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花まつり

 本日、4月8日は毎年、全国各地の寺院で「花まつり」が行われる。

 この「花まつり」は「灌仏会」や「降誕会」、「仏生会」とも呼ばれるもので、お釈迦さんの誕生を祝うものである。キリスト教でいうイエス・キリストの誕生を祝う「クリスマス」に該当するものと考えて差し支えないだろう。今年も多くの方が各地でお釈迦さんの誕生を祝ったのではないだろうか。

 日本の「花まつり」はネパールおよびインド・西域で行われていた、行道と呼ばれる仏像や仏塔の周りを回りながら恭しく礼拝する供犠や、行像と呼ばれる輿に仏像など信仰対象を載せ、華美な行列を組んで寺の外を練り歩く行事が、中国を経由して日本に入ってきて現在の形になったと考えられる。<中村保雄(1993)pp.145-146>

 そこで、今回は、お釈迦さんの誕生について、少し記したい。

 お釈迦さんの人生を美しく描いている古典文学作品がある。アシュヴァゴーシャ(Aśvaghoṣa)=馬鳴菩薩(80年頃〜150年頃)が、お書きになられた『ブッダチャリタ』である。

 まず、お釈迦さんはご存知のように、釈迦族の王、シュッドーダナ(浄飯)と王妃マーヤー(麻耶)の間に生まれた王子さまである。

この麻耶夫人が身籠った時の様子がこのように描かれている。

人々の守護者である王は妃とともに、あたかも富の神ヴァイシュラヴァナ(毘沙門天)の王威を楽しんだかのようだった。

やがて、瞑想を伴った知が実を結ぶように、彼女は汚れなく、身ごもった。

身ごもる前、妃は夢の中で白い象の王が自分の身体に入ってくるのを見た。
けれども妃はそれで痛みを感ずることはなかった。

神のような、かの王妃マーヤー(麻耶)は自分の一族の繁栄を胎内に宿した。

Aśvaghoṣa(2019)p.10

 少し話はズレるが、仏伝・福音書比較研究で、マーヤー夫人の処女性がとりあげられていたことがある。西洋の研究者の間では、古くから処女懐胎の伝説があると思っていたらしい。実際、他の仏伝によるとマーヤー夫人が妊娠する前に、かなりの期間にわたって斎戒を守り、夫と交わらなかったことが書かれているらしい。だが、処女懐胎というのは、どこにも出てきていないのである。ここで取り上げている、馬鳴さんの『ブッダチャリタ』は、はっきり言って、かなり脚色の多いものである。それもそのはず、あくまでも文学作品なのである。そんな脚色の多い『ブッダチャリタ』でさえ、マーヤー夫人の処女性については何も言及されていない。

 西洋の研究者らが処女懐胎説を信じたのは、ハンガリーの東洋学者であったケーレシ・チョマ・シャーンドル(以下、チョマ)が「チベットの書物にはマーヤー夫人の処女性のことは何も書いてないが、モンゴール人の伝説はそれを重視する」といっているのに依っていたらしい。では、このチョマは、こんな伝説をどこから得たのであろうか。チョマがこの論文を書いていたころ、『モンゴールの書によるブッダの生涯』の仏訳が出版されたが、そのなかに、このようなことが書かれていたらしい。

「彼(ブッダの父)はマハー・マーイ(マハー・マーヤー)と結婚したが、彼女は、処女であったのに、聖なる影響で、息子を懐胎した」

梶山雄一(2021)p.33

ところが、この仏訳の原本であるドイツ語版のクラプロートの論文には、「処女であったのに」という表現はなかった。つまり仏訳者の挿入にすぎなかったのである。

 この奇妙なマーヤー夫人の処女性への関心は、西洋の研究者らを刺激し、本格的な仏伝・福音書比較研究に駆り立てていったようである。

 仏伝・福音書比較研究については、また別の機会にnoteに掲載したい。

ちなみに、

身ごもる前、妃は夢の中で白い象の王が自分の身体に入ってくるのを見た。

Aśvaghoṣa(2019)p.10

という文は、決して脚色ではない。

『ジャータカ』総序でも、白象となって兜率天より降って母の胎内に入る、とある。ここで、ちょっと気になるのは仏伝の文学作品であるにも関わらず、『ブッダチャリタ』では、胎内に入るときの様子は、あくまでも母であるマーヤー夫人が中心として描かれていることである。そのためか、『ブッダチャリタ』では、兜率天から降りて胎内に入ったということは書かれていないのだ。

そして、次にいよいよ出産である。

かの栄ある森の中、妃は出産の時が訪れたのを知り、幾千人の侍女たちに祝福されて、日除けをひろげた寝台へと進んだ。

そして、プシュヤ星座が吉の相を示したとき、誓願によって心清めた王妃の脇腹より、陣痛も病もなく、世の人々のために男子が生まれた。

Aśvaghoṣa(2019)p.11

陣痛もないとは、世のお母様方からしたら、相当羨ましい話ではないだろうか。

己が身の、誕生の日は、母苦難の日

と言うほどであるから、本来なら出産というのは相当苦しいはずなのだが、そもそも脇腹から生まれているのであるから、陣痛がないと言われても驚きはしないかもしれない。

 このようにして、生まれてきたお釈迦さんは、

多くの劫の間、自己を修していたので、知性はすでにそなわり、分別もあった。

Aśvaghoṣa(2019)p.11

 「劫」というのは、かなり長い時間の単位で、1劫は43億2000万年にあたる。東大寺には、「五劫思惟阿弥陀仏」があるが、それは5劫(216億年)もの間、思惟されていたせいで長髪になられた阿弥陀さんのお姿である。(ちなみに一番有名な落語と言っても過言ではない『寿限無』にある「寿限無寿限無、五劫のすり切れ」はここに由来がある。)

「さとりのため、世の利益のために私は生まれた。これが輪廻における私の最後の誕生であるように」と、ライオンのごとく四方を見わたしつつ、この子は未来の世界に益となる言葉を語った。

Aśvaghoṣa(2019)p.12

「これが輪廻における私の最後の誕生であるように」というのも、深く頷ける。
多くの劫(数十億年〜数百億年)の間、修行されていたのだから。

私も来世で修行できるかは分からないが、今生では、ずっと修行し続けたいなと思わされる花まつりであった。

(参考文献)
1. 中村保雄 『仮面と信仰』新潮社、1993年。
2. Aśvaghoṣa『ブッダチャリタ』梶山雄一他訳、講談社、2019年。
3. 梶山雄一『大乗仏教の誕生』講談社、2021年。

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