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北斎館の「東都遊覧」をめぐる

晩飯を摂りながら、何気なくテレ朝の番組「サンドウィッチマン&芦田愛菜の博士ちゃん」を見るともなく見ていると、中学生の「博士ちゃん」が幾何学的な構成や隠し文字など、葛飾北斎の浮世絵のスゴさを巧みに解いているのにカンシンした。テレビに映る町の風情にも惹かれ、北斎館で開催中の「東都遊覧〜北斎と巡る江戸の町〜」展を観覧して、永井荷風『江戸芸術論』を多少なりとも深く解りたいと小布施へ出かけた。

「東都遊覧」のスタートする「冨嶽三十六景 江戸日本橋」の前に立って、まずは『江戸芸術論』の「泰西人の見たる葛飾北斎」の章に説く、北斎の「彩色板画の手腕」をじっくり鑑賞した。

冨嶽三十六景 江戸日本橋

「日本橋の図は中央に擬宝珠(ぎぼうしゅ)を聳(そびやか)したる橋の欄干と、通行する群集の頭部のみを描きて図の下部を限り、荷船の浮べる運河を挟んで左右に立並ぶ倉庫の列を西洋画の遠近法に基きて次第に遠く小さく、その相迫りて危く両岸の一点に相触れんとする辺に八見橋と外濠の石垣を見せ、茂りし樹木の間より江戸城の天主台を望ませたり。富士山は天主の背後に棚曳く霞の上(図の左端)に高く小さく浮び出さしむ。」

冨嶽三十六景 深川万年橋下

そういえば小布施に向かう途次、埼京線の車中から富士山が見えた。江戸の日本橋から富士山が見えて不思議はない。荷風は、この遠近法にもとづく「幾何学的布局より来る快感」は、「北斎新案の色彩」によって、「更に一層の刺戟を添ふ」と説く。さらに、「冨嶽三十六景 深川万年橋下」に論及し、「橋上の人物は橋下の船及び両岸の樹木と同様の緑色を以て描き出されたるが如き、これ皆天然の色彩を離れて専ら絵画的快感を主としたるものならずや。」と説くのである。陳列された「深川万年橋下」を前にして、その「絵画的快感」のよって来たる所以にナットク。〈撮影可〉とあるので、早速スマホに収めた。

隅田川両岸一覧 両国 納涼

『隅田川両岸一覧』はやはりガラスケースの中である。荷風は「北斎が夙に写生の技に長じたりし事並にその戯作者的観察の甚鋭敏なりし事とを窺ひ得べし。」(「浮世絵の山水画と江戸名所」)として、『隅田川両岸一覧』全三巻のあらましを述べるなかで、中巻の第三図「両国橋の群集と屋形船屋根船の往来」、ついで第四図「新柳橋に夕立降りそそぎて、艶しき女三人袖吹き払ふ雨風に傘をつぼめ跣足(はだし)の裾を乱して小走りに急げば、それと行違ひに薄べりと浴衣を冠りし真裸体の男二人雨をついて走る。」と活写する個所が見開きで展覧されていてラッキーだった。

隅田川両岸一覧 新柳橋の白雨

『北斎漫画』からは「十五編(魚)」「十三編 須弥」「三編(稲作)」「初編」「九編 野見宿禰 当麻蹴速」(のみのすくね たいまのけはや)「十二編 屎別所」「十二編 鰻登り」の7作品が展示されていた。確かに荷風が、「画工の写生に対する狂熱と事物に対する観察の鋭敏なる事」、すなわち「士農工商の生活、男女老弱の挙動及姿勢を仔細に観察し進んで各人の特徴たる癖を描き得たり。」と称賛するとおりである。ところで、荷風が「北斎の手腕のいかに非凡なるか」と激賞するのは、「第二巻の仮面の図、第八巻の盲人の顔等」、「なお一層の好例は第三巻中の相撲、第八巻中の無礼講、及狂画葛飾振」であるが、それらはやむなく国会図書館デジタルコレクションから検索して一覧した。

江戸巡りに『東都勝景一覧』は欠かせない。だが、永井荷風『江戸芸術論』の「浮世絵の山水画と江戸名所」の章に記述されているのは『江都勝景一覧』(寛政十一年板)であるが、展示にそれは見当たらない。ということは、荷風が「東都」を「江都」と勘違いしたのか、あるいは『東都勝景一覧』は寛政十二年板とあるから、その前年に『江都勝景一覧』が出されたのか。妄想をたくましくすれば、荷風の蔵書にはあったが、東京大空襲で偏奇館と共に焼失したのか。どうやら瑣末に拘っていると自嘲しつつ、文化庁の運営するポータルサイト《文化遺産オンライン》を検索しても見つからなかった。

さきの「博士ちゃん」に訊くわけにもいかない。ためしにいま世を賑わしているChatGPTに問うてみたが、尋ね方が拙いのか得心のいく解答は得られなかった。

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