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絶望と希望の間―永井荷風『紅茶の後』を読むⅡ

永井荷風『紅茶の後』つづき。先の「鋳掛松」をはじめ、坪内逍遥の「桐一葉」を激賞する「歌舞伎座の桟敷にて」、小山内薫演出の「夜の宿」、すなわちゴーリキー作「どん底」の日本初演の感動を語る「自由劇場の帰り」など、荷風の演劇評を見て、歌舞伎座の客席から「助六」の通し稽古を観覧して魅せられたこと、清水邦夫の演劇「真情あふるる軽薄さ」に驚嘆したことなど往時の記憶を懐かしんだ。

「三田文学」に発表した荷風の戯曲「平維盛」が、中村芝翫、市川左団次、岡鬼太郎、小山内薫などの好意によって、明治座の舞台に演じられた。だが、荷風は「現在及び近き将来のわが劇界に向つて、最も有力に清新なる空気を注入すべき戯曲は、自分の思ふ処では、史劇ではなくて社会劇問題劇であろう。」と述べ、本来なら「真の意味ある新社会劇を草して、此れを舞台に演じて見たいと思つてゐる一人である。然し此の希望は遂に実現する事なくして止みはせぬかと危ぶみもする。」のである。

それは何故か。「自分の理想の妨害たるべき障壁は目下の劇場でもない俳優でもない。それは登場脚本の検閲を掌る警視庁である。否。警視庁をして此の如く余儀なくせしめた日本の法令である。」から、「当分はL’Art pour l’art」、すなわち「芸術のための芸術」を言い訳にして、「当り触りのない史劇を書くより仕方があるまい」と慨嘆する。しかも、芸術にとどまらず、「当り触りのない、或は毒にも薬にもならぬと云ふ此の二条件は、‥‥現代の凡ての方面に於て、日本の国土に生息するかぎり、吾々の忍び諦めねばならぬハンデキヤップ」であり、この稿を荷風が「絶望なるかな」と題する所以である。時あたかも幸徳秋水らの大逆事件の渦中にあった。

その絶望のなかに憂悶する荷風が、「暗中に一道の光明を認め得て、大に安堵の胸を撫でた。」のは、いかなる「希望」によるのか。

「何故かと云ふに、吾々は発売禁止の命令の下に如何にするとも己が本国の言語によつては全然、新しき事、真実なる事の一言半句をも云現はす事が出来ぬものとすつかり断念してさへ仕舞へば、其の暁は少し位文法や綴字法の間違があつてもそんな事は意とせずに、英語仏語独語等によつて、己れの信ずる意志を発表せんと企るに至るであらう。」

とすれば、発想の革命的転換である。

「‥‥されば、凡ての新しき、凡ての真実なる思想の交通は、全然日本語によらずして外国語による事になつて、てにをはや漢字や羅馬(ローマ)字なぞ此れまで多年論じられた国字改良の問題も、期せずして解決せらるゝのみならず、新しき日本、真実なる日本は直ちに世界的になり得るのだ。」

荷風の「無法無責任の空論」は面白い。

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