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スパークス、空白の6年間とは?

とりあえず映画「スパークス・ブラザーズ」をご覧になって、もっと深くスパークス知りたい、という方向けの、ぼくからの古参ファン・アピールのnoteです! 映画館で見れなかった方は、8月にDVD&ブルーレイも出ますので、見てから読んでね!

映画「スパークス・ブラザーズ」の中盤の泣かせどころ、スパークスの50年間のバンドキャリアの中で一番落ち込んだ、という1989年から1994年にかけて、まったく仕事もなくなって貧乏になった6年間、というパートがありましたよね〜。

日本のマンガ、池上遼一の「舞」をハリウッドで映画化する、という企画でスパークスが一生懸命、何年もかけてサウンドトラック制作していたのに、ティム・バートン監督が降板して幻に終わってボツになったという。。

「スパブラ」の中でもメイル兄弟が転落していく様を、誰かが池上遼一ふうに描いてたのが笑わせたね!

そして1989年から毎年、お正月のTV番組で「ハッピーニューイヤー!」てやってるとこをカットバックで見せていく、スパークスとは関係ない映像で、落ち込んでる間に時が流れていく。あそこはエドガー・ライト監督の演出の妙でしたね〜。

いや今回、そうだったのか〜と初めて知った部分もあったんですけど、その当時、6年間の間、われわれ日本のスパークス・ファンはどうしてたか? と思い出すと、それほど落ち込んでなかったな。あんまり「スパークスどうしてんのかな〜」という話題も出なかった。あれはなぜだったんだろ?

映画スパブラには描かれなかった6年間を、ちょっと資料と突き合わせながら、記憶を掘り起こしていこう。時を戻そう。

1988年(昭和63年)のスパークス

1988年、スパークスの15枚めのアルバム「インテリアデザイン」が初めてCD先行、日本盤先行でリリースされました。後から欧米ではアナログが出て、そっからCDが出るみたいな。まだバブルが残ってて、日本のレコード会社が強かったのかな?

その前の「Music That You Can Dance To」(1986)さらに前の「Pulling Rabbits Out of a Hat」(1984)と、続けて日本盤が出てなかったので、これは宣伝に協力しなきゃ〜、とぼくらも燃えましたよ。

テクノ・大感謝祭とは?

1988年10月に六本木インクスティックというライブハウスで「テクノ10周年・大感謝祭」というイベントを主催して、名目は1978年にYMOのファーストアルバムが出てから、10年を記念して、その頃あまり流行らなくなったテクノポップを盛り上げよう、と日本のテクノを回しまくってました。

でも本音はやはり、その88年、4年ぶりにDEVOがリリースしたニューアルバム「トータル・ディーヴォ」(ここから80年代のスパークスに在籍していたドラマー、デヴィッド・ケンドリックが加入する → 最初は気が付かなかった)のシングル曲「ディスコダンサー」のMVと、

デヴィッド、左から2人目

スパークスの「インテリアデザイン」のシングル曲「ソー・インポータント」のMV、このテレビでも放映されない、2曲の映像をみんなに見せたい、というのが最大の動機だったかもしんない。

しかし正直「インテリアデザイン」はちょっと。。佳作ではあるんだけど、スパークスの歴代アルバムの中でも、まあまあ地味な感じ。人気もまた落ち目でライブもできなくなってんのかな? て思わせた。これは、、あんまし売れないかも。。という予感がありました。

これまで「キモノマイハウス」「No. 1 in Heaven」と、スパークス自身がジャケットに登場しないほうがヒットする、というジンクスが破られるかも。。予感は当たって、以後、映画でおなじみアルバムの出せない空白期がやってくるワケです。

リタ・ミツコとのコラボ

この1988年は、フランスのオシャレ男女デュオ、レ・リタ・ミツコの3枚めのアルバム「マーク&ロバート」にスパークスが3曲、ゲスト参加します。

正直言って、こちらの方が話題になってた。曲もキャッチーだったし。
「Singing in the Shower」はシングルでもチャートインして、翌1989年、高倉健の出てる有名な映画「ブラック・レイン」のサントラにも使用されました(これはあんまし憶えてない)

これがあったから、ぼくらもなんか「インテリアデザイン」の不調も忘れてしまったんだなあ。スパブラには出てこなかったね。

平成! 1990年代、CDの時代がやってきた!

1990年、スパークスが、最初にハーフネルソンというバンド名でデビューしたときのファーストアルバムが、なぜか日本先行で初CD化されました。これは驚いたね〜。うれしかったよ。アナログはもちろん日本で出てないし、洋盤もめったに見なかったから。

で、正式な1st「スパークス」2nd「ウーファー・イン・トゥイーターズ・クロージング」も、欧米で初CD化されました。(これwikiでは1988年となってたけど、ぼくの手元にあるのは1990年のクレジットなので、たぶんこっちが正)アナログは日本盤も出てなかったから、うれしかったね〜。

さらに80年代に出てた、アイランド時代の3枚「キモノ」「恋の自己顕示」「スパークショー」からコンピした「ベスト・オブ・スパークス」もCD化され、日本盤も出ました。たった3年間、3枚でのベストってね!

しかし、これだけでもスパークスファンはかなり満たされて、新譜が出ないのが気にならなくなってたのかな〜。

もう渋谷にWAVEもTOWERもHMVもあるし、輸入CDもすぐに手に入るし、アナログレコードが消えていく過渡期でしたかね〜。

1991年、ライノ!

91年は、再発やコンピ盤を得意とするアメリカのライノ・レコードから、ベスト盤「Profile: The Ultimate Sparks Collection」として、1971年から1977年までのベスト「Keep Left」と、1979年から1988年までのベスト「Keep Right」が出ました。

いや、これはもう集大成なのかな〜、て感じで。ファンも満足していた。今までCD化されてない曲もたくさん入ってたし。

1992年、不法侵入?

92年、カート・ラッセル主演のアクション・スリラー映画「不法侵入」に、

翌93年、シングルでのみリリースされる「National Crime Awareness Week」が使われてました!(これも、よく覚えてないけど)スパークス、まったく何もやってなかったワケではないんだよね。

1993年、さらにCDぞくぞく出たよ!

93年、フランスのレーベルから紙箱入りの、また新しい2枚のベスト盤、普通に全キャリアからベスト選曲の「The Heaven Collection」と、CMや映画に使われたアルバム未収録曲を集めた「The Hell Collection」が出ました! これもファンにはたまらない一品。

2枚組の状態のと、1枚ずつバラのがありました。

この年、ドイツのレーベルから「In the Swing」っていう曲数の少ない、シングルのB面曲が2曲あるだけが売り物のベスト盤も出ている。

そして、なんといっても、やっと「キモノマイハウス」「恋の自己顕示」「スパークショー」「ビッグビート」の、70年代代表作、4枚のアルバムが単独で、世界で初めて日本先行でCD化されたんですよ!

いやあ70年代の若きスパークス全盛期がついに蘇る〜。な感じで、いかに欧米のほうが遅れてたか、だよね。この時代までは。日本のほうがCD普及率が高かったんだろな。今になってアナログレコードのほうが見直されるとはな〜。

それでも、それ以外のアルバムはまだ、この時点で単独CD化はされなかったんだなあ〜。。

1994年、6年ぶりのニューアルバム!

そんなこんなで、ぼくらはすっかり昔のスパークスの栄光にどっぷり浸かっていたので、当時、スパークス本人たちがどれほど苦労してたかわからなかったんですね。情報も少ない時代だし。

94年、アルバム「官能の饗宴」で、スパークスは華々しく帰ってきた! ここからの快進撃はスパブラで見たとおりですが。(まだ少しは紆余曲折あるけど)

欧米で、70年代中期〜80年代のアルバムがCD化され始めるのも、この頃からですよ。それでも全アルバムがCD化されるまで、90年代の終わりくらいまでかかってたかな〜?

しかし、ネットもない頃、ぼくらはのんきに再発やベスト盤集めで喜んでたが、スパークス本人たちがあんなに辛い思いをしてたとは。。それが2022年になって、すべてが報われるとは。。よかったですなあ〜。。(つづく)



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