ミカ・バンド追記〜ご本人からの「思い出」


1975年イギリスで発売されたシングル盤。

この話のことで当のご本人、つまり、作詞作曲の「Hayashi-Ohara」のOhara=小原礼さんにSNSで直接聞いてみました。

大貫「あの曲だけ林くんと作ってるけど、何故なのか良ければ教えてもらえる?」
するとすぐにお返事があり、しかもいたって気さくな感じでこう答えてくれました。
小原「たまたまどこかの喫茶店にギターがあって僕が弾いて適当に歌って林が適当に詩を書いた感じだね。ミカ・バンドでRecの予定はなかったけど、クリスが観に来てたライブであの曲をやったらすぐレコーディングしようってことになったのよ。」

あらま〜!そういうことだったの?すべてがたまたま、偶然?林くんとふたりでお茶してて、その店にギターがあって小原くんがタララ〜って弾いて何気にハミングしたら、林くんがそれに詩を付けたってこと、すか?
そうして出来た曲をライブでやってたらクリス・トーマスが観ていて、「イイじゃん!レコーディングしよう!」って話になったってこと、すか?

スゲ〜〜!!まさに事実は小説よりも奇なり。そんな曲がイギリスでレコ〜ドとして発売されちゃうんだから。
ご本人も「そうだね~、イギリスでシングルカットされるなんてビックリ!!」だったとのこと。

そんなふうにして生まれた曲がライブの定番になり、いまだに動画で視聴され続けてるなんて思えば不思議、マジカル。音楽のパワーですよね。
彼は74年にはミカ・バンドを抜けて代わりにジャック松村〜後藤次利へとベースは移り変わる。ロキシー・ミュージックのオープニング・アクトで英国ツアーしたのが当時大いに話題となったけど、、、そこには小原くんではなく後藤くんの姿がありました。

小原くんはいうまでもなく現在も多方面で活躍中!高校時代のバンドSKYEも2021年に再結成しツアーしたり2枚目のアルバムも制作してるようです。1951年生まれの彼ら&ワタシの夢見る頃は未だ継続中デス!(ワタシの勝手なシンパシー)


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