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ありのままの自分を受け入れてほしいって言う人のお陰

オッス!ワシ「健斗」っちゅんだけど...。




今回は、ありのままの自分を受け入れてほしいって言う人のお陰で気が付けたことを話す。




みなさんも聴いたことがある「ありのままの自分」って言葉。




SNSとか自己啓発の分野でよく議論される。




「"ありのままの自分を受け入れられたらなぁ...。"」




「"自分のことが嫌いだから、誰か認めてくれる人がいてほしい...。"」




みたいなニュアンスの投稿をみたこともある。




そりゃあ誰だって、今の自分を受け入れられたらいいし、受け入れてくれる人も多いのに越したことはない。




怠けてるだらしのない部分にだって理解を示してほしい。




でも、実際のところそんな都合よくいかないのが現実。




そのつらさを何か別のことで癒そうとする気持ちも分かる。




そんな「ありのままの自分を受け入れてほしがる」人達をみてきて、感じたことだったり気が付いたことを話していく。

ありのままの自分を誰も受け入れてくれない

自分のことが好きか嫌いかの質問に対して、おそらくほとんどの人が「嫌い」って応えるはず...。




元々自分のことを好きな人もいれば、何かのタイミングで自分を好きになれた人もいると想う。




両親に愛されてる実感があったり、お腹いっぱいチヤホヤしてもらったり...。




結局のところ、周りからどんな扱いをされてきたかによる。




受け入れられてる感覚があまりないと、自分のことを嫌いになってしまう気持ちも分かる。




「"モデルさんみたいに細くてシュッとしてない自分が嫌い!"」




「"大きい鼻が気になるからマッサージで無理矢理小さくしよう!"」




「"まぶたが二重だったらよかったのに...。"」




「"身長があと10cm大きかったら...。"」




見た目に対してのコンプレックスから、自分を嫌いだって言う人もいる。




「関係の浅い人を前にすると緊張していつも通りふるまえず自信喪失...。」




「頭では分かってるのにどうしても気にしてしまう自分にイライラ...。」




「ダイエットをしようと意気込んだものの、3日も続かなくて悲しい...。」




考え方や気持ちに対してのコンプレックスから、自分を嫌いだって言う人もいる。




気にしなければいい話なんだけど「ルッキズム」とか「モテ」とか「かわいい綺麗」。




そんな基準で世の中の人達にみられるもんだから、意識しないでふるまうのも難しい。




「"〇〇ちゃん可愛すぎ!!"」




「"〇〇くんシュッとしててかっこいい!!"」




SNSをみれば、かっこいい人綺麗な人で溢れかえってて、そのギャップにメンタルがやられる。




「自分はそんなに素敵になれない...。」




生まれ持った特徴を否定したり、ないものねだりをしたり。




自分を卑下して殻に閉じこもる。




こんな自分なんか好きになれない。




誰か受け入れてくれる人はいないの?




寂しい気持ちを慰めて包み込んでほしがる。




こうなってしまう気持ちはもちろん分かるんだけど、ちょっと被害妄想がいき過ぎ。




ありのままの自分を受け入れてくれる人は、必ずいるってことを忘れちゃいけない。

怠惰な自分の心を慰めてくれる人を求めてる

そもそも「ありのままの自分」ってなんだって話。




ありのままっていうのは、世間の評価軸は省いて、産まれ持った特徴をそのままみた時の自分。




「身長は平均以上あったほうがいい」




「お顔は整ってたほうがいい」




「お金を稼げる力を持ってたほうがいい」




みたいな世間から優遇されやすい、作り上げられた視方を除いた自分。




ここを誤解してる人はたくさんいると想う。




今の怠けるだらしない自分がありのままなんじゃなくて、健康的なみた目と健全なふるまいができてる状態。




世間に染まってる人は評価軸が偏ってるせいで、安心する為に無理矢理合わせに行こうとする。




もちろん、今挙げた特徴があるに越したことはないし、何か一つでもあれば生き延びやすいのは事実。




ただ、そんなものがあるせいで自分のことが嫌いになるのは、自分を粗末に扱ってるのと同じ。




そんなもので人を測って「"これは良い!"」「"これは悪い!"」。




なんて判断してしまうのは間違い。




身長が平均より低くたって...お顔が整ってなくたって...お金を稼げる力を持ってなくたっていい。




いや、いいというか評価されるものじゃない。




どんな特徴を持ってたとしても、その姿だからいいってこと。




自信を持つとか卑下するとかそんな話でもない。




人からの評価で気を病む人が多くなりやすい時代。




特に忘れない様にして、堂々とふるまわないといけない。




ありのままがどんな状態か分かった。




じゃあ「ありのままの自分を受け入れてほしがる」人がいるけど、なんで受け入れてほしいのかって言うと...。




今の怠けるだらしない自分だったり、世間の偏った視方でみてしまって、自分自身を受け入れられないから。




誰かに受け入れてもらわらないと気が済まない。




周りに合わせることで、何とか気持ちを落ち着かせられる。




ただ、産まれ持った特徴を変えることは諦めたほうがいい。




みた目に関してはまだ、整形したり骨を削って帳尻は合う。




けど、それをしたって結局のところ、落ち着かない心の穴埋めをしただけ。




また別のコンプレックスがあれば、そこが気になって整形を繰り返す可能性が高い。




それに、ありのままの自分じゃなくなったことに変わりはない。




もちろん事情によっては、整形しないといけない人だってたくさんいると想うから、そういう人達は別の話。




結局、変えられるのは行動だけ。




環境を変えるか、捉え方を変えるかの二択。




産まれ持った特徴を変えるんじゃなくて、特徴に合わせるのがコツ。




会社員として働くことが体力的にキツいなら、別の方法でお金を得る土台を作る。




人に対して気を遣ってばかりで疲れるなら、人とあまり関わらない環境を作るか、気を遣わなくていい様な捉え方の工夫をする。




こんな感じ...。




努力できるのはこれくらいしかない。




「ありのままの自分を受け入れてほしい」って言う人にありがちなのが、努力で変えられる部分になんのアプローチもしないで、受け入れてほしがること。




もちろん全員そうではないし、状況によっては受け入れるしかないこともある。




イケメン美女じゃなかったり、モテなかったりしても、健康的なみた目になれる様に気を遣ったり、不器用なままの自分を隠さず出す勇気は持てる。




大事なのは、相手を不安にさせる要素をできるだけ減らすこと。




形を整えたり、モテようとして合わせにいくのは違う。




ありのままの自分の特徴を活かそうとしてる姿勢が素敵。




怠けたりだらしない所を努力で補えるはずなのに、甘えるのは怠惰な選択。




受け入れてほしいって言う前にやることをやれって話。

ありのままの自分になる為に自己鍛錬をする

ありのままの自分を受け入れてもらいたい気持ちは理解できる。




ただ、自分自身が受け入れられないのに、誰かに受け入れてほしいって言うのはお門違い。




カッコいい人と付き合いたいのに、可愛くなろうとしないのと同じ。




誰だって外見も中身も整ってるほうがいいに決まってる。




そこを理解して、少しでも相手が受け入れやすい様に工夫しないといけない。




理想が高ければ高いほど、手間もかかるし中々掴めなくて感情の起伏も不安定になる。




だからほとんどの人は、自分には無理だってあきらめて悲壮感を漂わせたり、努力しなくても手の届きそうな所で気持ちに折り合いをつける。




なぜか世間には「あきらめて耐えることがいい」みたいな謎の風潮がある。




自己犠牲をして自分を痛めつけたり、自分は卑しい者だって必要以上に下げたりすると、争いが落ち着いたり褒められたりする不思議。




人生はたのしいものなのに、つらそうにしてると周りが安心する。




「"自分も苦しんだんだからお前も苦しめ!"」みたいなイメージだと想う。




自分が満たされないから、称賛される様な結果を出した人の努力を一緒に喜べない。




それが仮に子供だったとしても...。




何かを掴み取った人をみると、何もしない自分が苦しくなるから足を引っ張るしかない。




そうやって地球環境に害しかないことをするダサい大人になったらダメ。




健全な人達だって別に周りにみせつけようなんて想ってないはずのに、ただ邪魔されて本当に可哀想。




もちろん、それを掴めるかは努力以外の要素にもよるから、どれだけ綿密に計画を立てても掴めないこともある。




ただ、何にもしないくせにほしがるのはおかしな話。




慣れるまで苦しいけど、怠けるだらしない自分を叩き上げる中で、期待してたほど手に入らなかったとしても、挑戦した清々しさは残る。




結果が全てじゃなくて、手にしようとした過程も含めてたのしむことが醍醐味だと想う。

なんで受け入れてもらいたいのか探究できた

これまで色んなパターンの「ありのままの自分を受け入れてほしい」をみてきた。




どんな部分を受け入れてほしいかってのは、人によって全然違う。




けど、ほとんどの人が変えられる部分の努力をしないで、怠けるだらしない自分を受け入れてほしそうにする。




誰かが受け入れてあげたいと想ってたとしても、そんなんじゃ気持ちも萎んでいく。




そのまんまの自分が魅力的なことに変わりはない。




ただ、怠けたりだらしない部分のことを言ってるんじゃない。




「添加物がたくさんのジャンクフードよりも、身体に栄養が渡る様な食材にする」




「最近肉付きがいいなって想ったら、ジムで筋トレとまではいかなくても、ヨガマットで体感トレーニングをする」




「肌が荒れてきたと想うなら、色々試しながらスキンケアをして、肌に合うものを探す」




健康的なみた目にする、健全な考え方ができる様に気を配ることで、産まれ持った特徴が活きた自分だけの魅力になる。




大事なことは、相手を不安にさせる要素をできるだけ少なくすること。




形を整えたり、モテようとして合わせにいくのは違う。




ほとんどの人がここに時間と労力を割かないで、なんとか手に入りそうなもので気持ちに折り合いをつける。




嬉しいんだか悲しいんだか分からない中途半端な気持ち...。




もちろんそれだけ負担が多いのは間違いないし、自分だって怠けたくなるしだらしない所もたくさんある。




ただ、それでもやるのは「嬉しい!」「たのしい!」って気持ちになりたいから。




それに、自分が自分を受け入れられないまま、誰かに受け入れてもらおうとするのは相手に失礼。




「"自分こんなに素敵なんです!!"」って言えるくらいの方が、相手も安心できる。




「ありのままの自分を受け入れてほしい」って言う人のお陰で、気が付けたことに感謝。




あと、不器用ながらに努力して、よりよくなろうする自分にも感謝。

まとめ

ここまでみてくれてありがとう!




今回は、ありのままの自分を受け入れてほしいって言う人のお陰で気が付けたことを話した。




ちまた〜でなにかと耳にする「ありのままの自分」って言葉。




誰だって今の自分を受け入れられたらいいし、受け入れてくれる人が多い越したことはない。




それは分かりながらも、世の中が許さない。




必要以上にみた目を気にさせる風潮。




SNSでキラキラ輝いてる人達を、手元のスマホでみれてしまうこと。




モテを意識したふるまい方や考え方。




気にしなければいいことなんだけど、日本独特の同調圧力も相まって、結構メンタルがブレブレ...。




浸透してしまってるからこそ、そのまんまでいられないのが困るところ。




世間はこんな状況だけど、自分で自分を受け入れられる様になることはできる。




健康的なみた目になることと、健全なふるまい方を意識して身につけること。




努力してここに近づくに連れて、段々と周りの目も気にならなくなってくると想う。




イケメン美女じゃないことで、周りからの風評被害を受けて多少ブレることはある。




けど、そことも一線引ける様になれる。




世間の偏った視方は確かに生き延びるのに有利だけど、その分人から求められる苦しさがあることも忘れちゃいけない。




自分を受け入れられる様になれれば、本当に分かり合える人も安心して受け入れられる。




産まれ持ったそのまんまの特徴を愛せる自分でいたい。




この話が、何かの気付きに繋がったり、じりつへの転機になると嬉しい!




バイバイ...みんな!

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