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富士山は噴火するのか?

K.S.R.C ResearchReport FileNo.200301
オリジナル公開日 2003/3/23 報告
2003/9/28 追加報告
報告者:Ken-chang

「ここからは富士山も小さな隆起に見えますが、とてもはっきりとしたランドマークです。」

 これは今年2月(※2003年2月)に空中分解したスペースシャトル「コロンビア」に搭乗した女性飛行士ローレル・クラークさんが事故前日の1月31日、日本上空を飛行した際の印象である。

 宇宙から見ても印象的な美しい山、富士山。
その美しい姿とは裏腹に富士山はれっきとした活火山である。

火山噴火予知連絡会が定める活火山リストによると富士山は、「常時観測が必要な火山」であるBランクに認定されている。

また、国土交通省は富士山の火山防災対策としてハザードマップの作成を行っている。

 このように政府は富士山を活火山として再認識し、噴火をも想定しているのである。

 しかし、地震や火山の噴火といった自然災害の予知に関する情報は、その土地に住む住人にとって役立つ情報の反面、マイナスの要素も含んでいるのである。
富士山のような観光地の場合、「噴火するかもしれない」という情報が流れると、観光客は大きく減少し、地域にとっては大打撃になりかねないのである。

 事実、1983年9月に富士山が噴火するという情報が流れ、富士山周辺の観光客が大きく減少した事件があったのである。

 1982年、元気象庁予報官であった相楽正俊氏は「富士山大爆発」という本を発売した。この本の内容は、1983年9月のある日、台風のような大きな低気圧が富士山上空に位置したとき、その気圧の差が引き金になり地中のマグマが上昇、噴火するという内容であった。
もちろん、低気圧程度の気圧差で地中のマグマの位置が変化することはないのだが、当時はパニックとも言える状況になったのである。
しかし、1983年9月を過ぎても富士山は噴火せず、相楽氏は人騒がせな人物というレッテルを貼られ事態は収束したのである。

 これが世に言う”相楽ショック”である。
この相楽ショック以降、自然災害の予知報道は非常にシビアに扱われてきたのである。

 しかし、最近になって富士山噴火に対する情報が非常に多くあふれ出してきている。

 これはいったい何を意味するのだろうか。

 実は富士山噴火が騒がれたのは相楽ショックだけではないのである。
1990年代にも富士山が噴火するのではないかと言われた事があったのだ。

その時の根拠はこうである。

1983年10月3日に噴火した三宅島。
1986年11月15日から23日にかけての大噴火、及び1987年11月16日・18日に噴火した伊豆大島。
1989年7月13日の伊東沖の海底火山噴火。(手石海丘噴火)

これらの位置関係を図にすると下図のようになる。

ご覧になって分かるように噴火地点は次第に北上している。

伊豆大島、伊東沖を結んだ直線の延長線上に存在する山こそ富士山なのである。

また、広く報道はされていないが、1990年代前半、富士五湖のひとつ河口湖では原因不明の気泡が数多く目撃されていたのである。

これらのことから地元では、いつ富士山が噴火してもおかしくないという憶測が流れていた。

こういった噂レベルの情報は政府をも動かし、富士山ハザードマップの作成へと繋がっていったのである。

 しかし、本当に噂レベルだけの話なのであろうか。

 ここに興味深い予想をしている人物がいる。あのグラハム・ハンコックも注目した沖縄の「海底遺跡」の研究で知られる琉球大学理学部物質地球科学科の木村政昭教授である。

 木村教授はその著書の中で「次の噴火は、火口から北東斜面に要注意」と警告しているのである。
「ここ40年間の地震活動は、まさに火口から北東側にかけて集中しているように見える」といい、「 西暦800年以降の噴火歴をたどり、その規則性から判断すると、北東斜面よりの噴火の可能性が一番高い」のだと言うのだ。

 1990年代初頭に謎の気泡が発生した河口湖は、まさに富士山麓の北東に位置している。
これは偶然の一致なのであろうか。

 また、木村教授の言う北東斜面というのは富士山の成長過程を考えると、なるほどと思える位置でもあるのだ。

 富士山は4層構造になっており、一番下の地盤になっているのは御坂統(みさかとう)という地層で、これは約2000万年前に形成されたものである。

 約70万~20万年前に現在の富士山よりやや北側に小御岳(こみたけ)火山が出現する。その山体の一部は富士吉田登山口5合目の小御岳神社付近で今も見ることができる。

 約10万年前に小御岳火山の中腹で古富士火山が噴火を始め、爆発的な噴火を繰り返し、少なくとも4回の山体崩壊を発生させている。

 約1万年前には古富士火山を覆うように新富士火山(現在の富士山)が噴火した。新富士火山は、ねばりけの小さい玄武岩質の溶岩を流し、約1万年前~8千年前頃には、三島市や大月市付近まで到達するような多量の溶岩を流出させた。

 最後に富士山が噴火したのは、宝永4年(1707年)11月23日(新暦12月16日)午前のことである。

 これが宝永の大噴火である。

 この噴火によって誕生したのが、富士宮口側にある宝永火口(宝永山)である。この宝永火口は古富士の山体と思われる。
したがって古富士直下のマグマはこの時の噴火で放出され、残っているマグマは小御岳の下と考えるのが素直であろう。

そして、その小御岳の山頂部に当たるのが北東斜面なのである。

 これらのことから次の噴火は北東斜面と考えて間違いはないだろう。

では、その富士山噴火のXデーはいつなのだろうか。

KSRCが予想するXデーは、ずばり21世紀中頃(2010年~2070年頃)の秋、日付は9月か10月の3の付く日である。


<2003/9/28 追加報告>

 2003年9月26日、気象庁は富士山の東北東斜面(山梨県側)の標高約1530メートル付近に地面の陥没と、ごく弱い噴気を見つけたと発表した。
この現象は噴火活動とは直接関係するものではないと気象庁は発表している。

 この噴気が発見されたのは富士山の東北東斜面である。
 上記リサーチでK.S.R.Cが推測した富士山噴火ポイントは北東斜面である。

 これは単なる偶然の一致なのであろうか。

 貴方はどう思われるだろう。

<気象庁発表資料>
富士山の東北東斜面の陥没と噴気について
富士山の東北東斜面の地面の陥没と噴気について(第2報)


<補足>

活火山のランク分け

Aランク=「特に活動が活発な火山」
【100年活動度指数(5を超える)あるいは1万年活動度指数(10 を超える)が特に高い火山)】

十勝岳、樽前山、有珠山、北海道駒ケ岳(以上北海道)、浅間山(群馬・長野)、伊豆大島、三宅島、伊豆鳥島(以上伊豆諸島)、阿蘇山(熊本)、雲仙岳(長崎)、桜島、薩摩硫黄島、諏訪之瀬島(以上鹿児島)

Bランク=「常時観測が必要な火山」
【100年活動度指数(1を超える)あるいは1万年活動度指数(7を超える)が高い火山(ランクAを除く)】

知床硫黄山、羅臼岳、摩周、雌阿寒岳、恵山、渡島大島(以上北海道)、岩木山(青森)、十和田(青森・秋田)、秋田焼山(秋田)、岩手山(岩手)、秋田駒ケ岳(岩手・秋田)、鳥海山(秋田・山形)、栗駒山(岩手・宮城・秋田)、蔵王山(宮城・山形)、吾妻山(山形・福島)、安達太良山、磐梯山(以上福島)、那須岳(栃木)、榛名山、草津白根山(以上群馬)、新潟焼山(新潟)、焼岳、御嶽山(以上長野・岐阜)、富士山(山梨・静岡)、箱根山(神奈川)、伊豆東部火山群(静岡)、新島、神津島(以上伊豆諸島)、西之島、硫黄島(以上小笠原諸島)、鶴見岳・伽藍岳、九重山(以上大分)、霧島山(宮崎・鹿児島)、口永良部島、中之島(以上鹿児島)、硫黄鳥島(沖縄)

Cランク=「活動度は低いが観測が必要な火山」
【いずれの活動度指数とも低い火山(ランクA、B以外の火山)】

アトサヌプリ、丸山、大雪山、利尻山、恵庭岳、倶多楽、羊蹄山、ニセコ(以上北海道)、恐山、八甲田山(以上青森)、八幡平(岩手・秋田)、鳴子(宮城)、肘折(山形)、沼沢、燧ケ岳(以上福島)、高原山(栃木)、日光白根山(栃木・群馬)、赤城山(群馬)、横岳(長野)、妙高山(新潟)、弥陀ケ原(富山)、アカンダナ山、乗鞍岳(以上長野・岐阜)、白山(石川・岐阜)、利島、御蔵島、八丈島、青ケ島(以上伊豆諸島)、三瓶山(島根)、阿武火山群(山口)、由布岳(大分)、福江火山群(長崎)、米丸・住吉池、池田・山川、開聞岳、口之島(以上鹿児島)

※気象庁「火山噴火予知連絡会」による報道資料

相楽正俊氏

月刊財界人(※2022年現在では「財界」という雑誌にあとを託し廃刊)という雑誌の1998年10月号で、『「1999.7」まであと1年』という記事を書いている。
防災の日を前にした特集ではあるが、トンデモな匂いがする内容であった。
以下に当時の紹介記事を紹介する。

 『ノストラダムスの大予言』、「1999年7の月、天から大王が降ってくる」が話題となってから何年経つであろう。当時、遠い先の話であった1999年まであと1年。今またノストラダムス系の書物が書店を賑わせている。
 そして、まさにその同じ年、同じ月を世紀末的大天災が襲うと予言しているのが小誌でもお馴染みの気象防災研究家・相楽正俊氏である。氏はまた、気象庁を中心とする日本の防災システムには重大な欠点があると指摘する。すでにカウントダウンが始まった98年7月、今、我々がなすべきことは何なのか、を聞く。

その相楽氏であるが、21世紀を迎えることなく1999年に亡くなっている。


富士山の噴火

最後に富士山が噴火したのは正確には宝永の大噴火ではなく、1854年のことである。
なお、記録に残っている富士山噴火の記録は以下の17回。

781年 桓武天皇の時代。この噴火の後、北口浅間神社が現在地(富士吉田市)に移されたとされている。

800年 同じく桓武天皇の時代。大噴火で、昼間でも真っ暗になるほど火山灰が降り、川は真っ赤になったと記録されている。当時の東海道であった足柄路が溶岩が熱いまま通れなくなったため、代わりに箱根路が開かれた。(延暦の噴火)

826年 藤原冬嗣が亡くなった年。

864年 清和天皇の時代。山頂、山腹のあちこちからの大噴火で、青木ヶ原溶岩流が「せの海」を分断し、西湖・精進湖が生また。この後、山梨浅間神社が現地に移動した。 (貞観の噴火)

870年 清和天皇の時代。

932年 朱雀天皇の時代。

937年 朱雀天皇の時代。この噴火で山中湖が形成された。

952年 村上天皇の時代。

993年 一條天皇の時代。

999年 一條天皇の時代。

1017年 藤原道長の時代。

1033年 藤原頼通の時代。

1083年 後三年の役が起きた年。

1435年 後花園天皇の時代。

1511年 吉田兼倶が亡くなった年。

1707年 徳川綱吉の時代。大噴火。関東一円に大量の火山灰を降らせて農業に大きな被害を与えた。川が埋まってしまって氾濫を起こした例もある。この時の火口が、富士山にこぶのように付いている宝永山(2693m)。(宝永の噴火)

1854年 安政の世相の騒がしい時代。雪が融ける程度の小噴火。


KSRCが予想するXデー

最も可能性が高いのは2038年10月23日である。
根拠はない。

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