僕が経験から得た知識やノウハウを大きくまとめてみる

 どうも!上杉健太です。
 埼玉県富士見市の総合型地域スポーツクラブの代表をしたり、スポーツ推進審議会委員をしたりしながら、生涯スポーツ社会の実現を目指して活動しています。昨日から英会話をながら聞きする習慣をスタートさせたのですが、たまに例文の和訳でウケてます。(※真剣におかしいことを言うのが一番面白い)
 さて今日は、『総合型地域スポーツクラブのキャリア10年で分かったこと』というテーマでお話したいと思います。
 今日はあまりマニアックにならないように、全文公開できるように書くつもりです。というのもこの作業をしておこうも思ったのは、7月あたりに外国から来る学生の方に総合型地域スポーツクラブのお話をする機会をいただけるかもしれなくて、そんな相手に“変化球”を投げても通じないことは分かりきっているので、僕の手持ちの“直球”を確認しておきたいからなんです。ここで言う“直球”とは、誰でも理解して納得できるような知識やノウハウのことを指します。「それって日本でも言ってるのお前だけじゃね?」と思われる変化球は封印して、日本の総合型地域スポーツクラブ業界のみんなが「だよねー」と言うことだけを投げるつもりです。その内容の確認。だから過激なことは言わない。

 とはいえ、僕なんて地位も知名度も何もないザコですから、自分の経験から話す必要があります。じゃないと僕が話すことに価値は生まれません。説得力も出せません。その縛りは強烈に意識します。

 ではいきます。


スポーツは回復アイテム

 やっぱり今の僕が一番言いたいワードはこれですね。「スポーツは回復アイテム」。僕が個人的にも目指していて、総合型地域スポーツクラブの多くも理念に掲げている『生涯スポーツ』。この在り方を別の表現に変えると、「スポーツは回復アイテム」になると僕は思っています。

 日本のスポーツは学校や企業が中心となって行われてきた歴史があり、これによってスポーツは明確な社会的意義を求められることになります。教育的価値。肉体強化のツールとしての価値。広告塔としての価値。
 また、競技面がエンタメビジネスとして成立すると、プレーヤーやスタッフとして『プロ』になる価値も重視されるようになり、その狭き門を何とかくぐろうとする人も続出しました。
 このように、人生の道を切り開くツールとして捉えられたスポーツのことを僕は『攻撃アイテムとしてのスポーツ』と表現しています。スポーツでいい競技成績を得ていい学校や企業に入ろうとするのが典型的と言えます。
 ところがスポーツをこのように『攻撃アイテム』として使える人はごくごく一部の人に限られます。これは一般論として多くの人が理解するでしょう。
 もっと小さいところで言うと、本来のスポーツとは関係のない『規律』とか『努力』とかを身につけることで将来の社会的地位向上を期待する考え方もあると思います。まぁそれくらいになると、環境次第では誰でも使える『攻撃アイテム』にはなるかもしれませんが、僕が考える『回復アイテムとしてのスポーツ』は、もっと誰でも使用可能なものです。

 スポーツという言葉の起源は『気晴らし』です。港で働く人達が、港から離れて気晴らしで遊んでいたものをそう呼ぶようになったとか。だからそもそもスポーツには教育的価値も広告塔としての役割もなくて、シンプルに、辛い日常、でもやらなくではならないこと、から少し離脱して回復する為のツールだったんです。

 総合型地域スポーツクラブを10年やってきて、色々な人を見てきてつくづく思うのは、人は勝ち負けを別にしてスポーツを楽しめるし、技術レベルが高かろうが低かろうが楽しめるということです。何となく僕が子供の頃は勝ちを目指すことにもの凄く重きが置かれていましたが、決してそれだけがスポーツの価値ではないんですよね。それこそ、ほとんどの人にとって価値となるのは『回復アイテムとしてのスポーツ』です。だってせいぜい『攻撃アイテムとしてのスポーツ』が使えるのって学生の内の20年くらいで、プロアスリートになったとしても30年くらい。人生が80年あるとすると、まだ残りが50〜60年もあるんです。その長い人生を攻撃アイテムとしてのスポーツを使い続けられる人なんて本当に本当に僅かな人だけです。多くの人はスポーツ以外の何かを使って稼いで生きていきます。そしてそんな長い残りの人生を生き抜くのに、僕たちは絶対に回復アイテムを必要とします。もちろん、回復アイテムはスポーツだけではなく無数の選択肢がありますが、スポーツはその一つにあり得る。なのに結構な数の人が、「スポーツは学生の頃に自分を高める為だけにやるもの」といった攻撃アイテムとしてのスポーツにばかり目が言ってしまい、生涯に渡って自分を回復し続けてくれる回復アイテムとして認識していないものだから、「プロになれなかったのでもう引退します」とか言ってそのままスポーツ自体をやめてしまったりしています。これが非常に勿体ない。

 僕が目指している生涯スポーツというのは、要するにスポーツを回復アイテムとして使い続けようぜということなんです。回復して何をするかというと、それぞれの仕事とか勉強とか、生きていくのに絶対にやらなければならないことですよね。社会的に見れば生産活動ということになると思います。日本社会全体を、生涯スポーツはリカバリーの側面から支える。そんなイメージ。これが生涯スポーツの在り方であり、それを僕は「スポーツは回復アイテム」と言っています。(※もちろん攻撃アイテムとしての側面もある)

 ただ、書いてみて思いましたが、これは一般論過ぎて外国からのお客さんにするような話ではない気がしますね。やめましょう。


プレーヤーが大事

 僕のキャリアの特色は、脱サラをして総合型地域スポーツクラブのマネジメントを始めたこと。その手段としてまずは地域おこし協力隊という制度を利用したことだと思います。そこが僕の総合型地域スポーツクラブのキャリアのスタートです。

 この時僕が移住したのは、長野県喬木村。東京都三鷹市で生まれ育った僕には縁もゆかりもない土地です。きっかけは喬木村が地域おこし協力隊として、総合型地域スポーツクラブのマネジャーを募集していたこと。ちょうどスポーツ界への転職をしようとしていた僕がそれを見つけて応募させていただき、採用されました。
 この時喬木村は、既に行政主導で総合型地域スポーツクラブを立ち上げたところでした。ところがマネジメント人材がいないということで地域の外にそれを求めたのです。ざっくり言うと、最初は行政が面倒を見るが、近い将来には独立した団体として運営して欲しいというニーズが喬木村にはあり、その為の人材を必要としていたということです。つまり喬木村の課題は、「プレーヤーの不在」だったんですね。行政職員は異動がありますから、なかなかプレーヤーにはなれない。だから地域おこし協力隊の制度を利用して外から人材を引っ張ってきたというわけです。
 この喬木村の僕の事例は、かなりお互いのニーズがマッチして、クラブは順調に大きくなり、自立した組織になっていったと思います。ただこの事例の場合、“プレーヤーが不在だった場合”の検証ができていないので、プレーヤーがいなくても総合型地域スポーツクラブは何とかなる可能性は残ります。

 この可能性を僕はもう一つの経験によって小さくすることができます。それが、喬木村のクラブを独立してゼロから立ち上げた埼玉県富士見市での経験です。

・・・・・・・・あー、やっぱりここからは非公開ですね(^_^;)

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総合型地域スポーツクラブや筆者の挑戦のリアルな実態を曝け出しています。自ら体を張って行ってきた挑戦のプロセスや結果です! 総合型地域スポーツクラブをはじめ、地域スポーツクラブの運営や指導をしているかた、これからクラブを設立しようとしているかた、特に、スポーツをより多くの人に楽しんでもらいたいと思っているかたにぜひお読みいただきたいです!

総合型地域スポーツクラブのマネジメントをしている著者が、東京から長野県喬木村(人口6000人)へ移住して悪戦苦闘した軌跡や、総合型地域スポ…

総合型地域スポーツのマネジメントを仕事としています。定期購読マガジンでは、総合型地域スポーツのマネジメントに関して突っ込んだ内容を毎日配信しています。ぜひご覧ください!https://note.com/kenta_manager/m/mf43d909efdb5