千朶山房の文学-永井荷風『麻布襍記』私抄Ⅱ
「人老ゆるに及んで身世(しんせい)漸く落寞(らくばく)の思いに堪えず壮時を追懐して覚えず昨是今非(さくぜこんひ)の嘆を漏らす。蓋し自然の人情怪しむに足らざるなり。」
永井荷風『麻布襍記』も「偏奇館漫録」から「隠居のこごと」に至ると、「昨是今非」の叱言に見えながら、現代にも通ずる警世の批評に心をうたれることしばしばである。
一、二の例を挙げよう。
「利のある処必ず害あり楽しみの生ずる処悲しみなくんばあらず。予め害を除くの道を知らずんばいかでか真の利を得んや。悲しみに堪うるの力ありて始めてよく楽しむを得べし。」
荷風の花卉を愛することから筆を起こし、利害や苦楽の実相を説いたのち、「分を守って安んずるものを賢者」と結ぶのである。
人の生き方を説くのに、化粧の秘訣をもってする比喩は妙というほかない。
「化粧の秘伝は強いて粧いつくらざるに在り。人は誰しもおのれのあしき所を隠さんとするものなれど殊更に過ればあしき所それが為に却て目に立ち易し。…欠点を補い蔽わんとする化粧は好き程に留め置くこと肝要なるべし。…法ありて法に捉れす、自由にして乱れざるは独礼法のみならず凡ての道の極意なり。」
ところで、「隠居のこごと」の後半になると、千朶山房(せんださんぼう)こと森鷗外の文学に及ぶ。「全集となって十八巻、紙員正に一万枚の上に出ずべきを以て、平生読書を好むものと雖、慌忙繁累の世に在っては、或は悉く先生の著書を精読するの暇に乏しかるべきやを思い、ここに聊その綱要を記し」たと敬譲するが、「綱要」とは名ばかりで、鷗外文学の真髄を抉り出してとどまるところを知らない。
荷風が「渋江抽斎」の伝を再読して「遥かにフロオベルの小説に優れりというを得べし」と感嘆して列記する、その所以の一項目。
「言文一致の体裁を採りて能く漢文古典の品致と余韻とを具備せしめ、又同時に西洋近代の詩文に窺うべき鋭敏なる感覚と生彩とに富ましめたり。先生の言文一致体はこの渋江抽斎以下幕末学医諸家の伝に於て古今独歩の観をなせり。」
言文一致体といえば、「二葉亭四迷出でて以来殆ど現代小説の定型の如くなった」(「雨瀟瀟」)とはいえ、鷗外の史伝において「古今独歩の観」をなすとして憚らない。
さらに、江戸時代の事蹟を扱った鷗外晩年の「歴史物」を列挙したうえで、「今仮に阿部一族大塩平八郎栗山大膳等の諸篇を以て小説体の史伝となさんか。椙原品(すぎのはらしな)寿阿弥の手紙細木香以等の諸篇はこれを随筆体の記録とも称すべし。」と言い、その「著作の様式全く旧套を脱せり」とする所以を、荷風は次のように説く。
「山房の小説体史伝に至っては、正史の威厳と随筆の興趣と稗史講談の妙味とを併せ有して、その間更にまた著者平生の卓見高識を窺い知らしむ。修史を尚ぶものは山房文学の考証該博精緻なるを見ておのずから敬意を表すべく、野乗の興を娯しまんとするものは記事の絶妙なるを見て賛賞の辞を求むるに窮しむべし。山房の小説体史伝は江戸時代の所謂硬軟両派の文学を合せたるものにして、又史学と芸術との合致を示したるものなり。」
あるいは、「阿部一族」「堺事件」をあげても賛辞を惜しまない。
「わが近時の文壇西欧十九世紀末の文学を仰いで宗となせしより、許すに名篇佳什を以てするもの恋愛を説くにあらざれば憂傷病衰の状を描くに止り、悽愴凛烈の気概を写すもの全く其跡を断つに至れり。阿部一族堺事件の如き作品は正に群芳姸を競うの間孤松の亭々たるを仰ぐの思あり。」
さらに荷風は、「寿阿弥の手紙」を一つの好例にあげて、鷗外の史実討究のあり様を審らかにする。鷗外は渋江抽斎の資料蒐集にあたるなかで、抽斎と交遊した寿阿弥五郎作が某友に宛てた長文の手紙を手にした。早速、手紙の記事と人名を頼りに考証に着手。だが、二、三の古老を尋ねても手がかりが得られないばかりか、ついに討究の途も尽き、見切りをつけようとした。そのとき、「突然未一たびも寿阿弥の墓を展せず徒に文書の渉猟に腐心せし事の非なりしを思い」、急いで某寺に僧を訪う。そこで一人の老媼の存在を知ったことから、考証はいっきに進むことになる。その史実討究の方法を次のように比喩して絶妙である。
「著者が史実討究の方法は、恰も樹間に帆影を望み竹蔭に棹歌を聞いて河流のある処を知るや、道を求めて岸頭に至り流域を跋渉して、支流に逢う毎に細水小溝糸の如きものと雖猶これを閑却せず、本流と合せて悉く其源泉を究めずんば止まざるものに似たり。跋渉の労や本より尋常ならず、然れども途上おのずから又意外の佳景よく杖を停むるに足るものあるべし。山房考証の文学を読むの興は、著者の後に随って共に探索の途を歩むが如き思いをなすに在り。而して著者の筆よく読者をして此の感をなさしむるに妙を得たるは言うを俟たず。」
こうなると、鷗外の史伝をじっくり精読して、「共に探索の途を歩むが如き思い」を心ゆくまで堪能したいという誘惑に抗しがたい。
付記:255頁の「覇縻」、265頁の「笘」は誤植で、正しくはそれぞれ「羈縻」、「苫」ではなかろうか。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?