20歳で見つめる自分史⑦【高校受験編】

今回は高校受験について振り返ってみます。ほとんどの人がそうだと思いますが、受験ってかなり自分のことについて考えるきっかけになると思うし、受験の間の出来事にかなり影響を受けているとおもうので、どんな事が出てくるのか楽しみですね。

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中学最初の定期テスト

僕が入学したのは地元の市立の中学校でした。小学校の人たちはほとんどそのまま同じ中学校に進むので、本当に小学校の延長って感じ。友達いっぱい。いえい。

小学校の時から勉強はできた方なので、入学して割とすぐにある最初のテストもいい成績をとる気満々でした。テストを解いている間も「これものすごい簡単じゃない?」みたいな(笑)。てな感じで、完全に勝利を確信していた僕ですが、ふたを開けてみたらそんなに成績が良くなかった(笑)。周りの友達、特に別の小学校から上がってきた頭のいい人たちと比べると、だいぶ見劣りしてしまっていた。その時、(勉強で)負けて悔しい、っていう思いが湧いてきた。それに当時、進研ゼミの広告で「初めの定期テストの結果がそのあとの三年間をきめるよ!」みたいな話を知っていたので、とてつもない焦りに駆られたのも覚えてる。

この悔しさと焦りが駆動力となって、千島少年は勉強に力を入れ始めたのでした。

まとめノート

そんな僕の勉強方法はもっぱら「まとめノートづくり」でした。(あとは通信教育のZ会)

その日に受けた授業(理科と社会)の板書を見ながら、自分にとって見やすいように、わかりやすいように再編集しなおす。色の使い方、空白の空け方、表の使い方、図の丁寧さ、などなど…かなり凝っていたと思う。他の人からの評判も良くて、定期テストや受験前になると「けんくん(当時のあだ名)、ノート貸して。」って頼まれることもあった。言われた時は、かなりうれしかった(笑)。

で、まとめノートを作ったことのある人ならわかると思うんだけど、この作業はかなり時間がかかる。50分授業の板書をまとめると(僕の場合だけど)その倍の時間、2時間くらいはかかっていた気がする(笑)。だからいつも寝るのは、日付が変わる直前とか。そんな僕を見て、母さんはよく「まだ勉強してるの?もう寝たら。」と心配してくれていた。

たぶん受験シーズンでもない時期から、ギアを上げて勉強していた人はかなり限られていたと思うので、二回目以降の定期テストからは結構、上位の成績をとれるようになっていった。

志望校選び

最初は、家から自転車で5分くらいの高校に進もうと思ってた。なぜなら近いし、地元の友達もたくさん行くだろうし、学力も高すぎず低すぎずちょうどよかったから。

当時の僕は「勉強できる=がり勉」みたいなイメージを持っていて、勉強できる奴はつまらない人間なんじゃないか、という今思うととてつもない勘違いっぷりを発揮しており(笑)。

しかしそのころの自分の学力的に、もっと頭のいい高校に行かないとそんなのではないか、という風に考えるようになり、今度は自転車で20分ほどのところの学校を志望校にした。

そして模試の志望校判定を見る限り、もっと上も目指せるのではないかという思いが湧いてきた。さらに中高の頃「目標は高く設定しておけば後々、選択肢が広がるぞ」と、父さんから口酸っぱく言われていた。これは具体的に話すと、偏差値60の高校の志望者が偏差値50のところに志望を変えるのがたやすいよね、反対に50→60は厳しいよね。っていう事なんだけど、こういう風に考えるなら、できるだけ高いところに行っておいた方が得じゃん、という結論になり、川越高校を志望校とするようになった。

このころには、さっき書いた「頭いいやつ=がり勉」みたいな変な思い込みはなくなっていた。これが取り去られたのは、初めて川越高校の文化祭に行った時だと思う。リアルの姿を見て、「あ、頭がいい高校生だからって勉強だけしてるんじゃなくて行事も頑張るんだ!」という風に感じることができた。

そんな感じで自分の中で志望のレベルを段階的にステップアップさせていったんだけど、ここで一つの事件が起こる。

いつかの模試ですこぶる調子が良かったんだけど、その結果を見た父さんが、川越よりも一つ上のランクの高校にも手が届きそうだ、と主張をはじめて試験まで残り何か月もないタイミングで「志望校変えろ」と言ってきた。

あまりにも自分勝手すぎる、自分で決めさせてくれ、親の都合だろ、子供の気持ちを考えてくれ、受験前に無茶苦茶言うな、などなど。受験を目前に控えてメンタルが安定してなったので、父さんへのフラストレーションが猛烈に湧き上がっていた(笑)。

で、この時初めて、面と向かって父さんに反論できた気がする。それまではスポーツの場、生活の場、そして勉強の場でも父さんに抑圧され、叱られまくって育ってきたので、父さんに意見できなかったんだけどね。千島少年の自立の兆しか?(笑)

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振り返ってみると、自分がいかに父さんに押さえつけられて生きてきたかを痛感させられた(笑)。でもそうやって注意し導いてくれる存在がいたからこそ、今の自分がいるとも思う。親が放任主義の環境で育ってたら、勉強にまともに取り組んでなかったかもしれない。だからその点に関してはほんとうに感謝せねばならないと感じます。

あと、まとめノート。最近、見やすくまとめる能力が僕の才能の一つなのではないかと感じている事が多かったのですが、その力がまとめノートづくりを通して鍛えられた、というのは納得。それくらい真剣に作ってたからね(笑)。今後も鍛えて使っていきたい。

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