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ぼくのライブエイド研究6

ブルース・スプリングスティーンが、来てくれないよ!

それでは前回は「名前はクレジットされたのに出なかった人」を取り上げましたが、今回は「その他の出なかった人たち」についてです。

史上最大のチャリティコンサート「ライブエイド」は1985年7月13日土曜日に、アメリカとイギリスで同時に行われましたが、当初は1週間前にやるアイデアもあったようです。

■ ブルース・スプリングスティーン

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その頃、ブルースはヨーロッパツアー中で、まさに直前まで、ロンドン、ウェンブリー・スタジアムでもライブをやってました。そのときの舞台装置や照明も、ライブエイドに一部使われていたという話もあり。でもツアー終わってアメリカに帰ってからのほうがいいのかな〜と、わざわざライブエイドの全体スケジュールを一週間ズラした、という話もありました。ブルースに出てもらうためだけに!

まあ、そのくらい当時のブルースは「ボーン・イン・ザ・USA」の大ヒットもあり、「オレ(ウィ・アー・ザ・ワールド・オリジナルレコーディング)」でも、おいしい目立つ役どころで、絶対ラインナップにほしい「ボス」だったんでしょう。でも、ツアーの後はメンバーもみんなオフにしたいし〜、と本人も最後まで迷ってたようで、後になってから「弾き語りだけでも出るべきだった」と後悔していた、という報道もありました。まあ迷っただけでも、やっぱりいい人なのかな?

興味深いとこでは、そのブルースのバンド、Eストリートバンドのドラマー、マックス・ウエインバーグがフィラデルフィアのライブエイド会場に客として来ていて、MTVのインタビューにも答えてるとこです。


MTVのキャスターたちに、しつこく「ブルースは来るんでしょ? あのステージの照明はブルース用では?」とか聞かれ「いやロンドンのほうが、ぼくらのだよ。今日は演奏する予定はないよ」と言ってる。それさえ、サプライズ登場する前のごまかしだと思って見てた視聴者もいるかもしれんね。

それでもブルースが出なかったのは「サンシティ問題」もあったのでは? という見方も多いようでした。(註1)

■ ジョージ・ハリソン

ビートルズ再結成案はやはり、気が乗らなかったのか? リンゴ・スターに関する記述は見つけられなかったのですが、ジョージについては、ボブ・ゲルドフと電話で話してちゃんと断ったという話があります。

その際に、ジョージは1971年にチャリティ・フェスの先駆けである「バングラデシュのコンサート」(註2)を主催しているんですが、後でライブ盤を発売のときディランの曲を入れるかどうかでレコード会社とモメて、ライブを残すのは大変だ、という忠告をされて、ゲルドフも当初はライブエイドのアーカイブを残さないことにしてたらしい。

■ プリンス

「オレ」のときも、あやふやにスタジオに行きそうで結局、当日に参加を辞めたらしいプリンスですが、ライブエイドのときは「最近ストーカーに狙われてるので命が危険だ(原理主義キリスト教徒の間で引き起こしたスキャンダルのため?)」とか、なんとか言ってステージは出演辞退しました。ただ「オレ」のアルバム盤に「4 the Tears in Your Eyes 」という曲を提供していましたので、ライブエイドにも同じ曲のPVを提供したことで、いちおう参加したことになった。

■ ディープ・パープル

ハードロックの大御所も、当時は再結成したばかりのツアーをヨーロッパで回っていて、一度はスイスからの衛星中継で参加する予定はあったけど、ギターのリッチー・ブラックモアが反対して取りやめになったと。ボーカルのイアン・ギランがそう語った、というのと、ギランも一緒に反対した、という説もありました。

■ イエス

■ フォリナー

この2バンドは前回紹介のグレアム本によると、

あと10日というあたりになって、最初は鼻もひっかけなかったやつらが、急に出演を希望してきた。イエスとかフォリナーとかオジー・オズボーンとかいった連中だ。

で、もう出演者がいっぱいだと断って、オジーだけはブラック・サバス再結成という名目で、朝の11時から出演になったと。でも後になってオジーは「あんな朝から、やらせやがって」と怒ってたという話。

しかしイエスの「ロンリー・ハート」もライブエイドで聴きたかったね〜。イエスはギャラを要求したためグレアムに断られた、という説もあった。

■ キンクス

イギリスにおいてはビートルズ、ストーンズ、ザ・フーに次ぐ大物として知られる、60sからのバンドで、80sになってからのヒット曲もあり、当時もアメリカでツアーをやってましたが、リーダーのレイ・デイヴィスが「ボブ・ゲルドフが有名になろうとしてるだけ」と拒否した、という説と、ゲルドフのほうが「キンクスはそんなメジャーじゃないし」とオファーしなかった、という説、両方見ました

■ ビッグ・カントリー
2曲くらい大ヒット曲のあったバンドなんですけど、ライブエイド前に解散していた、と勘違いされてて出番がなく、メンバーはロンドンのフィナーレには登場し、BBCのインタビューもされています。

■ シンディ·ローパー
「オレ」の重要人物ですが。出演拒否してたけど、フィナーレには楽屋に来てたんじゃないかとの噂もあった。
ジョーン・バエズが「彼女は人に言ってないけど、お腹の手術をしてたらしい」(中絶?という噂も)と言ってる説もありました。
シンディはこの年の暮れに、エイズ撲滅のための基金「ロック・アゲンスト・エイズ」に関わっています。
面白いのは、後に出版されたライブエイドの記録写真集のテレビCMにシンディが出演して、宣伝してるところ。やっぱり出れなくて、ちょっと残念だったのか?

■ ユーリズミックス

当時、ボーカルのアニーレノックスは深刻な喉の問題に苦しみ、キャンセルしたそうです。

■ フランキー・ゴーズ・トゥ・ハリウッド

ボーカルのホリー・ジョンソンは、出たかったのに、マネージャーや他のメンバーが嫌がって断った。キャリア最大の失敗だ。と語ってました。「ドゥゼイ」のときも、後から声だけチラっと参加してましたね。

■ キャット・スティーブンス

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イギリスのベテラン、シンガーソングライターで、70年代にヒット曲があります。当日出演予定で、ライブエイド用の新曲を用意して出番を待ってたのに、エルトン・ジョンの出番が長引いたため、出演できなかった、などというヒドイ話もありました。

■ デフ·レパード

このときバンドのドラマーが、事故に遇い片腕切断という大変な状態にあったため、ゲルドフのオファーに丁重に断りを入れたそうです。しかし2年後、他のドラマーを探すことなく、回復を待って、片腕だけで叩けるドラムセットを開発して、復活して今に至るデフ・レパードの物語もいつか映画になるでしょう。

■ デペッシュ·モード

ツアー中だったので、キャンセルしたことになってますが「チャリティはプライベートでやるもの」とコメントした説があって、そっちを採用したい感じです。

■ シン·リジィ

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当時は活動休止していたのですが、リーダーのフィル・ライノットはオファーしてくれたら再結成したのに! と出演できなかったことを怒り、悔やんだまま、半年後に亡くなっています。当日もバックステージにいたらしい。そのへんの事情を描いた伝記本も出ています。

2015年に出たシン・リジィの伝記本
「Are You Ready?: Thin Lizzy: Album by Album」アラン・バーン

2016年にフィル・ライノットとしての伝記本も出ている
「Cowboy Song: The Authorised Biography of Philip Lynott」グレアム・トムソン

■ スティーブ・マリオット

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スモール・フェイセスハンブル・パイ、で60年代末から70年代初頭に活躍し、数々のアーティストに影響を与えた、モッズの代表の一人ですが、ドラッグやアルコールで80年代以降、身体を悪くして1991年に亡くなっています。2016年に制作された「Midnight Of My Life」という短編映画があり、マリオットがライブエイドのその日に「自分も出たかったなあ」と、テレビで見ながらパブで酔いつぶれてる様子を描いている、という奇妙な作品です。

Midnight Of My Life

◎ あと、その他、いちおう「オファーされたらしい」という情報があったけど、断ったのどうかも不明で、名前があがってたアーティストだけ列挙しておきます。みなさんも追加情報あったら、教えてください。

■ ABBA
■ AC / DC
■ バナナラマ
(当時はライブやってなかったから)
■ ジョンクーガー・メレンキャンプ(お金を集めるだけのコンサートはよくない、と拒否。その後、ファームエイドに出演しました)
■ ポインター・シスターズ(ツアー中のため)
■ ドナ・サマー(レコーディング中)
■ ヴァン・ヘイレン(デイヴ・リー・ロスが脱退したばかりだった)
■ ジョージ・ベンソン
■ マイルス・デイヴィス
■ ライザ・ミネリ
■ オノ・ヨーコ

 フランク・ザッパ(「空前の最大のコカイン資金洗浄計画」と皮肉ったそうです)
■ トーキング·ヘッズ

◎ このへんの事情、2014年にイギリスで出版されたライブエイド本にも書かれてるようです。(日本語訳出てないし電子書籍にもならないので、まだ読んでません。読んだ人は感想教えて〜。すいません。。)
「The Eighties: One Day, One Decade」ディラン・ジョーンズ

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◎ こうして気づくのは、ライブエイドは、当時やや落ち目だったクイーンの人気復活を決定づけたイベントだったのに、アメリカではキッスとエアロスミスにはオファーされた気配さえなかった、ていうとこで、いかに1985年の時点で、完全に70年代に終わったスターとして忘れられた存在だったか、て感じですね。

けっこう90年代中盤から人気復活して2000年代以降、不滅のレジェンドみたくなったアーティストでも、ちょうど、この時期だけ落ち目だった人って、けっこういた時代だな〜と、しみじみします。
いちおうキッスのポール・スタンレーだけはバックステージには遊びに来ていた。(メークがないと、わかんないねw)検索したらオジーと談笑してる写真とかもあったよ。

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 そして、ピンク・フロイド

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のギターのデヴィッド・ギルモアは、ライブエイドでは、ロンドンのステージ、ブライアン・フェリイのソロでゲストギターに参加してました。ほんとは80年代になって脱退した、ロジャー・ウォータースを迎えてピンク・フロイドとして出演する噂もありました。そのときはロジャーは自分のソロなら出てもいい、と言ったけど、それならいいです、とゲルドフに拒否されたみたいな。

ロジャーは当日、アメリカ側のバックステージにいたようで、MTVのインタビューに答えています。しかし、ほとんどは家でテレビで見てて、ザ・フーとクイーンがよかった、みたいな話をしている。

後に20年後、21世紀のライブエイドとしてライブ8(エイト)が2005年7月に開催されたとき、この悲願は達成され、ロジャーが復帰した70年代全盛期のメンバーでの、ピンク・フロイド復活がメインに出演して話題になりました。(註3)

ま、エイトのほうは、ディープ・パープルも、デフ・レパードも、スティーヴィー・ワンダーさえも出演できたんですが。

これが、もうひとつの夢のライブエイドだ!

そいで、もろもろライブエイドに出そうで出なかった人、出たいのに出れなかった人、出たけど、ちゃんと出番がなかった人たち「だけ」を集めて、もうひとつのライブエイドを1985年にやってたら、どうなるか、のタイムテーブルを勝手に作ってみました

空想ライブエイド1985

なんとなくサッカーとか野球で、日本代表チームからハズれた選手の中でオールスターチームを編成したら、代表よりも強そうだった、みたいなのに通じるところもあるね。

◎ クイーンの映画「ボヘミアン・ラプソディ」のメイキング映像の中に、映画用に1985年のライブエイドのステージセットを正確に再現して作り上げる様子が描かれています。
ああ、どうしてコレを保存してライブエイド記念館を作ってくれなかったのか。

これをそのまま貸しライブステージにして、1980年代に活躍したけどライブエイドに出られなかった、でも今でもやってるバンドに演奏させて架空ライブエイドをやるとか、1980年代に活躍したアーティストのコピバンやってる今の若者バンドに演奏させて架空ライブエイドやるとか、いくらでもやりようがあったじゃないか! と思うんよ。

てことで、
次回はついに、2021年6月4日に地上波初放送も決まった、映画「ボヘミアン・ラプソディ」に関して追求しようと思います。なぜ7月13日じゃないんだろうね! まったく!

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(註1)サン・シティ (曲) - Wikipedia

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サンシティは、1980年代になっても地元の黒人を差別するアパルトヘイト(人種隔離)政策が行われていた南アフリカの中で、白人の特権階級が作ったリゾート地で、そこにあるホールには豪華なアーティストたちが高額ギャラに釣られて、入れ替わり出演していました。フランク・シナトラ、ビーチ・ボーイズ、グレン・キャンベル、リンダ・ロンシュタット、ロッド・スチュワート、オリヴィア・ニュートン・ジョン、クイーン、エルトン・ジョン、シカゴ、など。

それを批判するミュージシャンの代表として、ブルース・スプリングスティーンのEストリートバンドのギタリスト、スティーヴ・ヴァン・ザントが「あんな場所に出演しているミュージシャンたちはクソだ!」つって、ブルースをはじめ、たくさんのアーティストに声をかけ、反アパルトヘイトのテーマ「サンシティ」という曲と、アルバムも完成させ、ライブエイドの3ヶ月後くらいにリリースすることになるんですが、ライブエイドに出た人もたくさん参加して、かぶってるんですよね。

しかし批判対象になっちゃったアーティストもけっこうライブエイドにも出てたし、う〜ん、ということで。顔を合わせるのも気まずい感じもあったのかな? とも想像させます。クイーンやエルトンは、その汚名挽回のため、よけいにライブエイドに力を入れてがんばらないといけなかったんだろう、と言われてもおります。

(註2)バングラデシュ・コンサート - Wikipedia

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1971年にニューヨークのマディソン・スクエア・ガーデンで行われた、初めての大きなチャリティコンサートと言われています。当時はパキスタンから独立したばかりで、世界最貧国とも言われたバングラデシュを支援する目的。出演は、ラヴィ・シャンカール、ボブ・ディラン、エリック・クラプトン、レオン・ラッセル、リンゴ・スター、ビリー・プレストンなど。ライブアルバムにもなり、記録映画も劇場でロードショー公開されました。

(註3)LIVE 8 - Wikipedia

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エイドでなく、エイトというのは、主要先進8カ国って意味で、ライブエイド後もずっとチャリティに関わっていたゲルドフが、今度はお金をアフリカに寄付するのでなく、G8の国でアフリカの小国にお金を貸しているとこは、借金も帳消しにしろ、と働きかけるというものでした。

まあ、これも世界を同時に結んで衛星中継で行われたスケールの大きいイベントで、開催も各国12ヶ所の会場に渡るものでしたが、さすがに21世紀は、そんなバタバタしてなくて(日本ではCSのフジテレビで中継。地上波はダイジェストでした)ぼくは〜、正直そんなに乗れないというか、80年代の勢いと混沌と緊迫感の魅力に比べると、あんまし興味が持てず、まだ研究対象にはなってません。すいません。

2021年4月23日 かとうけんそう

■ ぼくより詳しい方がいらっしゃったら、間違いの訂正、情報提供、あらたな補足ください! いつでもフィードバックして、また文章を修正・追記します!

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