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36歳の人生観|10年越しの再出発

今年も誕生日を迎えたので、昨年に続いて等身大の人生観をnoteで書いてみたい。
一年に一度の生存報告、36歳の人生観。

手放した先に何がある?

去年の自分が今の状況を知ったら、あまりの変化に驚くだろう。
しかし、同時に「よくやった!」と認めてくれるかもしれない。
それくらいこの一年は生きることに真摯に向き合った。

去年の宣言よろしく観念的な世界観だけではなく、実際的な生活環境がこの一年でまるで変わった。
とても個人的なことであるし、世間的には決して威張れることではないけれど、一つずつ向き合っていった結果としての今の自分があることに納得している。

自分中心のコミュニティを解いた

コロナ禍を駆け抜けたウェルビーイング系スタートアップNestoの挑戦は4年弱で終わった。

自分が理想とする世界のプロトタイピングとして始まったNesto。
今年の春に解散の可能性について一人で考え始め、冬には関係者にセレモニーで感謝を伝え本を配布して幕が閉じた。
振り返れば、この一年の3/4の仕事は「会社・事業・コミュニティを終わらせること」に向き合っていたことになる。

スタートアップとしての成長・成功に見切りをつけながら、関わってくれた人への感謝を伝えて終わりきるのは、事業を推進していくとは違う筋力を使う忍耐を伴う作業だった。

自分が中心のコミュニティ、メンバーシップに境界線があるコミュニティ、はもうつくるまいと今回の痛みを伴った経験を通して強く誓った。


価値観の違いに向き合い離婚した

Nestoの解散と時を並行して、夫婦のパートナーシップについても向き合った。

気がついたらこの10年間で、僕らは大きく変わっていた。
それは真剣に生きているからこその、避け難い変化だったと思う。
反省があるとすれば、僕たちは共に歩んでいく中で、お互いの深いところで世界をどのように見ているかについて語り合ってこなかったことにある。

世界観を共有できない深い孤独がそこにあると直視した上で、時間をかけて対話を続けた結果、年末に離婚する道を選んだ。
今は、元妻や両家の親には感謝の気持ちしかない。


自分のモノは車一台になった

無職になり収入源がなくなり、離婚をして僕が出たので家がなくなった。
元より、貯金も潤沢にあるわけでもない。

焦燥感はどこからともなく身体のうちに湧いてくる。
それでも、自分の生存だけのためにはもう動かないと決めていた。
理のない機会に恐怖や欲望によって飛びつくことで、同じパターンを繰り返すことの方が僕にとっては脅威だからだ。

貯金が尽きていく中で、まるで身体中の毛細血管に残っていた酸素をかき集めるように、僕の人生で残してきた小さな資産を回収していく動きが生まれた。
例えば、投資信託を解約したり、服や本を中心に151品をメルカリで売ったり、他にも色々と今まで意識にも上がっていなかった「自分のモノ」を見つけては整理していった。

そういった細々とした作業を着実におこなっていていく日々の中で、自分のモノが整理されると同時に、自分自身の輪郭もシェイプアップされた。
結果的に、全てのモノは愛車のBMWゴルフ一台で収まった。
スーツケース一個まではいかないけれど、車一台に収まる感覚は、身体拡張として自分のモノを具体的に把握ができて心地が良い。

そして、一時的な足がかりとして、実家の部屋に置かせてもらうことにした。
思い返せば大学院卒業後に起業する時も、一時的に実家に戻ったので10年ぶりの原点回帰になる。

この歳になって親に頼ることには、恥ずかしさを感じるし、世間の目も気にならなくはない。
両親が健康で快く迎え入れたことへの感謝とともに、一呼吸整えて、自分の新たな役割に向かっていこうと思う。


和が生まれる場づくり

2023年は年末まで終わらせることに全身全霊でコミットしていたが、新年は早々からインドで1ヶ月ほど過ごしていた。
久しぶりの海外の一人旅は、終わらせる過程の中で僕にこびりついていた懺悔の感情が、インドの混沌に巻き込まれながら剥がれ落ちていくようだった。

旅の終わりには、次の道筋が自ずと立ち上がっていく感覚があった。
お金がない恐怖や自己を表現する欲望より、もっと深いところから「これをするんだ」という直観が今の僕を突き動かそうとしている。

インドで得たハートへの確信

インドの旅は、Ghandi 3.0というリトリートに招待されたのがきっかけだった。
このリトリートは、ボランティアたちの10,000時間にも及ぶ奉仕と、過去の参加者たちの布施によって成立している。

名前を呼び合い目を交わし合う挨拶。
お互いの深いところに寄り添い合う姿勢。
手を繋ぎ、目を瞑り、静かな時間を一分過ごしてから始まる対話。
そんな場にあっては、愛のさざなみにずっと触れている感覚だった。

リトリートが終わる頃には、世界中に家族の質感で繋がる仲間ができ、自分が深く繋がれる境界線が日本から世界へと広がった。
世界中の多様なステークホルダーが、言語や文化を超えて、人類普遍のハートから繋がることができる確信をもった忘れられない体験になった。


人間関係の和をエンパワーする

2023年から始まった対話のリトリートは、およそ1年で7回、全国各地で開催していた。

寝食やアクティビティを共にしながら、円座になって対話をする。
その中で、中心に透明で安全な共鳴の場ができたときに、コレクティブな癒しと気付きが起こり、その場に「和」が出現する。

リトリートで体感していることは、僕が拡張家族Ciftや遠くのご近所Nestoでもずっと求めていた人間関係の質感でもある。僕は家族のような「生活」よりも「質感」を求めているようだ。


同時にリトリートを通して感じたニーズに応える形で、和の質感を組織の人間関係に拡げていくお手伝いをすることになった。
本質的な対話の場をエンパワーすることで、相互理解と調和が自ずと生まれる組織カルチャーの創出を目指していく。

これからのAIと共生する時代には、人類はホワイトワーカーからハートワーカーになっていく、という願いがある。
そんな時代性を探求するためにも、自主的なリトリートとクライアントのコンサルテーションに並行して、古代叡智と先端科学の両方からハートテクノロジーを研究・実践をしていきたい。


表現者として生きる自覚

これまでの10年間、たくさんの事に挑戦し、たくさんの肩書を流離ってきた。
背負っていたものがなくなることで、僕は内側にある炎を燃やし続ける表現者であることをようやく自覚できた。

熱源を確かめるように、個人のポートフォリオをつくった。大学院生以来のことだ。
思索・コミュニティ・建築を通した「場づくり」が自分の中で通底しているテーマなのだと浮かび上がってきた。
特に、建築は大事なアイデンティティとしてあらためて向き合いたい。

社会に媚びることなく、人を利用することなく、自分の情熱に従って、和が出現する場づくりの表現者として活動をしていきたい。


恐れるところに向かっていく

35歳の一年で、会社を精算して、コミュニティを解散して、離婚して、モノを手放して、一文無しになって、実家に帰った。

気がついたら10年前に大学院を卒業してなにもない時と置かれている環境は近い。
同じ環境でも、10年経つことで桁が一つ上がっていればいいのだが。

「こんな歳にもなって、何をやっているんだろう」と頭には自分をジャッジする声がこの一年鳴り響いていた。
しかし、ハートの小さい声に耳を澄ませれば「信じて進め!」といつでも自分を奮い立たせる。
ハートは、社会や世間に捉われずに、自分の本当の願いを教えてくれる。 

恐れはある。常にある。
しかし、そこにブレイクスルーがあるとハートが教えてくれる。
だからこそ、恐れに向かっていく。
そんな36歳の始まり。10年越しの再出発。

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