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ついでに剣山は登れない

「旅行のついでに山へ登って来ようという考えは、まず成功のためしがない。ついでがいけないのである。」(深田久弥『百名山紀行』下)

この一節にギョッとした。墓参のついでに児島ジーンズストリートを歩いたり、四国の剣山へ登りたいなどと企てていたからである。深田久弥は「日本百名山」の構想で、剣山を石鎚山と並ぶ四国の名山と考えていたが、遠路のためながらく「宿題」となっていた。初回は高松での講演の折りにアタックしたが、見ノ越で豪雨に見舞われて断念、3年後にようやく登頂できた。

大歩危峡
久保に着いた四国交通のバス

バスで祖谷川を遡り、深田が「終点の名頃へ着いた時はもう暮れていた。困ったことにその辺鄙な村には宿屋がなかった。バスの運転手や車掌が宿にする家があったので、ようやくそこへ頼みこんで玄関先の一室に泊めて貰った。翌日、朝発って見ノ越まで約八キロという道を昼前に歩いた。」(前同)という難儀な山行であった。今は阿波池田から祖谷川沿いを走る四国交通名頃線の終点・久保から見ノ越まで市営バスがある。

リフトで上がる
西島駅
西島から山頂をめざす

大歩危峡に前泊して満を持し、秋の剣山へ向かった。合わせて2時間ほど山道を走るバス旅である。見ノ越からリフトで西島駅へ上がれば、山頂まで1時間もかからない。だが、登りはじめるとたちまちバテバテである。バスの長旅が老いぼれの身にこたえたのか。「刀掛の松」のベンチで昼飯をとりながら休息しても、どうもおぼつかない。惜しいけど大事をとって山頂を諦めた。やはり「ついでがいけない」ということか。帰途の祖谷渓温泉に“後泊”し、秘湯につかって折れた心を癒した。

刀掛の松

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