活動的でないと死ぬ病(自分の事)

私は、とにかく休みの日は活動的になる。というよりかは、活動的でないと気が済まないために活動的に敢えてなる。
活動的と言っても、必ず外出したり運動したりしないといけないわけではなくて、そこには映画を観たり、ジグソーパズルをしたり、本を読んだり、ネット通販で必要な物を探したりとか、そういうことも含まれる。
つまり私にとって活動的というのは、「有意義」とほぼ同義かもしれない。まあ有意義とか言っても必ずしも生産性があるとは限らなくて、ただ自分にとって「満足感」があるかってのが何より大切。
クッキー作ろうとして黒焦げにしたりマカロン作ろうとしてゾンビ沼生み出したりしてしまっても、割と満足感が高くて有意義に感じたりする。
満足感が行動に意味をもたらしてくれるんだなぁ。

だから休日はいかに満足感高めに過ごすかってのが大事で(誰もがそうかもしれないけど)、一日寝て過ごすとかスマホ見て過ごすってのが絶対にできない。二日酔いでもない限り10時には起きて、やることを探す。

でもたまにやりたいことが見つからないこともある。これには以前書いた記事の「最大不足の最大幸福」が多いに関わってくる。
つまり、一度やったことはある程度期間をあけないと満足感を得られなくなってしまうので、その日にできることの選択肢はある程度絞られた状態でスタートするということ。

どうしても何もすることがない時は、とりあえずあてもなく外に出て散歩したり、走ったりしてみる。
そうすると疲れのおかげで、いろんなものに対する「不足感」が得られて、「不足感不足リスト」がリセットされる。
そしたら無敵。ゲームでも映画でもなんでもできるようになっちゃ~う。
やったね、これで満足な休日が過ごせる!

こんな感じで、とにかく休日は活動的になれるよう常に努力してる。
たまに「なんで休むべき日に、活動的であろうと焦ってるんだ」と、休日の概念がわからなくなってしまう。
そうなると、もはや何も楽しめなくなる。だからできるだけそういうことは考えないようにしている。

今はまだこういう過ごし方が、若さゆえできる。
これが30,40になるとどう変わっていくのか、楽しみと不安の比率3対7くらいで、今週も乗り切りました。

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