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獅子身中の虫-磯田光一編『摘録 断腸亭日乗』(下)を読むⅡ

永井荷風が『断腸亭日乗』に書き記す来話者は、その来歴をほとんど詳らかにしない、路上に行き交う見知らぬ人のようである。磯田光一編『摘録 断腸亭日乗』(下)を繙読していると、時にフルネームが記述されていて、たまになぜか気になって検索してみることがある。

そんな来訪者のなかに、平井程一と猪場毅のコンビがいる。その記述個所を抜き出してみる。
〔昭和十三年〕
六月十七日 平井君『断腸亭日記』第一巻の副本をつくり終る。
六月廿一日 燈刻浅草森永に平井君と会見す。
六月廿二日 午後平井君来話。日記三巻四巻を交附す。
九月九日 平井君筆写の日記を校正す。
九月十一日 午後平井君来話。
九月廿二日 午後平井君電話。岩波及小山書店の事を委託す。
十月八日 点燈のころ平井程一氏尋ね来る。
〔昭和十四年〕
二月十二日 夜浅草に徃く。森永にて平井猪場の二氏に逢ふ。
二月十三日 午後平井来話。手沢本(しゅたくぼん)小説七、八冊印刷本数種を貸与す。晡下(ほか)に至り猪場来る。一同浅草に徃き公園鍋茶屋に飲む。
八月廿七日 平井程一書あり。
九月初二 午後平井君来る。閑話昏暮(こんぼ)に至る。
〔昭和十五年〕
一月九日 平井君来り話す。黄昏共に出でて芝口の今朝に飰(はん)し浅草に徃き森永に憩ふ。
二月十六日 午後平井猪場二氏来話。共に出でて日本橋花村に飰しオペラ館に至る。
五月初一 午後平井来話。
五月初二 午後平井君来話花村に飰して銀座を歩む。
五月三十一日 夜平井君と銀座に会す。
六月十二日 晩食の後浅草に至る。平井君同行。
六月廿三日 晡下平井来話。
七月十二日 午後平井君来る。共に土州橋に至り日本橋の花村に飰して浅草に徃く。

じつに頻繁に来話しているのだが、この後パタリと、平井と猪場の名前を目にすることがなくなる。それは単に本書に「摘録」されていないだけなのか。のちに、市川に住した荷風に、「午後漫歩。手児奈堂に賽(さい)す。境内の借家に猪場毅氏依然として住めるが如し。店の窓に書幅を掛け玩具など並べたれば相変らず贋物(がんぶつ)の売買を業となすなるべし」と、冷やかに記述されている。あるいは、『断腸亭日記』の副本作りを頼んだり、手沢本小説を貸与したりする昵懇の間柄に、何かトラブルでもあったのか。まずは、この後の昭和十六年の「断腸亭日記」に当たってみるべく、図書館に赴いて岩波書店版『荷風全集』を繙いた。

すると、案の定、この二人の仕出かしたとんでもない悪事が露見しているではないか。昭和十六年十二月二十日に、その詳しい記述がある。
「この頃坊間の古本屋に余が草稿浄写本短冊色紙また書画の偽物折々発見せらるゝ由なれど、右は大抵この平井と其友人猪場毅二人の為すところ、実に嫌悪すべき人物なり。平井は去年中岩波書店及び中央公論社にて余が全集刊行の相談ありし時余が著作物の整理及全集編纂を依頼したるを以て相応の利益を得たるに係らず窃に偽書偽筆本をつくりて不正の利を貪りつゝあるなり。今日までに余の探知するもの春本四畳半襖の下張、短編小説紫陽花、日かげの花、濹東綺譚其他なり。これ等は皆余が自筆の草稿の如くに見せかけ幾種類もつくり置き、好事家へ高く売りつけるなり。平井との交遊もまづ今日が最後なるべし。」

思わぬ裏切りに、荷風は慨嘆すること頻りである。
「余一昨年頃までは文学上の後事を委託することもできる人の如くに思ひ大に信用せしが全く誤なりき。余年六十三になりて猶人物を見るの明なし。歎すべく耻づべき事なり。」
獅子の身中に二匹の虫がいたということか。荷風は昭和二十年三月初め、この二匹の虫に筆誅を加えたとされる短編「来訪者」の草稿を筑摩書房に手渡している。

だが、余燼は見えないところでくすぶっていた。悪事の露見から数年後のこと、その頃、荷風作品の出版を手がける扶桑社主人から、あの「猪場毅余か徃年戯に作りし春本襖の下張を印刷しつゝある」(昭和二十二年一月十二日)という一報がもたらされたのである。「此事若し露見せば筆禍忽吾身に到るや知る可からず」と、荷風は慌てないわけにはいかない。早速、「(十六日)正午春街氏に導かれ市川警察署に至り司法部長に面会し猪場毅の事を告げ秘密出版を未遂中に妨止せむことを謀る」のである。

翌々日には、秘密出版の「一味の者杉並区高円寺古本商雉子書房」と扶桑氏から通報を得て、「再び市川警察署に至りて陳述」する。ほどなく扶桑氏から「猪場毅秘密出版の事余の身には禍なかるべき由」(一月二十四日)と報告をうけて安堵するのである。翌昭和二十三年五月には、「『東京朝日新聞』に余の旧作『襖の下張』を秘密に印行せしもの警視庁に拘留せられし記事出づ。」とあり、事件はようやく決着をみたのである。

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