_夏目漱石記念館_2016-05-21_14_59_09

菊屋旅館を移築した夏目漱石記念館と「修善寺の大患」

 思いもしないところで、夏目漱石が逗留中に大吐血をして一時人事不省の危篤状態に陥った、修善寺温泉の「菊屋旅館」に出会った。旧本館の一部(漱石の滞在した部屋など)が「虹の郷」に、茶店も兼ねた風情の「修善寺 夏目漱石記念館」として移築されていたのだ。

 縁台でトコロテンを賞味しながら、『思い出す事など』に書き留められた「修善寺の大患」に思いをめぐらせた。“臨死”状態の漱石の叙述は迫真力に満ちている。

 「余は一度死んだ。そうして死んだ事実を、平生からの想像通りに経験した。はたして時間と空間を超越した。しかしその超越した事が何の能力をも意味しなかった。余は余の個性を失った。余の意識を失った。ただ失った事だけが明白なばかりである」

 「魂が身体を抜けると云ってはすでに語弊がある。霊が細かい神経の末端にまで行き亘って、泥でできた肉体の内部を、軽く清くすると共に、官能の実覚から杳かに遠からしめた状態であった。余は余の周囲に何事が起りつつあるかを自覚した。同時にその自覚が窈窕として地の臭を帯びぬ一種特別のものであると云う事を知った。床の下に水が廻って、自然と畳が浮き出すように、余の心は己の宿る身体と共に、蒲団から浮き上がった。より適当に云えば、腰と肩と頭に触れる堅い蒲団がどこかへ行ってしまったのに、心と身体は元の位置に安く漂っていた」

 「余は自然の手に罹って死のうとした。現に少しの間死んでいた。……九仞に失った命を一簣に取り留める嬉しさはまた特別であった。この死この生に伴う恐ろしさと嬉しさはが紙の裏表のごとく重なったため、余は連想上常にドストイェフスキーを思い出したのである」

 「一度死んだ」漱石の一大転換は、大患を挟んで書き継がれた『行人』に些か投影されてはいるが、『明暗』も未完に終わり、文学としての“大いなる結実”を見せるには、いま少しの時間が欲しかったということだろうか。

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