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70s Rock 不思議で痛快加藤和彦&サディスティック・ミカ・バンド


ミカ・バンドの1975年イギリス発売の7インチ「SUKI SUKI SUKI」。日本でのタイトルは「 塀までひとっとび」。ロンドンの中古屋で購入しました

こないだ DJでかけた曲、レコードの続き。

見てわかるように中古版屋のプライス・シールが貼れれてます。これはロンドンで70年代の後半、ピストルズ捜索に出かけた頃1976年から78年にかけてのロンドン探訪の時に購入したものと思われます。
ロンドンの有名な中古レコード店で名前は「Music & Video Exchange」。ネットで調べたらまだ健在でした。ただ自分が行ったのがどこら辺なのかは、はっきりしないんですが、記憶ではポートベローの方だったよう気がしてます。ネットには38 Notting Hill Gate にあるとのこと。そこなのかもしれないな〜。
1回入ると2時間くらいは滞在していました。覚えているのは、ほかにお客さんがいなくて、貸し切り状態。地下にあったシングル盤コーナーでレコードを箱から出して、床に広げてチェックしたのを思い出します。特に激安の50ペンスのとかはかなり念入りに見ましたね。マナーひどい客ですよね〜。

そこで本当にたくさんのレコード、特に廉価なシングル盤を買い漁りました。そもそも LPレコードはサイズも大きいし、荷物になるのでかなり吟味しましたね。
その中の1枚がここに紹介した加藤和彦&サディスティック・ミカ・バンドの1975年発売のシングル「SUKI SUKI SUKI」です。日本のバンドの海外発売のレコードなんてあの当時そんなに多くないし、何より個人的もちょっぴりお付き合いのあった加藤和彦さんの、あの、ミカ・バンドですから。

いろんな情報が詰まったレコード盤のレーベル周り。売られた価格の推移が一目瞭然。

この黄色いレーベルにはあの頃の英国のロック、言うところのブリティッシュ・ロックを追いかけていたロック・ファンなら心が騒ぐはず。 EMI傘下の先鋭的なアーティストを専門に扱ったのがこの HARVEST。すぐに思い浮かぶのは PINK FLOYDにDEEP PURPLEにKEVIN AYERSの初期のアルバム。その中にミカ・バンドも加わったんですから。
ここから分かることは、バンド名が単にSADISTIC MIKA BANDということ。このバンド名は当時話題になったジョン・レノンがヨーコ・オノと作ったPLASTIC ONO BANDをもじって付けられたというのは広く知られたエピソード。そしてプロデューサーがクリス・トーマスというのが最大のセンセーションですね。何しろ、その頃のクリス・トーマスは超売れっ子でそれこそビートルズからピンク・フロイド、プロコル・ハルムなどとも関わりロキシー・ミュージックの成功を導いた敏腕ぶりで注目の的。
加藤さんが2枚目のアルバムの構想を考えていた際のポイントが「世界基準」。海外進出を目指してメンバーを揃え、いざ海外へ!という時の最重要なピースがプロデューサーで、その場合に最も相応しいと考えていたのがロキシー・ミュージックを手掛けていたクリスだったということを多くの関係者が語っています。

僕が加藤さんと知り合ったのは音楽評論家を名乗るきっかけとなった雑誌an anの編集部で出会った松山 猛さんに紹介されたことだったと記憶しています。ただ、どこでどうなって加藤さんのご自宅まで伺い、素晴らしいファッションのコレクションなど拝見させていただくようになったのか?今ではまるで夢の中。それでも共通の趣味というか話題が「ロンドン」(イギリス)であり、そこから生まれる音楽やファッションだったことは今でも鮮やかに記憶されています。

日本のロックヒストリーに大きな足跡を残すアルバム「黒船」。1974年。

そしてクリスが日本に来てレコーディングしたのが1974年に発売された「黒船」。今考えてもスゴイことが起こったものだと驚くし、革命的です。レコード会社を巻き込んで新たな日本のロック世界を開拓しようともくろんだんですからね。実際に75年にはイギリスにツアーというかライブをしに行ってます。テレビにも出てます。

レコード紹介からだいぶ壮大な話になりました〜〜!!でも加藤さんやその周りの人たちの情熱や音楽愛は語り草で終わらせたくない歴史的な事実です。またいつかこういう話が出来たらいいですね。
大元に戻して。
このシングル盤の曲はイギリスでのアルバムに先行するものでタイトルが「SUKI SUKI SUKI」。日本でのタイトルは「塀までひとっとび」。作詞作曲は「hayashi & Ohara」。アルバムの中で「hayashi」はこの曲だけ。そうなんです。これはドラマーの林立夫くん。でもメンバーじゃないですよね。ミカ・バンドのドラマーは高橋幸宏くんです。「ohara」はベースの小原礼くん。「くん」付けしたのは一応顔見知り、というか友人だからということでスンマセン!特に林くんと小原くんはラジオにも出てくれたり今も交流してます。

当時のメンバー。左上から加藤和彦、加藤ミカ、小原礼、左下は高橋幸宏、今井裕、高中正義(敬称略)

林くんはかつて70年代、ティン・パン・アレイのメンバーとして活躍し、小原くんもミカ・バンド以降アメリカでも活動してずっと現役。近年は昔の仲間が再び集まってSKYEとして活動中なのは言うまでもないですよね。僕も同い年、同世代。彼らと知り合ったのも70年代初め。
最後に珍しい映像を。1974年に行われた日本の野外フェスの先駆け、内田裕也さんが仕掛けた、郡山ワンステップ・フェスの時のレアなミカ・バンドのライブです。


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