見出し画像

「"幸せになりたい...。"」って嘆く人のお陰

オッス!ワシ「健斗」っちゅんだけど...。




今回は「"幸せになりたい...。"」って嘆く人のお陰で気が付けたことを話す。




幸せな状態を願うのは誰だって一緒。




わざわざ苦労なんてしたくないし、可能な限り面倒臭いことが少ない無難な一生を過ごしたい。




幸せじゃない原因が自分にあるって分かってたとしても、アンパンマンみたいなヒーローが助けに来てくれるって信じたい。




課題を解決できなくても、一生機嫌をとってくれる人がそばに居れば耐えることもできるかもしれない。




それくらい向き合うのは精神的な負担が大きくなる。




「"幸せになりたい...。"」って嘆く気持ちも理解できる。




ただ、じゃあ幸せってそもそも何なのか?




幸せになるにはどうしたらいいのか?




抽象的でよく分からない。




結婚したら幸せ?




大企業に入社したら幸せ?




余るほどお金があったら幸せ?




イケメン美女に好かれたら幸せ?




そんな誰も教えてくれなかった幸せの定義。




そして、どうしたら幸せになれるのか?




「"幸せになりたい...。"」って嘆く人の気持ちを、当時の状況だったり感じたことを基に話していく。

いつもグチや文句を言う悲劇のヒロイン

これまでたくさんの人の想いに寄り添ってきた。




3歳の頃から、父さんと母さんは自分のことで精一杯。




甘えられる余裕はなくて、大変な状況を乗り切るために、気持ちを汲むしかなかった。




この時に怒鳴られすぎたせいで、素の自分でいると嫌われるっていう勘違いを起こす。




「"父さんの期待に応えられない自分が悪いんだ...。"」




「"自分は変わり者だから真面目にしてないといけない...。"」




そんな想いから自己卑下が止まらなくなった。




学校に通っても会社に勤めても、常に相手の機嫌を損ねない様、気持ちに寄り添って相手の期待に応え続ける。




世間には色んな人がいて、無防備にふるまう自分をいい様に利用したり、何もしてこないからってストレスの吐口にしたり...。




「"みんなの期待に応えられない自分が悪いんだ...。"」




勘違いも度を越して大バカ野郎。




そんなことを繰り返して想うのは、周りは無限に溢れてくるグチと文句を言うだけ言って、なんの行動も起こそうとしないってこと。




「"あいつが悪い!"」




「"こんな状況になるのがおかしい!"」




常に、責任転嫁で自分がダメィジを喰らわない様に受け流す。




もちろん、自分が手取り足取りお節介を焼いたのが原因ではある。




ただ、それにしてもあまりにも人に寄りかかり過ぎ...。




親しき仲にも礼儀ありって言うけど、弁えてる人が少ない。




つらいからって、誰かに問題を解決してもらおうとするのは甘えてる。




どれだけ時間が経っても、いつまでもいつまでもぐちぐちぐちぐち...。




しまいには、グループでぐちり合いが始まって、たのしそうに盛り上がってる始末。




Oh!no...。




そうやってネガティブな言葉を使い続けるってことは、自分の脳にも相手の脳にも刷り込ませてるってこと。




自分が発した言葉は自分が1番聴いてる。




相手もその言葉を聴いて被害を受ける。




最初はそこまで影響がなかったとしても「単語の数×時間」でどんどん浸透。




無自覚に周りを巻き込んでまさに地獄絵図。




話したところで軽く受け流されるから、サッと離れるのが1番。




自分も人のことは言えないけど、状況によっては知らないって結構残酷。

幸せから遠ざかってることが分からない

グチや文句を言いたいだけ言うのは、好きにしてくれればいいんだけど、手に負えないと想うことがある。




それが「"幸せになりたい...。"」って哀しそうにする人。




幸せが何か分かってないし、幸せに向かおうともしない。




人生はつらいものだって決めつける。




自分のみたくないだらしない部分を理解して、どうしたら健全になれるか試行錯誤しないといけない。




けど、そこまで辿り着けない...いや、辿り着こうとしないが正解。




イヤな感情からひたすら逃げるだけの日々。




逃げるほどどんどんつらくなってきて、グチや文句を撒き散らすことで短い時間やり過ごす。




陸に上がってくればいいんだけど、いつまでも水中に逃げて息ができないって苦しがってる。




無自覚にわざわざ苦労して、自分を粗末にしてる。




ただ、その事実を伝えると本人は無自覚だから激怒。




必死に殻に閉じこもって、また苦労を積み重ねながら悲壮感を漂わせる。




幸せは足元にあるのに、自分からどんどん距離をとって数センチだったのが数メートル、数キロメートルとどんどん遥か彼方に消えていく。




自分も勘違いしてた時は、なんでこんなに周りの人達に喜ばれてるのに、自分は全然満たされないんだって不思議だった。




これが立派な自己犠牲。




共感能力が高過ぎて、人のつらさが自分のつらさにすり替わる。




一線引かないといけない。




例えるなら、自分が借金50万円ある状態で、そこら中にいる借金100万円抱えた人に、お金を分け与えてる様なもの。




どう考えたって返済し切るのは無理。




この事実を当時の自分に伝えてあげたかった。




もし、助けるなら貯金50万円貯めた状態を維持しながら、借金100万円抱える人に少し分け与えるのが正解。




自分が破綻してる中で助けることはできない。




それにその労力は、自分が人生たのしむ為に遣うもの。




「"幸せになりたい...。"」って哀しそうにする人達のことを、可哀想だからって寄り添うことはしなくていい。




無自覚とは言え、自分で選んでるんだから可哀想って言葉も失礼。




周りからヤーヤー言われるのは避けられないけど、たのしむことは何にも悪くない。




相手が現実を受け止められないことが原因。

自分が背負った重荷を自分で降ろす努力

幸せってそもそも何なのかって考えた時に、ちょっと抽象的すぎる。




幸福感って言い換えた方が伝わりやすいと想う。




日々暮らす中で、どの程度自然に喜びが溢れてくるかってこと。




よくあるのが、お金とか物だったりを闇雲に増やそうとすること。




増やすことに躍起になって、今度は減ることに対して怖くなる。




必要ないのに不安で捨てられない。




過剰に増やすことは苦労の積み上げ。




確かにお金はあればあるほど、とりあえず生活は回せるし必要な環境は整えやすい。




けど、何が何だかよく分からない状況で稼ぎ続けるのは、税金だけ闇雲に増やすことになる。




何がどのくらいあれば自分は穏やかに暮らせるのか?




ここをみつめない人に安心はやってこない。




自然に喜びが溢れてくる頻度を上げたいと想った時にすること。




それは、マイナスを減らすこと。




心の状態を整える工夫が必要。




つらい想いをするのは、無自覚に背負った荷物が多いから。




無自覚だから当然、なんでつらいのかも分からないし、人生はつらいものって勘違いしてもおかしくない。




本人に悪気がある訳じゃないのは分かるし、誰にもそのことを教えられないまま育ってきたはず。




健全な考え方の土台が出来上がらないまま、不健全な考え方で土台を固めてしまった。




だから、不健全な考え方を健全だと想いこんで、頑張ってるのにすればするほどつらくなる。




負のループとはまさにこのこと。




考え方が不健全なことを落とし込んで、背負った荷物を一つ一つ降ろしていく作業が必要。




無自覚にたくさんの荷物を背負ってるから、当然体力と気力は遣うし、時間だってかかる大変な作業。




マイナスを0に持っていこうとする中で、感情の起伏が激しくなって、逃げる様にやめたくなる。




それも仕方ないこと。




自分が助けてあげられればいいけど、本人が力をつけないってことは、土台がグラグラだから成果が出たとしても、積み上げがない分一瞬で崩れる。




どれだけ助けたいと想っても無理なものは無理。




「"きっと乗り越えられる!!"」




そう信じて、力をつけてくれるまで待つしかない。

なんで「"幸せになりたい...。"」って言うのか探究できた

これまで誰彼構わず人の想いに寄り添って、甘やかしてしまったからこそ、色々と気が付けた。




グチや文句ばかりになってしまいやすい理由。




人生はつらいって錯覚する理由。




頑張ってるのに、全然想う様にいかなくて折れそうな心。




「"幸せになりたい...。"」って哀しそうにしながら、無自覚に幸せから距離をとってる事実。




目の前にたのしそうにしてる人がいれば、誰だって変わり者扱いするし、足を引っ張りたくなる。




「"自分と違って、お前はいつもたのしそうでズルい!!"」




感覚の違いを受け止めきれなくて、産まれるところからやり直したい気持ちにもなる。




両親だったり祖父母の代とは訳が違って、もう体裁を整えるばかりの誤魔化しは効かない時代。




これまで苦渋を舐めながら自己鍛錬して、人格をあげてきた人達にとっては、最高に心地いい時代。




けど、逆に自己鍛錬しなくてもなんとな〜く過ごせてしまった人達は、これまで積み重ねたツケが一気に回ってきて、感情が抑えられなくなる場面が増える。




助けてあげたい気持ちはあるけど、そうなっちゃったことはもう仕方ない。




覚悟を決めてやるしかない。




一定の暮らしをするだけでも、ハードルが高い世の中だけど、みんなが力を付けて乗り越えてくれることを願ってる。




「"幸せになりたい...。"」って嘆く人のお陰で、気が付けたことに感謝。




それと、わざわざ苦労してしまったけど、相手や状況を責めることなく、耐えて乗り越えてきてくれた自分にも感謝。

まとめ

ここまでみてくれてありがとう!




今回は「"幸せになりたい...。"」って嘆く人のお陰で気が付けたことを話した。




生きるって本当に大変なこと。




仕事をするってなると、フルタイム週5日8時間が当たり前。




疲れた身体を癒す時間はない。




色んな特性を持った人達と同じ箱で働く。




協調しながら過ごさないといけない。




ただでさえやりたくない仕事。




終わったかと想いきや、夜遅くまで残業。




家族がいるのに働くのがやっとで構ってられない。




会社で働いた給料は、高い税金の支払いでほとんど消えて盛り盛りのストレス。




気が短くなってイライラが止まらない。




こんな状況の人が山ほどいるはず。




厳しい状況に置かれる人が多いからこそ、もう耐えなくていい様に、楽をするための土台作りを並行して進めてほしい。




人生は本来たのしいもの。




今まで向き合わないできたから回ってきたツケ。




グチや文句を言ったり「"幸せになりたい...。"」って嘆くのは構わないけど、自分にもう苦労をさせないであげて。




いつ身体が動かなくなるか分からない。




この話が、何かの気付きに繋がったり、じりつへの転機になると嬉しい!




バイバイ...みんな!

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?