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【番外編/プロレス談】新日派の僕がNOAHをみる

こんにちは。プロレス・エバンジェリストの安藤です。
先日、プラスクラス・スポーツ・インキュベーションの平地さん(@halloffame81)と、Markezineにて対談を行いました。

スポーツ業界のマーケティングについて話し合い、大いに盛り上がったあと、帰り際に平地さんから「安藤さん、プロレス好きですよね。ノア観に行きましょう!武道館!招待券差し上げます」とお誘いいただきました。

プロレス好きなんだからそりゃ大喜びで行くでしょ、と思われるかもしれませんが、違います。

なぜなら僕は 新日派なのです。

新日派か全日派か

僕がプロレスにどっぷりはまるようになった1990年頃、プロレスファンは「新日派」と「全日派」、この2つの派閥に分かれていました。

新日派 = 新日本プロレス
アントニオ猪木が率いるプロレス団体を応援するファン

全日派 = 全日本プロレス
ジャイアント馬場が率いるプロレス団体を応援するファン

それはまさしく、きのこ/たけのこ論争でいう「きのこの山」か「たけのこの里」か(僕はたけのこ派)、銀河英雄伝説でいう「帝国」か「共和国」か(僕は共和国派)、コーラでいうコカ・コーラかペプシか(僕はペプシ派)のように、2つの派閥の間には目に見えない深い深い溝がありました。

アントニオ猪木もジャイアント馬場も、もとは力道山が率いる「日本プロレス」という団体の花形選手であり良きライバルでしたが、力道山の死後、日本プロレスは崩壊していき、日本プロレスを離れたアントニオ猪木は新日本プロレスを設立。同年、ジャイアント馬場は全日本プロレスを設立します。

その後、日本のプロレスはこの2つの団体を中心に回っていきます。

プロレス業界の双璧をなす団体のトップとして、猪木と馬場の間に競争意識はあったと思いますが、両者を知る人によるとお互い確執はなかったと言います。

しかし、ファン同士では、「新日の方が強い」「いや、全日が最強だ」と、それぞれ自分が応援する団体が一番であると譲りません。

僕が通ってた中学校でも、「闘魂三銃士が最強」「いや、プロレス四天王に勝てるやつはいない」と、結論の出るはずもない議論がしょっちゅう起きていました。

闘魂三銃士
新日本プロレス所属の、蝶野正洋・橋本真也・武藤敬司の3人によるユニット

プロレス四天王
全日本プロレス所属の、三沢光晴・川田利明・小橋建太・田上明の4人を指す

そして、僕自身は、1989年に東京ドームで強烈なデビューを果たした獣神サンダーライガー(デビュー時は獣神ライガー)をテレビで見て以来、新日本プロレスにどっぷりとはまり、学校でも新日派の友人たちとつるんで行動するようになってい199きました。

そんな当時の僕にとって、多彩な技や派手な演出で観客を魅了する新日本プロレスに対して、全日本プロレスの印象は「汗臭い」「地味」「試合がだるい」というものでした。(ホント、すみません)

プロレスファンとして、全日本プロレスに所属している選手の名前くらいは知っていましたが、誰がチャンピオンなのか、どんな抗争・ストーリーが繰り広げられているのかなどは全く興味がありませんでした。

その後、1999年に大事件が発生します。

全日本プロレスの創始者であり象徴であったジャイアント馬場が病気で亡くなったのです。

プロレス界のレジェンドの死は、国内外で大きなニュースとなりました。

ジャイアント馬場亡き後の全日本プロレスを、プロレス四天王の一人であった三沢光晴が継ぎますが、オーナーとの確執により翌年に社長の任を解かれてしまいます。

全日本プロレスを退団した三沢は、同団体に所属していた複数の選手を引き連れ、新団体を設立します。

それが【プロレスリング・ノア】なのです。

つまり、ノアは全日本プロレスの血が色濃く流れた団体であり、新日派の僕にとっては、興味の対象外でした。

冬の時代

しかし僕がノアに興味を持たなかったのは、全日の匂いがする団体だからという理由だけではありません。

2000年代に入ると、プロレスはK-1などの格闘技のブームに押され、観客動員数が大幅に減少します。
また折からの団体乱立により選手が入り乱れ、多くのファンが散り散りになってしまったのです。

僕自身も、興味は新日本プロレスから闘龍門やWWEへと興味が移ってしまいました。

闘龍門
日本人マスクマンであるウルティモ・ドラゴンがメキシコに開設したプロレスラー養成学校。1999年に日本にて逆上陸興行を開催した。

WWE
アメリカにある世界最大のプロレス団体。試合そのものよりもドラマ仕立てのストーリーが人気で世界各国で放送されている。

その後、2009年にプロレスリング・ノアの設立者であり、団体の顔であった三沢光晴が試合中の事故により亡くなってしまうという大変痛ましい事件が起きてしまいます。

団体の顔を失ったノアはとても厳しい時代を迎えます。

あれ?なんか来てる?

そんなこんなで僕の中ではノアという団体の存在自体がとても小さなものとなっていました。

週刊プロレスを読んでいても、ノアのページは「あぁ、この選手はまだ現役でやってるんだ」とたまに思うくらいで、あとはページを読み飛ばしていました。

しかし、2020年ごろから流れが変わります。

僕のTwitterのタイムラインに「ノアのポスターカッコいい!」というツイートが目につくようになったのです。

ポスター?
プロレスのポスターを見たことある人なら分かって頂けるかと思いますが、プロレスのポスターって団体の顔となる選手を中心に、所属選手の顔写真と名前がずらーって並んでるだけのものが多いんですよ。

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↑ こういうの。

一方でノアのポスターは…

画像2

株式会社ミイコロさんのサイトからお借りしました。問題あればお申し付けください)

カッコいい…。カッコいいじゃないか。

ついでにこれも。

リングの上からの風景をポスターにしちゃうなんてシャレオツ。。。

ちょっと気になったので、Webも覗いてみると、令和の今でさえスマホ最適化すらされていない団体がある中、ダントツにカッコいいのです。

そしてトドメを刺されたのが2021年2月に行われる日本武道館のビジュアルです。

これ単体で部屋に飾りたいくらいカッコいい。

2000年代のノアは日本武道館での興行をメインとする最後の団体でした。しかし、観客数の減少により日本武道館という大きな箱で興行を行うことは困難になってきたのです。

ポスター上部の「ただいま、日本武道館」の裏には、選手だけではなく、ファンやスタッフの「やっとここまで来た」という強い思いを感じ取れます。

このポスターを見た僕はノアという団体に少し興味が湧いてきました。

しかし、出場する選手の名前を見ても、半分以上は知らない選手です。さらに、僕の全日の印象は「地味」、そして全日の流れをくむノア。

果たして観に行っても楽しめるのだろうかと半信半疑でした。

いざ、敵地武道館へ

大会2日前。平地さんに「やっぱり明後日のノアを観に行ってもいいのでしょうか?」と連絡を入れると、「もちろんです!存分に見たいのであれば、第1試合からどうそ」とのことで、お言葉に甘えて最初から観ることにしました。

行きの電車内で思い返してみると、日本武道館は大学時代のアルバイトの先輩に無理やり連れていかれた、ジャイアント馬場の引退試合(追悼興行)以来、実に22年振りです。九段下駅で降りると、なんだか懐かしい気持ちになってきました。

そして鳴らされるゴング

勤勉な私は、入場前に買ったパンフレットに目を通し、今日の出場選手の名前と顔を頭に入れますが、頭が悪いので全く覚えられません。

そうこうしているうちに爆音で音楽が鳴り初め、第1試合が始まってしまいました。

プロレスでは、第1試合は大抵、若手の選手の試合から始まりますが、ノアも同じように2018年デビューの岡田選手と、大ベテランの齊藤彰俊選手との試合で幕を開けました。

ちなみに齋藤選手は三沢選手の最後の対戦相手(つまり事故当日の対戦相手)であり、ぜひ皆さんにこの記事を読んでいただきたいです。

記念すべき大会の第一試合は、齋藤選手の試合で幕を開ける。
この意味を考えながら試合を見ていると、自然と涙が目に浮かびました。

試合中、齋藤選手が二度ほど指を高く掲げ天井を指さしていましたが、あれはもしかしたら天国にいる三沢選手に語り掛けていたのかもしれません。

地味、、、いや派手

大会が進むに連れ、僕の中にあった「全日の記憶」が否定されていきます。

第二試合の6人タッグマッチでは、YO-HEY選手のスピーディーできれいなドロップキックに痺れました。(あとで調べたらYO-HEY選手はドラゴンゲート出身とのこと。なるほど)

ドラゴンゲート
闘龍門の日本における後継団体。比較的身体の小さな選手が多く、ジャベ(関節技)とスピーディーな攻防が特徴。

第三試合では巨大なアフロヘアーが特徴のモハメド・ヨネ選手がド派手に動き回ります。そういえば、僕が大学生の時、格闘探偵団バトラーツという団体の道場を取材に行ったことがあるのですが、その時に石川雄規選手の後ろでわちゃわちゃ動いていた、ひょうきん者がヨネ選手でした。あれから20年経ちますが、相変わらずのひょうきんさでした。

いま検索したら当時のインタビューまだあった。。。うそ、びっくり。
B面プロレス
http://www.ne.jp/asahi/b-men/b-side/document/pro20000319/pro/top.htm

そして第四試合の12人タッグマッチ(多いな)には、桜庭和志/ケンドー・カシン(石澤常光)/藤田和之/村上和成という総合格闘技PRIDEで大活躍した選手が登場します。
この4人が一同に会す場面を見られるだけでも大満足です。

第五試合では小川良成選手の超絶テクニックに相手ばかりでなく、見ている僕らも「あれ?いま何が起きた」と翻弄されっぱなしでした。

そして、第六試合の原田選手と吉岡選手のGHC jr.ヘビー級のベルトをかけた試合は、一瞬たりとも目が離せない白熱した試合であり、この頃には僕はすっかりノアの虜になっていました。(吉岡選手のTシャツ買えば良かった)

丸藤・秋山組 vs 清宮・稲村組の第七試合では、秋山選手の鬼気迫るファイトに、闘いを通しての若手への愛を深く感じました。

ちなみに清宮選手は若くてイケメンなだけでなく、とても素晴らしい気迫を持っていました。間違いなく、この先ノアを代表する選手になるでしょう。

試合が終わった時には「ノアの未来はお前らに任せた」と、本日初めて会場に足を運んだくせに、まるで旧来からのファンであるかのような気持ちになりました。

セミファイナルは拳王選手と船木誠勝選手との対戦です。船木選手といえば、パンクラスですね。

パンクラス
格闘系プロレス団体。ほぼ総合格闘技

常に最強を掲げていた船木選手は、二階席から見ている僕らでもその強さを確信させるオーラを放っていました。

そして、メインは潮崎選手と、元闘魂三銃士、そして元全日本プロレス社長である武藤敬司選手によるGHCヘビー級のベルトをかけた試合です。

11年ぶりの日本武道館というビッグイベントの大一番。相手はレジェンドとはいえ、58歳の大ベテラン選手。現チャンピオンである塩崎選手は絶対に勝たねばなりません。この試合がどのような結末になったかは、ぜひ調べてみてください。

I am NOAH

すべての試合を見終え、一人電車で帰宅するなか、僕の心はすっかりとノアに奪われてしまいました。

帰りの電車内でパンフレットを見返し、今日素晴らしい試合を見せてくれた選手のプロフィールを改めて確認すると、みんな本当に様々なバックグラウンドを持ち、ノアという船に乗りこんだことに気付きます。

そこには、新日派・全日派などというものはありません。
あるのは、ただただ、ノアでした。

第五試合が始まる前に、リングアナウンサーが「誰が上とか下とかではなく、皆さんがプロレスリング・ノアの一員なのです」とおっしゃっていました。

I am NOAH…。

これは潮崎選手の決め言葉ですが、武道館大会を観た全員の心に自然と浮かんできた言葉なのではないでしょうか。

一枚のポスターから始まった僕とノアの物語はまだ始まったばかりです。

しばらくプロレスから離れていた方、初めてプロレスを観に行こいうという方、ぜひプロレスリング・ノアを観に行ってはいかがでしょうか。