星川堅信

早稲田大 4年

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寝る前のスマホ連打

 鏡も写真もなくて自分の顔を見る術がなかったら、どんなに顎を引いても自分の鎖骨くらいまでしか見えない。自分の顔を直視することはできないんだなって不思議に思う。生まれた時から眼球が顔に埋め込まれてる時点で、僕は自分の顔を自分で見つめるつもりはなかったんだなって思う、瞳がぎゅるりんと反転して脳内に向くことはない。チョウチンアンコウみたいに額の間から釣竿のような紐が伸びてその先に眼球があったら漸く自分で自分を直視できて、ああこいつが俺かって濃厚な気分になる気がする。初めて自分の顔を

    • 総括と抱負

       寸暇を惜しんでと自信を持って言えるほど、昨年はよく本を読んだし、よく絵を描いた。覚醒している起床時と夢を見ている就寝時とを明確に区別し、小説を読んだり絵を描いたりしている時の状態を夢を見ている就寝時の状態に近いと仮定するならば、僕は2022年の大半の時間を夢を見ながら過ごしたことになるような気がしている。こうやって書いてみて、そんな馬鹿な、と思う。きっと昨年は街の上ではなく夢の中で息をしがちな1年間だった。全く、そんな馬鹿な、と本当に思う。  そうやって想像の世界にのその

      • エッセイ/怪獣の気持ち

        悩みはいつから悩みになるのだろうと考えてみる。机上に物が散らかっている。自分について考える。これまでに自分のやりたいことはなんだろうと胸に手を当てて何度も静かに考えてきた。自分について考える。きっと死ぬまで自分について考える。死んだら分かるのだろうかと考えてみる。自分について自分が分からなくて誰に分かるのだろうと考える。他人について、特に友人や恋人や家族について考える。何となく彼らについて知っている気になっているのは何故だろうと考える。自分について他人よりは詳しく知っているか

        • エッセイ/嬲。

          読書の次くらいに散歩が好き。ちょっぴり中身の入ったバッグパックの重さと硬さを背中に感じながら自分の脚で自分の体を少しずつ前に進める。着々と前に進む。普段は意識しない重力を足裏に確と感じてリズムよく次の一歩を踏み出し続ける。すれ違う知らない誰かを関節視野で確認する。新しい景色が正面からやってきて自動的に視界の端に流れてゆき最終的には後頭部へ消える。後ろを振り返れば歩んできた道が少し違った景色で眼前に現れる。対象を眺めている角度が少しだけ違うから。纏まっていない単語レベルの言葉が

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        • エッセイ
          5本
        • 小説
          3本

        記事

          エッセイ/烏兎怱怱

           禿げ頭を剃刀で磨いています。  僕は2万文字くらいまで書くと、「なんか違うかもな」と思うようです。前回の物語もそのくらい書いたところで「なんか違うかもな」と思いました。一から書き直した今回の物語もそのくらい書いて「なんか違うかもな」。今、その気持ちと戦っているところです。このまま行くか、書き直すか。  女同士でセックスをしました。 「なんか違うかもな」という感覚はいつもいつも僕の影の後を追ってきます。  何かを一生懸命やればやるほど、それを一生懸命やらなかった人生や、

          エッセイ/烏兎怱怱

          エッセイ/ブラジャーの下に隠れているもの

          デスクライトの白い灯りが燦燦と降り注ぎ、パソコンのキーボードの上に10本の指の影が落ちています。 「おすすめの本を教えてください!」と言われた瞬間に、人間に刺激された蜂の巣のようにメタ認知が一気に暴れ出して、溢れ出して、何も言えなくなってしまうことがあります。 この本がその人の好みかどうかを考えるのは、傷ついた相手の痛みを感じようとするようなものです。結局は何も分からないし、「きっとこうだろうな」と自分なりにどこかの時点で諦めや区切りをつけて考えることを辞め、「そういうこと

          エッセイ/ブラジャーの下に隠れているもの

          エッセイ/男を一人締め殺し、数匹の蛙をミキサーにかけ、2人の女と関係を持って、蜻蛉の羽根を引きちぎって頭を弾き飛ばし、今僕は自慰に励んでいます。

          何となく土台ができてきたので、先日からまた新たに「自分が読みたい物語を描く」をテーマにして、創作をし始めました。 どこまで作為的な物語にすればいいのか、どこまで読者を意識すればいいのか、どこまでストーリーや言葉に意味を持たせればいいのか、そういうことが分からなかったので、「自分が読みたい物語を描く」をテーマにしたのですが、まだ序盤だというのに、もう既に主人公は1人の男を締め殺し、数匹の蛙をミキサーで粉々にし、巨乳の女1人と華奢な女1人と関係を持ちました。今、蜻蛉の羽根を引きち

          エッセイ/男を一人締め殺し、数匹の蛙をミキサーにかけ、2人の女と関係を持って、蜻蛉の羽根を引きちぎって頭を弾き飛ばし、今僕は自慰に励んでいます。

          エッセイ/2022年、1/3終了。最近、一枚の皮で繋がれた皮膚が街の上をテクテク歩いているように思います。

          最近、本を読み終えた後は特に、誰かの話した言葉が、映画の字幕や漫画の吹き出しのように、その人の隣に活字になって現れるようになりました。「これは否定、さっきの指示語は○○と繋がってて、今のは推定」のように、僕はその活字を眺めながら考えて、脳から吹き出る快感の汁をペロリと舐めていることがあります。話を読点で区切るばかりで、だらだら喋る人に対しては、「そろそろ句点打ってくれよー」と。明らかに可笑しい状況だとは自分でも思いますし、お前キモイなと鼻で笑ってくれても構いません。 今日か

          エッセイ/2022年、1/3終了。最近、一枚の皮で繋がれた皮膚が街の上をテクテク歩いているように思います。

          エッセイ/大学生活前半終了

          今回は、過去を振り返って思ったこと、その中でも最近思ったこと、気づいたこと、自分のこと、これから大切にしたい信念のようなものをここに書き残して、頭の中をすっきりさせたいと思います。 特にこれといった理由はありませんが、今年に入ってから、読み終えた本の記録をつけるようになりました。今読んでいる「彼女は頭が悪いから」姫野カオルコ著 で今月21作品目、今年113作品目です。練習の無いオフの日には1日中図書館に籠ったり、図書館→練習→図書館みたいな生活をしたりしています。都内の大学

          エッセイ/大学生活前半終了

          エッセイ/渋谷プチ散策

          渋谷で18:00からの予定があったので、少し早めに着けるように寮を出て、敢えて渋谷の人混みの中を散歩しました。最近の練習以外の時間は、ずっと図書館に籠っていたので、久しぶりに沢山の人を見た気がしました。大袈裟ですが、地球上にはこんなにも大勢の人がいるということを肌で感じました。いつもは大きめの公園や住宅街を歩くことが多いのですが、今日は渋谷。四方八方を人に囲まれ、少しだけ酔いました。マスクをしていない人もちらほら居て、今の時代そういう人はマイノリティですし、感染症予防に気を配

          エッセイ/渋谷プチ散策

          古本あるあるなのかもしれませんが、BOOKOFFの110円コーナーで発掘した「野菊の墓 伊藤左千夫著」の裏表紙にメッセージが書かれていました。 調べたところ、「どんな宝石も、磨かれて初めて美しく輝く。学問も人間も同じ」という意味の言葉の一部らしいです。 大切にしたいです。

          古本あるあるなのかもしれませんが、BOOKOFFの110円コーナーで発掘した「野菊の墓 伊藤左千夫著」の裏表紙にメッセージが書かれていました。 調べたところ、「どんな宝石も、磨かれて初めて美しく輝く。学問も人間も同じ」という意味の言葉の一部らしいです。 大切にしたいです。

          どの本を読もうかなぁも、肌に触れる文庫本の質感も、あと少しで読み終わっちゃうなぁも、旅行から帰った時の満足感に似た読後の心持ちも、次はどの本を読もうかなぁも、最初から最後までぜーんぶ好き。

          どの本を読もうかなぁも、肌に触れる文庫本の質感も、あと少しで読み終わっちゃうなぁも、旅行から帰った時の満足感に似た読後の心持ちも、次はどの本を読もうかなぁも、最初から最後までぜーんぶ好き。

          自分らしさを極めるために

          InstagramとTwitterを消そうと思います。他の人の生活を眺めたり、自分の生活を曝け出したりすることが少し面倒くさくなりました。そこに興味や価値を感じられなくなりました。 特に意味もなくボーッとスマホの画面を眺め、スクロールし続けることの他に、本当にやりたいことが僕にはあるはずでした。 僕は今までずっと、友達の数や質がその人の価値を決めると思い込んでいた気がします。でもそんなことなかった。成人式に行かず、誰にも会わなくたって問題ありませんでした。広く浅くよりは、

          自分らしさを極めるために

          エッセイ/最初の小指とか I’m spaghetti とか最近のあれこれとか

          数の言葉そのものを持たない、パプアニューギニアのフェス族は、「1」という数を表したいとき、「最初の小指」という言い方をするらしい。数を体に対応させ、体の部位の名前を数の名前をしている彼ら。「38」は「二度目の小指まで行って、再び最初の小指」と言い表し、「84」は「二度目の小指まで行って、再び手を上がり、下がっていって、二度目の小指まで行って、再び手を上がっていって、上腕」と表現するんだと。ちょっと長すぎじゃないすか。 オーストラリアのアボリジニの言語の1つ、グーグ・イミディ

          エッセイ/最初の小指とか I’m spaghetti とか最近のあれこれとか

          エッセイ/成人の叫び。自慰行為をする時のように。

          この前の11月1日、20歳になった。 そこに明白な境界線があるわけでもなく、蝶のように蛹から一瞬にして姿を変えたわけでもないのに、寝て、起きた、たったそれだけのことなのに、20歳の誕生日を迎えただけで、周りからの扱いが一瞬で変わる、成人、というやつに、僕はなったらしい。この成人という言葉が僕に届けてくれたものは何かといえば、華やかな気分でも喜ばしい感覚でもなく、ただの焦燥感のみ。「まだ、大丈夫。今日くらいは、大丈夫。サボってもプー太郎でも、大丈夫。大丈夫、大丈夫」と自分に囁

          エッセイ/成人の叫び。自慰行為をする時のように。

          エッセイ/幸福を忘れがちな君へ。僕は、空を飛べない。

          僕は、空を飛べない。 物語の中の僕は、空を飛べる。 今回するのはそんな話。コンドームみたいに薄っぺらい話じゃない。共感してもらえるかどうか分からないけれど、自分が思ってることを包み隠さず言葉にするつもり。自分のヌード写真をばら撒く方がマシな気がすることも、ちゃんと書いた(言い過ぎ)。僕のヌード以上のものが、見れちゃう、読めちゃうってことだ。(僕の裸なんて、そんな価値ない) それではいこーう! まず、僕のことを知らん人のために、ちょっとだけ自己紹介をしたい。興味ない人は、黒

          エッセイ/幸福を忘れがちな君へ。僕は、空を飛べない。