新設ーナイチンゲールは神経症だったー3

 神経症とは自分の本質の心である”不安”にとらわれ、言い換えると葛藤苦が習慣化されることである。
ナイチンゲールは16歳の時、”苦しんでいる人たちを助けなさい”という神の声を聴いて以来、その声にとらわれ、反対する家族や他者の声には全く耳に入らず、いばらの道ー当時下層社会の人達の仕事としてあった看護婦への道・1853年のクリミヤ戦争におけるばい菌、ウジの沸く不潔な野戦病院での看護-へと進んでいってしまった。
もちろん看護婦は、ナイチンだけではなく、彼女が選んだ38人の看護婦たちとともにではあったが、汚い病原菌のはびこる野戦病院を、清潔な患者たちの身になり、彼らに寄り添うきれいな病院に創り変えたのであった。
その結果、そこでの死者が、ナイチンの来る前には42%(約8400人)から、ナイチン来後わずか4%(約80人)に激減した。
 一方漱石は、親に捨てられ里子に出されたが、そこでの幼児の生活は、物質的には恵まれながらも、心はとても窮屈さを強いられたようであった。
金持ちの養父母(特に母はケチで下品)に育てられた幼児(漱石)は、ことあるごとに”お前のおっ母さんは誰れだい”、“おっ父さんは?”と問い詰められていたらしい。これでは子供の情教育にはよくない。
分裂症気味の漱石の性格はこの辺にあったのかもしれない。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?