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有時間的な身体の、その先へ

■仮タイトル
有時間的な身体の、その先へ

■全体の概要
医学博士であり合気道家である佐藤友亮さんの著書『身体的生活』の書評になります。
チクセントミハイのフロー理論において〈自己目的的経験〉であることが重要だと言われていますが、「判断や取捨選択を特別視しない柔軟な時間感覚がフロー体験へと繋がる」という視点が本書の新しい点です。前著『身体知性』での内田樹氏との対談から得た気付きが本書を書く動機と推測します。その流れを踏まえて次作への要望を述べます。

■推定文字数
6500字

■箱書き
■西洋医学と東洋医学
•本書は血液専門医であり合気道家という独特の経歴もつ著者による身体論を展開するエッセイである。
•著者は、西洋医学の肉眼解剖学が象徴とする「分析する視点」と、東洋医学の指圧や切診に代表される「患者のバランスを保つ身体接触」を使い分ける必要があると考える。
•著者の身体論は神経生理学者アントニオ•ダマシオのソマティックマーカー仮説に依拠している。
•ソマティックマーカー仮説とは、「身体経由で、感情を適切な状態に保つことが、合理的な判断を行うことにつながる」ことを示した研究である。
•解釈が曖昧になりがちな人間の〈非分析的判断〉(結末が不確かな問題について下す判断)
のプロセスの説明に科学を持ち込んだという意味で、ダマシオの研究は意義があった。
•著者はソマティックマーカー仮説を援用することで、東洋的な「非分析判断」に科学的な根拠があると述べる。これは前著『身体知性』で著者が展開した主張である。

■〈無時間的〉判断と〈有時間的〉判断
•本書『身体的生活』は前半がフロー理論の解説本となっている。
•フロー理論とは、心理学者チクセントミハイが提唱する「時間を忘れる程の完全集中状態をフローと定義し、その状態にいたる為の方法論」である。
•本書がフロー理論の解説本として新しい点は、「フロー状態の最終段階である〈自己目的的経験〉にいたるには〈有時間的〉判断を獲得することが重要である」と述べている点である。
•〈自己目的的経験〉とは、フロー状態を伴った高いパフォーマンスを発揮した結果、その活動自体が内発的な報酬と感じる状態を指す。
•著者が定義する〈無時間的〉判断とは、電卓で計算を行うように、判断の根拠となる情報を利用してベストの結論を出そうとすることである。
•対して〈有時間的〉判断とは、人生における判断や決断と、その後の生活がひとまとまりになっていて、取捨選択の結果を柔軟に受け入れる解釈力(思考や感情)が要求される。

■『身体知性』から『身体的生活』へ
•『〈有時間的〉判断とは、日常生活の積み重ねの中で、「自分の喜び」を発見し、自分自身の充実感や成長を育てていくための大切な作業なのである。』これは著者が本書で最も伝えたいメッセージである。だが、この試みは理論で伝えると無謀に聞こえる。
•西洋医学と東洋医学を対比し論文調で書かれた『身体知性』から一転、『身体的生活』はエッセイ調の平易な文体で書かれている。なぜなら、生活を見せることで〈有時間的〉身体を語ろうとしたからだ。
•なぜ著者は時間意識に着目するのか?
『身体知性』の内田樹との対談で、身体知性(非分析的判断)と人工知能(分析的判断)を対比させた質問を投げかける。内田は、レヴィナスの『時間と他者』を引用し「時間はまさに、主体と他者との関係そのものである。」と答える。他者との関係、つまり『身体的生活』へと繋がる。

■ 有時間的な身体の、その先へ
•『身体的生活』の前半で展開するフロー理論の解説は、著者が大学の授業で「日常」扱ってきた内容を文章化したものである。
•後半のエッセイでは、亡き恩師の「ヘマトロジスト(血液専門医)である前に、ジェネラリスト(総合内科医)たれ」の言葉に背き臨床の場から去った「過去」を振り返る。自身の経歴にコンプレックスを抱く著者は、『身体的生活』を書くことで〈有時間的〉判断を用い「日常」と「過去」を一軸で捉え、「生活」へと昇華させた。
•だが、疑問が残る。著者は医師であるから〈分析的判断〉に長けているのは自明である。合気道の塾頭としての実績も、〈分析的〉な解剖学の素養がもたらしたものでは?と底意地の悪い見方も出来る。つまり、〈非分析的判断〉に至る前提条件に一定の〈分析的判断〉の能力が必要であるという考えも否定出来ない。
•なぜなら、〈非分析的判断〉や〈自己目的的経験〉に再現性を持たせる〈有時間的〉判断とは、著者の推論から考えるに高度に内省を伴う思考だからだ。
•著者は『身体的生活』を書くことで、〈有時間的〉判断、〈有時間的〉身体の輪郭をおぼろげながら顕にした。一方で、再現性のある理論としては一部放棄をしている。それは強者の理論で終わっているのではないか?
•著者は〈有時間的〉を体系化した次作を書くべきだ。きっと予防医療やウェルビーイングの観点からも実効性のある論理を述べることが出来るはずだ。
•結果として、臨床医や研究医の枠に留まらないジェネラリストになるのではないか。私は『身体的生活』を経た、『身体知性Ⅱ』を心待ちにしている。

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