとは思えないが、それを言ったらこの散策自体の意味がなくなってしまう。とりあえず僕は向かうことにする。駐車場を歩いて出て、北へと向かう。歩道もない細い道を歩く。右手には水を張ったばかりの田んぼが広がっている。一台の車が、歩いている僕を邪魔そうに大きく避けて追い越していく。そのまま交差点の一時停止の道路標示を無視して、スピードを緩めずに右へと曲がっていく。僕は、やれやれと思いながら、その交差点を真っすぐに北へと進む。小さな池のある家を左手に見ながら、次の交差点をさらに真っすぐと進み坂を上がっていく。「この坂はランニングのダッシュに使えそうだな」などと思いながら、坂をゆっくりと上がる。上り切ったところに、村営体育館がある。入り口のドアは鍵がかかっていて、中は真っ暗だ。誰も使っていない。今日は平日だ。日中から体育館を使う人なんていやしない。僕は体育館の前の階段に座り込み、空を眺める。たった一つ、犬のような形をした雲が南西から北東へと流れていた。だからどうということは、ない。
 僕はすぐに立ち上がり、ここには何もなかったなと、歩き出す。体育館の隣には、駐車場を挟んで天然芝のグラウンドがある。そこへ向かうと、小さな子どもやそのお母さんの話し声が聞こえてきた。芝のグラウンドに併設されるように、子育て支援施設があるのだ。大きなテラスには、何組かの親子が見える。千賀村の子どもたちは、ほとんど全員が4歳になる年になると保育園へ行く。ということはここにいる子どもたちは3歳以下の子ども達ということなんだろう。外を走り回っている子もいれば、テラスをハイハイしている子どももいる。何人かのお母さんと目が合った。僕は軽く会釈をするが、どこか怪しい目で見られている気がしてならない。昼間からあの若者は何をしているのかと思われたのかもしれなかった。急に僕は心地悪さを感じ、グラウンドを後にする。グラウンドから伸びる遊歩道へと入る。グラウンドの裏山を登っていく道だ。結構急斜面の道なので、小学生以下の子どもは一人で入らないように注意されているところだ。遊歩道に入ると気温が変わる。ほとんど一日中陽が当たらない道は、ひんやりしていて、今の僕には心地よかった。しばらく登ったところで振り返ると、芝のグラウンドが少し下の方に見えた。相変わらず何組かの親子が外で遊んでいたが、不思議と芝の中には入らず、その周りで遊んでいる。
「芝で遊べばいいのに」と呟き、僕はさらに上る。
 遊歩道を登り切ったところには、千賀村にある2つの小学校の内の1つ、第一小学校がある。その隣には中学校もあり、ここから車で15分ほどのところにある第二小学校の子ども達も、中学生になるとここに通ってくる。村で唯一の中学校ということだ。遊歩道が終わって普通の歩道を歩く。両脇には桜の木が整然と並んでいて、透き通るような緑色の葉をつけていた。春には立派な桜並木となる通りだ。ここでお花見をする人もいるくらいだ。左手に小学校、右手に中学校があり、どちらもグラウンドでは体育の授業が行われていた。僕は左を見たり右を見たりしながら桜並木を抜けた。
 しばらく歩くと、また別のグラウンドが見えてきた。千賀村の一番大きな総合グラウンドだ。最も大きな面積を占めるのが土のグラウンドで、ここでは野球やソフトボールがよく行われている。うちの活動で使うことは今のところない。そしてその周りには芝の観覧スペースが僅かながら設けられていて、さらにその周りを囲むようにランニングコースが整備されている。1周が500mに設計されたランニングコースには、今もウォーキングをしている人がいる。僕もランニングコースへ足を踏み入れる。すれ違う人と「こんにちは」と挨拶を交わしながら、歩く。ランニングコースを右回りの方向に歩くと、左手にはテニスコートがある。フェンスに囲まれて、砂入り人工芝のコートが4面。一番端、Dと表示されたコートでは、数名のお年寄りのグループがテニスをしていた。みんな真っ白な服を着て、白いボールをパコンパコンという音を響かせて打っているから、軟式テニスなのだろう。4人がダブルスの試合をしていて、屋根付きのベンチに2人、コート脇のベンチにさらに2人が座っているから、どうやら8人グループのようだ。他の3面のコートには誰もいない。僕は右手に視線を移す。フェンスの切れ目からグラウンドを覗くと、端っこで若い男性が二人でキャッチボールをしていた。本来なら予約をして使用料を払って使用しなければならないグラウンドだが、恐らく二人は無許可での使用だろう。もちろん僕はそれを咎めるようなことはしない。パァン!パァン!というボールをキャッチする音が響き、「聞いてくれよ、この前上司がさ」などと話し声も聞こえる。そのままランニングコースを歩いていくと、カーブに差し掛かった。僕はカーブに沿わず、そのままコースアウトする。すると駐車場に出ることができ、駐車場の向こうには遊具がたくさんある公園に出る。僕は公園に向かって足を踏み出すが、芝のグラウンドでのお母さんがたの視線を思い出し、足を止める。
「うーむ」と唸り、ふと気になり時計に目をやる。出発してからもう1時間も経っていた。ここからさらにどこかへ行こうとすると、戻る時間はだいぶ遅くなってしまう。お昼休みの時間も気になるところだ。僕はしばらく迷った挙句、来た道をそのまま引き返すことにした。

 帰り道はスタスタと、ただ黙々と歩いた。おかげで半分くらいの時間で事務所へ帰ることができた。事務所に入ると、いきなり中山さんが話しかけてきた。「収穫はありましたか?」
僕は、「いや、特に何も」と言ってしまった後で、どうして僕が出掛けた目的を知っているのだと思った。中山さんは、「そうですか」と言って、パソコンでの作業を続けた。
 僕は、どうせバレているのだったらいいやと思い、「チャンスってなかなか見つからないものですね」と言ってみた。すると中山さんはキーボードを打つ手を止めて、僕を見た。そして、「今日は何を見たんですか?」と聞いてきた。僕は今日歩いて見たものを順番に挙げた。誰も使っていない体育館、足を踏み入れられない芝グラウンド、勝手に使われているグラウンド、1/4が使われているテニスコート、賑やかな公園。
「竹内さんは一体、何を期待して出掛けていったんですか?『チャンス』と書かれた何かが落ちているとでも?」
「う・・・」中山さんの問いかけに僕は答えられない。確かに僕は、一体何を期待していたのだろうか。言葉が続かない僕に、中山さんはさらに言った。
「使われていない体育館に芝グラウンド、テニスコート。近くには遊んでいる親子。これがチャンスでなくて何でしょう?」

 僕はまた、何も考えていなかった。歩けば、何かが起きると思っていた。チャンスはどこかに転がっていると、なぜか思っていた。たぶん中山さんは僕にこう言っているのだと思う。「やれ」と。「つべこべ言ってないで、やれ」と。「やらない理由を見つけに行くな」と。
 でも、”ただやるだけ”というのが僕にはとてつもなく難しいことに思えるのだ。そしてこれも本当に、何をしていいのか分からないのだ。
 中山さんの目は尚も僕に向かって「やれ」と言っている。僕は、「よし!やってやろうじゃないか!」となるわけもなく、中途半端にやる気を見せたことを激しく後悔した。

総合型地域スポーツのマネジメントを仕事としています。定期購読マガジンでは、総合型地域スポーツのマネジメントに関して突っ込んだ内容を毎日配信しています。ぜひご覧ください!https://note.com/kenta_manager/m/mf43d909efdb5