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たかぎスポーツクラブへの愛を語る

 総合型地域スポーツクラブ マネジャーの上杉健太(@kenta_u2)です。いつもは、なるべく全国の総合型地域スポーツクラブの関係者の皆さまや、これから地域スポーツクラブを仕事としてやっていこうとしている人の為になるように、当マガジンを執筆しています。(微力過ぎて申し訳ないのですが・・・) そうすると、現職のたかぎスポーツクラブを、少し引いた目線で見て書くことになるので、少し愛情に欠けるような見え方がすると思います。「なんかその誤解嫌だな・・・クラブのことを一番愛しているのは私のはずだ!」と思ったので、今日は、逆に振ってみたいと思います!私がいかにたかぎスポーツクラブを愛しているかを語らせていただきます!覚悟しやがれ!

苦労して育てたものには愛着が湧くに決まっている

 何度も何度も誤解されてきましたが、たかぎスポーツクラブは私が立ち上げたクラブではありません。私はクラブ設立2年目に地域おこし協力隊として関わり始めました。

 地域おこし協力隊について知らない人も多いと思うので簡単に説明しておきます。地域おこし協力隊とは、都市部の若者を人口が少ない地域に移住させる国策で、地域おこし協力隊員は、3年間の任期中に生業を作り、定住を図ります。

 私の場合、総合型地域スポーツクラブのマネジメントをする前提で地域おこし協力隊になったので、最初からたかぎスポーツクラブにほぼフルコミットして働きました。

 当時のクラブの年間収入は400万円もありませんでした。それも90%を補助金に依存している状態。もちろんその補助金は、いつまでも受けられるものではありません。そんなクラブを生業にすることはできませんよね。私はとにかく、「このクラブを大きくしなければ!」と思いました。私の場合、これで食っていけなければ、喬木村に残ることはできないので、当然の選択です。たかぎスポーツクラブはこのままでいいなんて発想は、1ミリもありませんでした。年間参加者数は1500人にも満たないような小さなクラブのままでは、私はマネジャーでいられなかった。

 ただ、役場の職員のかたでさえ来たばかりの私に、「スポーツクラブで食うなんて無理」と言ってしまうほど、喬木村の総合型地域スポーツクラブを生業にできると思っていた人は少なかったです。

 初期の頃、クラブで食っていく必要があったのは、間違いなく私だけだったと思います。つまり、クラブを大きくするという課題は、私の課題であり、他の誰の課題でもありませんでした。特にそういう計画もありませんでした。(ていうか、どのような計画もありませんでしたね笑) だからとにかく自分でやるしかありませんでした。後からジョインした分際で申し訳ないなと思いながらも、テニス部門や学習コンテンツ、コーディネーショントレーニングなどの新規事業を立ち上げ、会費制度を改革し、クラブを大きく育てていきました。

 その過程では苦労したこともあります。「なぜスポーツでお金をとるのか?」と言われたり、「あそこはゆるいからやめた方がいい」と言われたこともあります。クラブの分裂を画策されたこともあります。いつもいつも、将来のことを考えると胃が痛くなりました。

 そういうのを乗り越えて、ここまで来ました。法人化し、年間収入は2000万円ほどにまで大きくなり、裕福な暮らしは無理でもマネジャーとして食っていける状態にはなりました。会員数は565名、年間参加者数は約17000人。村がクラブハウスを建設して、運営を任せてくれるまでに信用を積み重ねました。もちろん私一人で成し遂げたことではなく、たくさんの人の意思や協力がありました。でも敢えて言わせていただくと、最初からクラブ全体のビジョンを描けていたのは私一人だと思います。だからこそ私は気持ちの面では全責任を負って仕事をしてきたし、業務時間外も含め、多くの時間とパワーをクラブの為に捧げました。こんなに色々なものを費やして育ててきたんです。たかぎスポーツクラブのことを愛しているに決まっています。

子どもにはほぼ無条件で愛情を抱く

 たかぎスポーツクラブ自体が、”自分が育ててきた子ども”みたいな感覚は、実はあまりありません。

 見出しにした『子どもにはほぼ無条件で愛情を抱く』は、クラブに所属する子どもたちのことです。私は、クラブの子どもたちが可愛くて仕方ないんです。もうこの子たちと一緒に活動できないのだと思うと、本当に寂しいです。私は今ほど「体が2つあれば・・・」と思ったことはありません。1つはこのままたかぎスポーツクラブに残して子ども達との活動(指導)を続け、もう1つの体は新しいクラブの立ち上げに使いたい。テクノロジーが私の想いについてきていない!!!

 クラブの子ども達のことを我が子のように思っているかというと、それもまた違います。自分の子どもとはやっぱり大きな違いがありますね。
 クラブの子ども達と私は、あくまでも『仲間』です。小さくて、未熟で、でも一人の人間で、素直で、かわいい仲間です。そして利害関係が一致している仲間です。たかぎスポーツクラブが良くなると自分も嬉しいという関係で、私たちは結ばれています。
 私が彼らを助けることもありましたが、彼らに助けられることもたくさんありました。私は指導という仕事をしながら、完全に彼らと一緒に遊んでいたんです(笑) 本当に楽しかった!

 あ、いや、美化し過ぎたかもしれません。子ども達と接していると、もちろんキツイ時もありました。子ども達は正直ですから、グサッとすることを言われることもありましたし、トラブルの対処なんかにウンザリする瞬間もたくさんありました(笑) でもむしろ、そういうこともあるからこそ、楽しい瞬間が輝くのだと思います。

 私は、たかぎスポーツクラブの子ども達が大好きです。

離れても愛情が続く必然

 それでも私はたかぎスポーツクラブを離れる決断をしました。そのあたりは何度か書いているのでここでは書きませんが、それが私にとってもクラブにとっても最適な判断だと信じています。

 でも、これからのたかぎスポーツクラブのことは、正直に言うと心配です。子離れできない親みたいで申し訳ありませんが、「私がいなくなって大丈夫かしら・・・」と思ってしまっています。それくらいに、私が果たしていた役割は多かった。私はそう思っています。

 私は埼玉県富士見市へ引っ越してしまいます。そして新たな総合型地域スポーツクラブの立ち上げにチャレンジします。そうなれば、私はだんだんとたかぎスポーツクラブのことを忘れていってしまうでしょう。それはそれで健全なことです。でもそれで、たかぎスポーツクラブの衰退が思ったよりも速いスピードで進んでしまったとしたら、内部崩壊をするような状態になってしまったとしたら、私はきっと激しく後悔するでしょう。

 何とかしたい。でも、『クラブへの愛』だけでは、きっと何もできません。気持ちは変わって行ってしまうものですし。そこには、『必然性』が必要でした。たかぎスポーツクラブが今後も発展し続ける、私にとっての必然性です。

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総合型地域スポーツクラブや筆者の挑戦のリアルな実態を曝け出しています。自ら体を張って行ってきた挑戦のプロセスや結果です! 総合型地域スポーツクラブをはじめ、地域スポーツクラブの運営や指導をしているかた、これからクラブを設立しようとしているかた、特に、スポーツをより多くの人に楽しんでもらいたいと思っているかたにぜひお読みいただきたいです!

総合型地域スポーツクラブのマネジメントをしている著者が、東京から長野県喬木村(人口6000人)へ移住して悪戦苦闘した軌跡や、総合型地域スポ…

総合型地域スポーツのマネジメントを仕事としています。定期購読マガジンでは、総合型地域スポーツのマネジメントに関して突っ込んだ内容を毎日配信しています。ぜひご覧ください!https://note.com/kenta_manager/m/mf43d909efdb5