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幽霊は存在するのか

K.S.R.C ResearchReport FileNo.010022
オリジナル公開日 1999/11/28 報告
  報告者:KS

 前回のリサーチでは、「死後の世界は存在するのか」をリサーチした。そこでの結論は、死後の世界は存在しないということだったわけだが、死後の世界が存在しないとするならば、多数の目撃例のある「幽霊」の存在はどうなるのであろうか。

 一般に現代科学で解明できていない現象であるUFOや幽霊といったものの目撃例の90%は、何かの見間違いだと言われている。逆に言えば、残りの10%は確かに何かを目撃したということになる。
今回のリサーチでは、その10%の真実にできるだけ近づいてみることにする。

まず幽霊の出現場所の特定から始めることとしよう。

 幽霊の目撃場所としてよく言われるのは、以下のような場所ではないだろうか。

・墓地
・トンネル
・崖などの自殺の名所

 墓地は死者を埋葬する場所であるし、トンネルはその工事の時に事故で死者が出ている場所での目撃例が多い。また、自殺の名所は当然そこで人が死んでいるのだ。
 と言うことは、やはり幽霊は死者の霊が係わっていると言うことであろうか?

 それは、半分当たっている。と、言うのも人は死ぬ時、強烈な思考を巡らす。よく死に直面すると「走馬燈のようにそれまでの人生を思い出す」というが、それがそうだ。この思考が思念となってその場に留まることがあるのだ。それを「残留思念」という。

 残留思念とは、死に行く人が、この世に未練を残している場合に、その生への執着が思念となってその場に留まってしまうものと言われている。
しかし、そんなことが実際に起こりうるのであろうか。
それを考える前に、そもそも思念(思考)というものがどういうものなのか説明していくことにしよう。

 人が何かを考えるのは脳である。脳の中には無数の神経回路(ニューラルネットワーク)がある。
その中を神経パルスと呼ばれるある種の電気信号が駆けめぐることによって、思考というものが成り立っているのだ。これは、ある意味コンピュータの仕組みに非常に近いと言える。

 その思考がその人の脳から離れて、その場所に留まってしまうような事が起こりうるのであろうか。

 先ほど、思考は電気信号によって行われると書いた。そうであるならば、その信号を電気的なものとして、脳以外の別の場所に記録する事も可能ではないだろうか。
 コンピュータを考えてみよう。コンピュータのメモリには情報を記憶させることができる。これはメモリ素子に電気を流しておくことにより実現されている。
 コンピュータに非常に似通った脳内部の情報も、同様に記憶させることは可能であろう。

 それでは、どうやって脳以外の場所に記憶するのであろうか。
実は、我々の脳からは常に電波が発せられているのだ。α波、β波という言葉を聞いたことがあるだろう。
これらは、脳から発せられている電波なのである。思考する際の神経パルスは、必然的に電波を発しているのだ。この電波を外部から捉えれば、脳以外の場所に記憶することも可能となるのだ。
 しかも、死の直前には、瞬間的に膨大な量の思考が行われる。これは、言い換えれば、大量の電波を発していることになるのだ。
 また、死の直前ではなくても、同じ事を複数の人間が思考する場合も、その思考(電波)が大量に発せられると言えよう。葬式や、墓地への埋葬時、同じ事(故人のこと)を複数の人が同時に考える。また、自殺の名所では、同じ事(自殺)を複数の人が考えているのだ。

 では、実際の記憶場所はどこになるのであろうか。
それには、幽霊目撃場所を思い出してもらいたい。墓地、トンネルなどで共通した事があるのだ。それは、湿度が高いことである。
 また、そのほかの幽霊目撃場所を調べてみると、沼や河川に近かったり、地下水脈が通っていたりする場所であることが多いのだ。
 細い管を水が通ると、そこには電気が発生する。また、水は電気を通しやすい性質を持っている。地下水脈や河川、湿度の多い場所の地面などは、電気を発生しやすいということが言える。
 それらのことから、幽霊目撃場所では、残留思念を電波という形で捉え、記憶していると考えられる。まるでビデオテープのように。 
 そこに記憶された残留思念が、その場所を訪れる人の脳に直接、映像や音声として届くのである。
幽霊を見やすい人は、残留思念電波との波長が合いやすい人ということができる。

 これが、幽霊の正体である。

 また、霊に取り憑かれる現象(憑依現象)は、強烈な残留思念電波が、その人の通常の思考電波よりも大きい場合に起こる現象であろう。もともと人間の思念だった残留思念は、他の何よりも人間の脳とリンクしやすいのだ。


<解説>

コンピュータの仕組みに非常に近い

 コンピュータの仕組みは確かに神経回路に近い。が、意思となると話は別である。
 昨今、人工知能が取りざたされているが、本当の意味での人工知能は可能であろうか。それは、いささか疑問である。遠い将来、人間以上の知能を持ったコンピュータはできるかもしれない。が、そのコンピュータに意思は存在するのか。
 現在のコンピュータは、いかなるコンピュータであろうと何かしらのプログラムをされて動いている。この動作の仕組み、手法をアルゴリズムというが、意思というものはアルゴリズムで説明できるものではない。どんなに複雑なアルゴリズムだろうと、意思は記述できないのだ。
 現在のコンピュータの創始者アラン・チューリングは人工知能についてこのように述べている。
「相手の姿が見えない状態で、考え得るありとあらゆる質問をし、それに対する答えが人間と区別がつかないならば、その相手は人間と同じ知能を持っている。」

  イメージしやすいように、哲学者ジョン・サールが行った有名な「中国語の部屋」という思考実験を紹介しよう。

 意思がアルゴリズムで説明できるとしたら、コンピュータプログラムではなく、それを紙に書くこともできるはずだ。そこで、その意思プログラムを紙に書いたとしよう。(膨大なページ数になるであろうが)
 その紙と、一人の人間を箱の中に入れ、その箱に対し何かを質問することとする。質問は中国語で書かれた紙で行われるとしよう。箱に入った人は中国語が全くわからない人とする。箱の中の人は出された質問の紙を、内容を全く理解できないまま、意思プログラムにそって実行していく。時間はかかるかもしれないが、答えは必ず出る。箱の中の人は、その答えを、意味も理解できないまま中国語で紙に書き、出力する。
 外から見ると、質問に対し、箱が極めて人間的な回答をしたので「箱には知能がある」と思うだろう。しかし、実際は、中の人は単に作業を行っただけで、その作業の中にはいっさい思考というものは入り込む余地がない。では、意思プログラムが書かれた紙に知能があるというのか。
 これは、ナンセンスである。

よって、現在の形態のコンピュータがどんなに進歩しても、本当の意味での意思や思考を持つことは不可能だと言われている。

電波を外部から捉える

 テレパシーと呼ばれているものは、他人の思考から発せられる電波を捉える事なのではないだろうか。


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