スクリーンショット_2018-06-17_21

竜馬がゆく①

 僕が、「人生の中で最も好きな本は何?」と聞かれたら、1秒も迷うことなく「竜馬がゆく」と答えます。
 作者は伝説の作家である司馬遼太郎先生。

 発行部数はなんと2125万部!(全8巻)
 それまであまり注目されてこなかった坂本龍馬を日本の英雄にしたのは、この作品だともいわれ、司馬先生はお亡くなりになって40年以上が経つにもかかわらず、未だに、司馬先生の龍馬像は「歴史的におかしい。」との批判をされるほどです。

 とにかく僕はこの作品が好きで、毎年1回必ず読み、すでに4回読んでます。
 当社のロゴは、「海援隊旗が海を駆け巡っている」様を表しています。
 いろいろな意味があるのですが、簡単に言うと、坂本竜馬のようになりたいという思いからです。

 ※注意:僕が好きなのは司馬先生の「坂本竜馬」であり、よく言われる「歴史上の坂本龍馬が実際にどうだったか」については、さして興味がありません!
 本ブログでは、歴史上の場合には「龍馬」、本の登場人物としての場合には「竜馬」と書きます。

 さて、なんで竜馬がゆくを題材にブログを書いているかというと、そうです、

 本日、竜馬がゆく全8巻を読み終わったからです。


 読んだことがある方にはわかりますが、最後は涙なしでは読めません。
 鳥肌も立ちます。なんともいえない悔しさややりきれなさもこみ上げます。
 文章全体に、司馬先生が持つ「悔しさ」が伝わります。

 語り始めると長くなるので、今日は、「竜馬ってなにした人なの?」について。

 竜馬年表です。

1853年(17歳) 江戸留学 ※ペリー黒船襲来
1862年(26歳) 勝海舟弟子入りする。
1863年(27歳) 神戸海軍操練所 設立
1866年(30歳) 薩長同盟を主導
1867年(31歳) 海援隊設立
1867年(31歳) いろは丸沈没事件
           ※日本初の万国公法での海難事故裁判
1867年(31歳) 船中八策策定
1867年 10月15日 大政奉還
1867年 11月15日 近江屋にて暗殺される

どうですか、この年表!これを肴に一晩中酒を飲めますよね(T_T)

坂本竜馬は、当時、日本で唯一、「藩」ではなく、「日本人」という概念をもっており、大政奉還を考え出したと言われています。

世界的に見ても、時の政権が、戦争を経ることなく、自らその政権を返上するということは全くといってよいほどなかったこの時代に、それを自らの案で実現した坂本竜馬。
坂本竜馬の大政奉還案がなければ、倒幕戦争になり、英米仏による植民地になっていたと言われています。

17歳で幕末という舞台の幕が開け(黒船襲来)、そして幕末という舞台の幕を自ら閉じて(大政奉還)、その直後に天に帰っていきました。

「竜馬がゆく」は、大政奉還のわずか一ヶ月後、近江屋にて坂本竜馬が暗殺されたところで幕を閉じます。

最後の司馬先生の言葉に、司馬先生の坂本竜馬に対する想いが詰まっています。

「おれは脳をやられている。もう、いかぬ」
それが、竜馬の最後のことばになった。言い終わると最後の息をつき、倒れ、なんの未練もなげに、その霊は天にむかって駆け上った。

天に意思がある。
としか、この若者の場合、おもえない。

天が、この国の混乱を収拾するためにこの若者を地上にくだし、その使命がおわったときに惜しげもなく天へ召しかえした。

この夜、京の天は雨気が満ち、星がない。

しかし、時代は旋回している。若者はその歴史の扉をその手で押し、そして未来へ押しあけた。

(完)









         






この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?